徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

病院で死ぬということ(FROM NHKドラマスペシャル)

2014-01-02 18:40:17 | テレビ番組

 昨年2月25日に放送された番組を録画してあったのを、本日見たので、感想を書いておく。

 舞台は岐阜県 白川村

 1000年以上前から続く合掌造りの家を守ってきた母(渡辺美佐子)が末期がんで直る見込みがない中で病院を退院して、自宅に戻るところから番組は始まる。

 娘(西田尚美)は東京暮らし。東京の病院へ行くように説得するが、母は行かないと言う。

 そして、亭主(高橋克典)に母を説得してきてくれと頼み、高橋は次男を連れて白川へ。(長男は受験勉強で忙しく西田と共に頑張っている)

 しかし、そこは、高橋が想像していた以上にたいへんな所だった。朝早くから、牛の世話や

農作業が続き、夜は漬け物つけの手伝い。

渡辺:私は朝の4時半に起床して、大変な苦労を重ね、大舅、大姑、舅、姑、夫と5人を看取ってきた。それが当たり前やった。世話をしているのに、大舅なんかは用もないのに、腕につけたひもをひっぱり、夜に起こされた。いばりんぼうのじいちゃんやったが、一人の夜は恐かったんやろな。

そして、漬け物ようしたね。と高橋をほめてくれた。

高橋は、古い樽につけ込まれ、大きな石を自分でのせたふたを見つめる。

翌日、渡辺は高橋に卵焼きや味噌汁を用意。その温かさに感動する。

次男は就職浪人中。かあさんは俺にがっかりしているとこぼす。

渡辺はそんなとき、そっとみかんをほほえんで渡す。

高橋は、実は家電の営業部長だったが、今では家電部門はなくなり、9時17時の生活。

そうして、田舎の寄り合いで酒を飲んで帰ってきたら、渡辺は倒れていた。

女医(山口紗弥加)によると、「これから段々悪くなり、立てなくなるかも?」

渡辺は「病院には行かない」と寝床でつぶやく。

翌日、次男は外の様子をスマホにとって、渡辺に見せてあげる。「よくとってくれたな」(渡辺)

高橋は村にある特別養護老人ホーム(かえで荘)を訪ねる。そこでは、あの女医の先生が看取りもしているとのこと。

高橋は渡辺にそこを勧める。

翌日、渡辺はそこへ行く決心をする。たぶん下の世話を考えてのこと。

そんな時、村の年寄りでかえで荘に入院していた人が亡くなる。その人は「ここが俺の家だから家に帰らなくていい」といって死んだ。それが本心か?

渡辺(病床で)「会いたいものはみんな家にいる」

女医の過去:神戸の震災で家族を失う。「家族を看取れるということは幸せなんじゃないか

西田「あの人(渡辺のこと)は自分の人生を押しつけて、自分の介護を家でいろっていうが、そんなのはいやだ」

渡部「いざ自分が死ぬっていう時には、自分の家族はおらん」

女医「高橋と次男がいるじゃないですか」

渡部「婿や孫になんか甘えられんわ

女医「背筋ちゃんと伸ばして生きてきたんだから、堂々と生きて下さい」

ある日の朝、毛糸が自分の腕につけられ、片方が高橋につながれていることを知り、笑う。

死期がせまったある日、渡部はベッドに荷物をまとめて高橋が来るのを待っていた。

そして、家へ帰るとそこには村の人々の温かい出迎えがあった。

結婚した時のことを思い出す渡部。家は代々引き継がれ、繁栄していくと期待されていた。

姑のきつい注文。娘の小さい時を思い出す。家に帰った喜びにあふれていた。

「許してよ」と小さく高橋にささやく。

その頃西田は長男の受験に車で送っていた。

たんすの一番下の大島紬。娘には結婚の時にあげなかった。何にも教えてあげられなかったと後悔。

高橋は正月?に急遽七福神の役をさせられる。そのとき、携帯がピピピ!!!

渡部は危篤状態に。そして、高橋から西田に携帯で呼び出し。

ゴジャゴチャ言うな。親の死に目以上に重要なことがあるわけないだろ!!!」

そして、西田は車で渡部のところへかけつける。やっと、会える。

「よう、帰ってきたなあ。」(渡部)「母ちゃん、母ちゃん」(西田)

それが、最後の会話となってしまった。

そして、お葬式。

「久子さんのごはんが食べられなくなる」とか「もう、叱ってもらえんようになるな」とかなつかしむ。

かぶらをつけた浅漬けが、うまく赤くつかっていた。

高橋「俺だったら、最後をどこで迎えたいだろう?って考えた。それはわからなかったが、誰の顔を見たいだろうということはすぐに想像できた。」

(結論)

◎病院で死ぬということが悪いのではない。家で死ぬとか病院で死ぬとかの問題ではなく、誰が最後までその人に寄り添ってあげるかが大事なのだ。もちろん、一番寄り添ってもらいたいのは配偶者であり、子供であろう。そうして、自分が育った家で死ぬということは、それを支えてくれる人があればこそできることということなんだろう。

自分がどこまでしてあげられるかが問われてくる

(備考)

ちょうど、本日のNHKで世界遺産である白川の合掌づくりのことが取り上げられていた。

あの建物は、くぎをつかわずにしなやかに柱をとめている。屋根は300人くらいの村人が総出で(結という)助け合う。冬場の雪は2m以上。

 

 

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