徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

「平民宰相」原敬が残したことを再確認しましょう

2018-03-17 14:39:31 | ひと
原敬「平民宰相 知られざる素顔~切り開け!協調外交への道」


昨日の歴史秘話ヒストリアで第19代内閣総理大臣原敬氏のことが放送されていた。

その番組の中でもかなりのことがわかったが、もう少し詳しく勉強するためにと思ってyoutubeを見ているとこのチャンネルに出会った。

それを見させていただいて、感じたことを少し書かせていただくと、

1 今からちょうど100年前に(1918年9月)に日本で初めて、選挙により選ばれた政党(当時の立憲政友会)の党首が総理大臣に選ばれたこと。(当時の選挙は男性で10円以上の税金を納めている人だけが投票権があった。税金を3円に引き下げても、まだ、男性全体の1/4にしか投票権はなかった)
しかも、原は親が盛岡の士族だったにもかかわらず、あえて、平民となり、その地位についた。

2 当時は、第1次世界大戦が終結した年だったが、前年のロシア革命によりロシアとの戦争状態にあり、そこからの撤兵が急務だったが、アメリカの突然の撤兵もあり、それを山県有朋を説得し実現することができたこと。
(当時軍は内閣から独立して天皇の統帥権の管轄下だったので、シビリアンコントロールをめざした)

3 基本方針は「強兵」より「富国」におき、貿易により国を富まそうとしたこと。

4 第1次世界大戦の後は、アメリカが世界のリーダーになることを180日間の世界一周旅行により見聞し、予見した。

5 国内産業の育成のために鉄道網を全国にめぐらせたこと。(これが後に「我田引鉄」と言われる)


◎しかし、1921年11月4日、組閣後3年目にして、東京駅の丸の内構内で青年により短刀で暗殺される。
もし、暗殺されずにいれば、第二次世界大戦へ日本は進まなかったたかも?とまで言われている。

そして、重要なのは、世界の平和・協調外交をいかにして確立するかということ。
自分の国さえ良ければという考えからは、悲劇が繰り返されるということ。

そのためには、原敬待望論ではなく、国民一人ひとりが日本のことをよく考えて、行動しなければいけないということだと思う。(こう書くのは簡単ですが)
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