昨日放送していた、NHKのヒストリア。
ふだん何気なく食べている「和食」はどのようにして生まれて、ここまで来たのかをわかりやすく解説してくれていたので、
是非、番組をオンデマンドなどで見てほしいと思います。
ここに、私が覚えている範囲で要点だけ書くと、
1 平安時代の料理は、高級食材(例えば、鯛とかあわび)を使っているものの、切って並べただけのものだったが、
1200年に生まれた道元(永平寺を開く)が宋へ渡って、禅宗と一緒に精進料理をの作り方を伝えてから、味付けという料理本来のものになった。
「料理を作る」ということは生活の一部であり、修行の一つというのが中国の考え方。
2 かつおと昆布の「だし」により、味付けが非常によくなった。(しかし、この頃はまだ、醤油はなかったらしい)
料理は段々と派手になり、武家では、家来が主君をもてなすための宴会料理が発達し、今の膳の盛りつけで何膳もの料理を1人に出すようになった。
3 千利休は、その高級すぎる料理から「侘び」のこころに主眼を置く、「1汁3菜」の料理を主人自らが、お客に振る舞った。
そこには、品数は少ないものの、もてなしのこころによる、配慮が出ていた。これが懐石料理のルーツ。
(例えば、かまぼこは、今ではスパーで買ってきて、切るだけのものだが、
当時は、魚をすりつぶして、焼くまで工程があり、客にその温かい配慮が伝わるものだった)
というようなことである。
うーん。非常にためになる話であった。
ふだん何気なく食べている「和食」はどのようにして生まれて、ここまで来たのかをわかりやすく解説してくれていたので、
是非、番組をオンデマンドなどで見てほしいと思います。
ここに、私が覚えている範囲で要点だけ書くと、
1 平安時代の料理は、高級食材(例えば、鯛とかあわび)を使っているものの、切って並べただけのものだったが、
1200年に生まれた道元(永平寺を開く)が宋へ渡って、禅宗と一緒に精進料理をの作り方を伝えてから、味付けという料理本来のものになった。
「料理を作る」ということは生活の一部であり、修行の一つというのが中国の考え方。
2 かつおと昆布の「だし」により、味付けが非常によくなった。(しかし、この頃はまだ、醤油はなかったらしい)
料理は段々と派手になり、武家では、家来が主君をもてなすための宴会料理が発達し、今の膳の盛りつけで何膳もの料理を1人に出すようになった。
3 千利休は、その高級すぎる料理から「侘び」のこころに主眼を置く、「1汁3菜」の料理を主人自らが、お客に振る舞った。
そこには、品数は少ないものの、もてなしのこころによる、配慮が出ていた。これが懐石料理のルーツ。
(例えば、かまぼこは、今ではスパーで買ってきて、切るだけのものだが、
当時は、魚をすりつぶして、焼くまで工程があり、客にその温かい配慮が伝わるものだった)
というようなことである。
うーん。非常にためになる話であった。