昨日放送の藤堂高虎(1556-1630)
(ウィキペディアより)
地元伊賀の藩主だった人であるが、名前同様、また、身長同様(190cmあったとか?)スケールがでかい。
メモを全くとっていないので、うろ覚えで書くと(詳しくは、NHKオンデマンドとウィキペディアで)
氏は滋賀県の小領主の息子として生まれ、主を転々と変え、(今では裏切りのように思われるが、当時儒教が根付くまでは当たり前)出世していった。
最初は浅井長政に仕えていたが禄がなく、主人を変えても20石~80石程度だったが、豊臣秀吉の弟の秀長に認められて大名となる。
その後、徳川家康、秀忠にも重んぜられ、人生を頂点で全うする。
その間、特に凄かったのは、
1 類い希な大男で、武術に優れていたこと。
2 自分が信頼できる主君に次々と替わっていったこと
(それが、ことごとく良い方向だった)
3 部下をかわいがり、自分(高虎)に殉死すると申し出た者を家康の命令でさせなかったこと
4 単に武術に優れているだけでなく、築城名人として数々の城を構築
(石垣が高く、多門櫓では相手を殲滅する仕掛けをしてあったり、弓が届かない堀を作ったりした。)
◎特に、忠義心が熱く、常に危険な先鋒を勤め、主君に危機あればすぐに駆けつけて相手を退散させた。
(ウィキペディアより。右の旗印が藤堂のもの)
また、忍者集団も養成し、徳川を守ると友に、幕末のペリー来日の時に明治政府の要人と一緒に交渉について行ったとか。
時代の流れをしっかりとつかんだ名君だ。
一度、大河ドラマになることを期待する。
(ウィキペディアより。津にある銅像)
(ウィキペディアより)
地元伊賀の藩主だった人であるが、名前同様、また、身長同様(190cmあったとか?)スケールがでかい。
メモを全くとっていないので、うろ覚えで書くと(詳しくは、NHKオンデマンドとウィキペディアで)
氏は滋賀県の小領主の息子として生まれ、主を転々と変え、(今では裏切りのように思われるが、当時儒教が根付くまでは当たり前)出世していった。
最初は浅井長政に仕えていたが禄がなく、主人を変えても20石~80石程度だったが、豊臣秀吉の弟の秀長に認められて大名となる。
その後、徳川家康、秀忠にも重んぜられ、人生を頂点で全うする。
その間、特に凄かったのは、
1 類い希な大男で、武術に優れていたこと。
2 自分が信頼できる主君に次々と替わっていったこと
(それが、ことごとく良い方向だった)
3 部下をかわいがり、自分(高虎)に殉死すると申し出た者を家康の命令でさせなかったこと
4 単に武術に優れているだけでなく、築城名人として数々の城を構築
(石垣が高く、多門櫓では相手を殲滅する仕掛けをしてあったり、弓が届かない堀を作ったりした。)
◎特に、忠義心が熱く、常に危険な先鋒を勤め、主君に危機あればすぐに駆けつけて相手を退散させた。
(ウィキペディアより。右の旗印が藤堂のもの)
また、忍者集団も養成し、徳川を守ると友に、幕末のペリー来日の時に明治政府の要人と一緒に交渉について行ったとか。
時代の流れをしっかりとつかんだ名君だ。
一度、大河ドラマになることを期待する。
(ウィキペディアより。津にある銅像)