徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

藤堂高虎は乱世を実力で渡り歩いた!(知恵泉を見て)

2015-09-30 19:48:32 | ひと
昨日放送の藤堂高虎(1556-1630)
(ウィキペディアより)
地元伊賀の藩主だった人であるが、名前同様、また、身長同様(190cmあったとか?)スケールがでかい。

メモを全くとっていないので、うろ覚えで書くと(詳しくは、NHKオンデマンドとウィキペディアで)
氏は滋賀県の小領主の息子として生まれ、主を転々と変え、(今では裏切りのように思われるが、当時儒教が根付くまでは当たり前)出世していった。

最初は浅井長政に仕えていたが禄がなく、主人を変えても20石~80石程度だったが、豊臣秀吉の弟の秀長に認められて大名となる。
その後、徳川家康、秀忠にも重んぜられ、人生を頂点で全うする。

その間、特に凄かったのは、

1 類い希な大男で、武術に優れていたこと。

2 自分が信頼できる主君に次々と替わっていったこと
  (それが、ことごとく良い方向だった)

3 部下をかわいがり、自分(高虎)に殉死すると申し出た者を家康の命令でさせなかったこと

4 単に武術に優れているだけでなく、築城名人として数々の城を構築
  (石垣が高く、多門櫓では相手を殲滅する仕掛けをしてあったり、弓が届かない堀を作ったりした。)

◎特に、忠義心が熱く、常に危険な先鋒を勤め、主君に危機あればすぐに駆けつけて相手を退散させた。
(ウィキペディアより。右の旗印が藤堂のもの)

また、忍者集団も養成し、徳川を守ると友に、幕末のペリー来日の時に明治政府の要人と一緒に交渉について行ったとか。

時代の流れをしっかりとつかんだ名君だ。
一度、大河ドラマになることを期待する。

(ウィキペディアより。津にある銅像)


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