「薄桜鬼」の二次創作小説です。
制作会社様とは関係ありません。
二次創作・BLが嫌いな方はご遠慮ください。
その食堂は、東京の都会の、片隅にひっそりと佇んでいた。
浅葱色に「誠」の字を白く染め抜いた暖簾が目印で、店の中に入ると、壁一面にメニューが貼られていた。
この食堂の一番人気のメニューは、女将手作りの沢庵が添えられた、「塩むすび定食」である。
一見地味でありながら、海苔のパリっとした食感と、ホカホカで美味しい白米との相性が抜群なのだ。
これを目当てに毎日来る客も居て、店はそれなりに賑わっていた。
「トシ、チキン南蛮定食上がったぞ!」
「はいよ!」
店を切り盛りするのは、白い割烹着姿が眩しい、女将の土方歳三と、その夫の近藤勇である。
元々は大手飲食チェーンで勤務していた二人であったが、会社員生活に早めに終止符を打ち、コツコツと貯めていた金で駅前から少し離れた路地裏に、自分達の“城”を建てたのだった。
「なぁ、こんな所でいいのか?駅前のガード下だったら、もっと客が・・」
「あそこは集客が見込めるが、ここだと家賃が向こうより安いしいざという時に助かるだろ。」
「へぇ・・」
最初は勇の言葉に歳三は疑問を持っていたが、やがてコロナウィルス感染拡大により、飲食店は軒並み営業自粛を強いられるようになり、駅前の飲食店は高額な家賃が払えず、次々と閉店していった。
しかし、路地裏の近藤達の店は、そのあおりを受けなかった。
だが、外出自粛を含む「緊急事態宣言」が発令され、店は閑古鳥が鳴くようになり、一時期勇は店を閉めようかどうか悩んでいたのだが、歳三が、“宅配やテイクアウト中心に暫くやってみないか”と提案を出し、店の経営は徐々に開店当時の活気さを取り戻しつつあった。
営業時間は、午前八時から、午後十時まで。
酒類の提供は店主の意向で一切せず、モーニングとランチ、ディナーのみでやっている。
「ふぅ、忙しかった。」
モーニングの提供時間を終え、歳三は溜息を吐いて店の裏で煙草を吸った。
この店を二人でやらないかと勇から言われたのは、四年前のクリスマス・イヴだった。
『会社を辞めて、どうするんだ?』
夕食にワインを飲みながら、歳三が勇にそう尋ねると、彼は溜息を吐いた後、“もう今の仕事が嫌になった”とこぼした。
外食チェーン企業に二人が就職して、もう四年目を迎えようとしているが、毎日十六時間労働と過酷なノルマ、そして上司からのパワー・ハラスメントに耐える日々を送っていた。
勇は、学生時代の溌溂さが消え、いつも死んだ魚のような目をしていた。
“良いんじゃねぇか、あんな会社に義理立てする意味なんてねぇよ。それに、このままだとあんた死んぢまうぜ?”
“ありがとう、トシ。”
それから勇は会社を退職し、歳三は彼が退職した二月後に会社に退職届を出した。
『本当に辞めるのかね?君は若手のホープとして期待していたというのに、残念だよ。』
“短い間でしたが、お世話になりました。”
散々社員をこき使い、苛めておいて、辞めるとなると急に媚びて社員を引き留めようとする会社には、もう未練など残っていない。
晴れ晴れとした気持ちで会社から出た歳三は、天を仰いで溜息を吐いた。
その後、不動産業者と共に店舗の物件探しに奔走し、今の物件を見つけたのだった。
「トシ、朝から働いて疲れただろう?ランチまでまだ時間があるから、少し家に戻って休んだらどうだ?」
「あぁ、そうするよ。ランチの仕込みももう終わっているしな。」
歳三はそう言って店の裏口から外に出て、近くの駐輪場へと向かった。
そこに停めていた自転車に跨った彼が向かったのは、店から片道十分位かかるマンションだった。
ここの六階に、歳三と勇は暮らしている。
以前住んでいたのは、会社から二駅分離れたマンションに住み、毎朝満員電車に揺られていたが、店を始めてからはそこを引き払い、ストレスフリーの生活を送っている。
マンションのエントランスでオートロックを解除した後、歳三はエレベーターで六階の部屋へと向かった。
「ただいま~」
歳三がそう言いながら玄関先で靴を脱いでいると、カリカリという音がリビングの方から聞こえて来た。
彼がリビングのドアを開けると、一匹の美しい毛皮を持った猫が、甘えた声を出しながら歳三の足元に擦り寄って来た。
「そんなに甘えて、俺に会いたかったのか?」
歳三はそう言って屈むと、愛猫の頭を撫でた。
彼女は、保護猫カフェで会って、勇と共に一目惚れした子だった。
コロナ禍で、“暇潰しに”ペットを飼い、“思っていたのとは違う”、“懐かないから要らない”と、身勝手な理由で動物を捨てる人が増えている。
歳三は幼少の頃から、いつも周りには動物が居て当たり前の生活を送っていたし、最期まで彼らの面倒を見ていた。
動物を「家族」として迎えるのなら、それは当然の事であり、飼い主として当然の務めだと思っていた。
だから、動物の命をまるで汚れた食器や壊れたゲーム機か何かのように捨てる人間が許せなかったし、理解したくもなかった。
勇と相談し、彼女―“レティシア”がこの家にやって来たのは、昨年の暮れの事だった。
「今ごはんやるからな、待ってろよ。」
歳三がそう言うと、彼女はまるで彼の言葉が解るかのように、嬉しそうに鳴いた。
愛猫が美味そうにご飯を食べている姿を見ながら、歳三も少し遅めの昼食を取った。
といっても、前日の売れ残った弁当なのだが、捨てるよりは良い。
「ご馳走様でした。」
