フランシスコ・ローマ教皇が来日して、核のない平和な世の中の実現を訴えた。
長崎や広島の被爆地にとっては、非常に嬉しいことである。
しかし、日本全体としてこの訴えは届いただろうか?
米国の核の傘に守られ、世界で唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約には反対の立場なのだ。
確かに、もし、米国との同盟がなく、核兵器を持たない日本がどこかの国に攻められた場合、どうするのか?という問題はある。
しかし、教皇の訴えは、正論である。世界が一つになり取り組めば、解決できそうな気もする。
しかし、どこかの誰かが戦争を始めた場合ということは有りうることだ。
だから、非常に難しいのが、この防衛論だ。
そのことは置いておいて、今朝の毎日新聞の福島論説副委員長はこう書いていたので、気になった。
私なりに解釈すると、(大部分は引用だが)
教皇が求めていたのは、地球を含めた「いのち」を守るということだ。
東日本大震災での原子力発電の事故が示す核エネルギーも含めた現代の技術革新のあり方そのものが問われているという視点だ。
「ぜいたくで便利な生活」から「控えめでつつましい生き方」へのライフスタイルへの転換が求められているのかもしれない。