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日本語の特異性と日本人の脳

2018年12月13日 21時39分54秒 | 天文学と宇宙論
 心というものが今も未知であるように、脳神経の生理が未知である時代が長く続いた。心理学がそれを代用して現象と原因を説明していた時代がある。精神活動の結果としての「記憶の再生」や、思考発想などの頭の中で記憶が関係するデータの融合されると、発想が生まれて理解と言う認知の特徴が定着する。人間の空想の力は未知の事だが、それは内に蓄えられたデータが、相互に相関する現象と捉える事も出来よう。不思議なことですが、自然に問題の解決の方向に進む、解決され理解が出来る方向に自然に進むのです。心と言うか脳神経機構は、この様に自律的な問題解決のサイクルを、すでに生得的に持って居る。これは全くの不思議な事だが、人間の意識下には「自覚的意思のサイクルとは異なる」、もっと基本的で、今現在では、それが何であるかを言えないが、生命体に内在した自然的なサイクルが働いているのではないか?と確信している。 それは普通に言う分析的(単一の対象を出来る限り細かく分けてゆく)で解析的(剛知的な関係を突き詰めてゆく)な、理性とか合理とかと云う事とは異質で異なるものだ。その力やサイクルとは?、何か生命を生んだ根源としての宇宙的で、それは、今までの手法では中々把握できない性質のものだ。これは、何か月並みな方法論では捉えられない、原理現象で動いている様にみえる。また記憶はどの程度までその最初にまでたどる事が出来るのか。音や映像は、どの様な仕組みで心の中に形成され、保存されるのか? また記憶はどの様にして貯蔵され、どの様にして取り出されるのか?こう言った動作と仕組みは、現代では「脳神経科学」の問題として扱われて居て、生理学や薬理学を通じた研究の重要な問題テーマとなっている。

 誠に、困難の多い分野であるが、我々が話す「日本語」に起因した脳活動の特異性を、聴覚の分野から解明した研究がある。東京医科歯科大の角田忠信氏のご研究である。彼は聴覚の感受性を使って、コトバと脳の関係、特に中心的脳の情報伝達メカニズムを解明しょうとして邁進されて来た。中でも角田さんの研究は、聴覚の特性を十二分に応用し、大脳の左脳右脳の差異と特質を中心に、その活動性の原因を追究してきたのであった。これは極めて興味深い、一つの現象を露わにしたと思う。それは日本人の特性とは何か? 言語としての日本語の特徴とは何か?と云う問いを、新たな問題を背景に我々に突き付けた重要な研究であった。

角田忠信氏の書かれた「日本人の脳」と「左脳と右脳」を見ながら、その論点の本質と展望を記述してみたい。

 「日本人の脳」の論文の帰結は、聴覚反応の研究から世界中の多くの言語を使用する民族の中でも、特に「日本人の反応の特異性」について発見された事に基づいて書かれた論述である。また「右脳と左脳」は、その後に継続された研究から得られた展望であろう。最初に、特に日本語の特質である母音に関する効果の特異性が語られる。どんな民族でも、その特有のコトバを持って居る。つまり母国語である。外国では自分の生国を、母国とは一般的には謂わないのだそうだが、父国というのだそうです。「ファーザーズ・ランド」でしょうかね?。だとしたら文化人類学的に日本と言う国の成り立ちは、母性に起因して居るとされて然るべきでしょう。日本文明の特徴も、深く母性と係って居る。そう云う事が言えるのでは無かろうか?文化人類学という建物は、多くの柱と柱を支える基礎から出来ていますが、その基礎となる物には、哲学、言語学、数学、物理学、化学、生物学、神話学、宗教学、栽培農学、本草学、経済学、植物学、医学、建築学、伝承民俗学、などが在り、その諸々の基礎の上に建つ建物と云う事が出来ます。例えば国民性とは社会環境の必然的産物です。またその逆も(社会自然環境が国民性を創る)云えるか?国民性はその国民の持つ遺伝的要素の反映と考えられなくも無い。

我々の六識で把握される世界というものは、生物の持つ感覚で把握された総合の上に築かれたビジョン(幻映)と云う事も云える。私達の目の前に広がる世界というものは、感覚の統合が捉えた情報から成り立っている。それは昔の仏教の思索者たちである唯識派が研究した(識)の捉えた情報である。五識とか六識とか云う感覚系統が得た情報の分析のことで、目・耳・鼻・舌・触・識、等の、感覚器官が捉えたモノの上に統合された、実在感のイメージなのである。この他にも、内蔵された「本能」という、意識下の貯蔵データがあるのだが、それは今は挙げない。この五識の中でも、特に目と耳は、世界の様相を形づくる主要な感覚であり、事実上これに因って私達は世界と云う物の実体観を持つことが出来る。


さて視覚と聴覚の何を調べるのか?という事ですが、角田忠信氏の研究は聴覚を基にした左脳と右脳の違いの基本的な特質を確かめようとしたのです。聴覚は、視覚と共に人間の日常生活に欠かせない最重要な感覚器官です。この機能が損なわれると、通常の人間的な自律的活動が不能になります。所謂、障碍者として何らかの介助が必要になります。それ程重要な機能です。これまでの経験は、左脳と右脳の機能の違いは、失語症の患者や脳梁を癲癇などの治療の為に脳梁を切断した人の調査から、ある程度は分って居ましたが、例が豊富では無い為に、確定的な事は謂えなかった。


それにしても重要なのは言葉であると感じた。日本語の基本形は母音が語尾につくことです。このために日本語は、聴く者に非常に柔らかい感じを与える。それは飽くまで、表面的な事柄に過ぎないのですが、最も重要な事は、自然音に対する日本人の脳内スイッチ機構の作用です。「思考と言語」の、関係を分析する際に、音から意味を誘導し導く機構が一番の探究の問題です。コトバの問題で、ここの関係とメカニズムが最も重要な部分です。


 言葉の効果により脳の機能が決定されるのだとしたら、言葉はその民族の特性を決定する。この事の重要さは幾ら強調しても好い。我々はどんな言葉も、つまり通信の手段であって、質の差は無いだろうと高を括って居た。しかし、どうもそうでは無いらしい。根源的な問題は、意識の創生の問題だ。生命体に如何にして意識が発生するのか?勿論、5感という様に、感覚器が神経網の脳に上がって意識を創りだすのだろうと予想するが、その辺は未だ丸っきりのBlack・Boxで合って、議論すらまだ出来かねる。ただ、言語に関してだけは、或る意味では対象が明快であるので、これは議論の余地がある。言葉は最も身近でありながら、その基本的な源泉は錯綜して居て、余程、強い知能が無いと、その洞察は難しい。もう少し、言語の根本問題と展望を考えながら書いてみょう。


さて、根源的案問題を箇条書きに表すと。
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