歳三はそう言って胸の前で合わせると、食べ終わった弁当の容器と、レティシアの餌皿を軽く洗った後、少しこたつに入って休んだ。
年明けのような厳しい寒さではないが、まだ一月という事もあり、肌寒い日が続いていた。
そろそろ戻ろうかと歳三が思っている時、不意にこたつの上に置いてあったスマートフォンがけたたましく鳴った。
「勝っちゃん、どうした?」
『トシ、うちの弁当に虫が入っているという苦情が来て・・』
「わかった、すぐ行く!」
歳三は慌てて部屋から出て自転車で店へ戻ると、そこにはスマートフォンを振りかざしているパーカー姿の男が、周囲を威嚇するかのように大声で怒鳴っていた。
「てめぇ、何こんな物売ってんだ?」
「申し訳ありません・・」
周囲の客達は、ヒソヒソとそのクレーマーの方を時折見ながら、『あれ絶対わざとだよね?』と囁き合っていた。
「お客様、このお弁当はいつ購入されましたか?」
「二日前だよ!」
「あれ、おかしいですね?うちのお弁当は、いつも作り置きはしてない筈なんですが・・それに、このカメラには、あなたが何かをうちの“お弁当”に入れている姿が映っているんですけれど?」
歳三はそう言うと、男にこの店の監視カメラの映像を見せた。
「そ、それは・・」
「警察、行きましょうか?」
「すいません・・」
男は歳三の通報を受け、駆け付けた警察に逮捕された。
「トシ、済まなかったな。」
「これ位、どうって事ねぇよ。」
歳三はそう言って勇に微笑むと、レジへと向かった。
「ありがとうございました~」
その日の夜、最後の客を送り出した後、歳三は暖簾を店の中へ入れた。
「はぁ、疲れた。」
「さてと、店じまいして帰るとするか。」
「おう。」
歳三達が店を出て帰宅した時には、もう午後十一時を回っていた。
「今日の売り上げは先月と比べて上がっているな。」
「まぁ、ほとんど宅配とテイクアウトだけどな。段々客足が戻って来たから、嬉しいぜ。」
「そうだな。それよりもトシ、そろそろ新しい事を始めないか?」
「新しい事?」
「あぁ。キッチンカーをやろうと思うんだ。店の定休日に、公園でホームレスの炊き出しをしようと・・」
「へぇ、いいじゃねぇか。弁当は店の厨房で作るんだろう?」
「ああ。今、食事も満足にできない人が沢山居る。それに、店が一番大変だった時に、支えてくれたのは常連さん達だった。だから、今度は俺がみんなに恩返しをしたいんだ。」
「いいじゃないか。」
「キッチンカーは、知人から一週間後に譲り受ける事になっていて、保健所の許可も下りている。」
「そうか。となると、あとは弁当の値段だな?」
「店で出しているものと同じだから、三百円前後で出せると思う。」
「なぁ、思い切って百円にしねぇか?あ、それよりも無料で出さねぇか?三百円だと高いだろ?」
「そうだな・・」
それから二人は、一晩中キッチンカーの事について語り合った。
「おはよう、トシ。」
「おはよう、勝っちゃん。」
翌朝、歳三と勇は二人で並んで台所に立って朝食を作った。
今日は、週に一度の定休日だ。
「なぁ、来週からキッチンカーするんだろ?弁当のメニューはどうするんだ?」
「塩むすび弁当はどうだ?あれなら単価が安いだろう?」
「そうか。」
翌日、歳三が店の厨房でキッチンカー用の弁当を作っていると、店の引き戸がガラガラと大きな音を立てて開き、白いスーツ姿の男が中に入って来た。
「すいません、まだ準備中で・・」
「急に会社を辞めたかと思ったら、こんな所に居たのか、歳三。」
「てめぇ、ここには何しに来やがった?」
「貴様を口説きに来ただけだ。」
白スーツの男―風間千景は、塩が入った壺を握り締めて自分を睨みつけている元恋人を見た。
「帰れ!」
「フン、強情なのは昔から変わらないな。」
「てめぇの顔なんざ見たくもねぇ!」
歳三は塩が入った壺をカウンターに置くと、奥から沢庵を取り出し、それを千景の顔に叩きつけた。
「・・また来る。」
「畜生、てめぇに出す飯はねぇ!」
沢庵塗れの白スーツ姿の主を見た千景の秘書・天霧は、また彼が何かを“やらかした”のだとわかった。
「“覆水盆に返らず”ですよ、風間。」
「うるさい、出せ。」
「・・かしこまりました。」
天霧は溜息を吐きながら、店の手前にある道路に停めていた車のエンジンを掛けた。
「いらっしゃいませ~」
「塩サバ定食、ひとつ!」
「はいよ!」
店が開き、モーニングには出勤前に腹ごしらえをしようと、サラリーマンやOLが次々とやって来た。
「ご馳走様でした!」
「また来てくださいね!」
「あ、お弁当の注文、お願いします!」
「はい!」
コロナ禍でテレワーク(在宅勤務)となる企業が多い中、テレワークが出来ない接客業や教師、配達業者などがランチ時に店にやって来ては弁当を注文するので、漸く歳三達が遅めの昼食を取れるようになったのは、昼の二時位だった。
「なぁ、キッチンカーが届くのは明日なんだが、これから店と同時進行で進めるのは、少し難しいかもしれないな。」
「あぁ。定休日にやるとしても、一日中やる訳にはいかねぇな。ちゃんと時間を決めねぇとな。」
そんな事を二人が話していると、店の入り口の方から子供の声が聞こえて来た。
「すいませ~ん、誰か居ませんか!?」
(何でこんな時間に子供が?)
「トシ、どうする?」
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