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フッサールのアイデアとしての現象学

2023年02月24日 14時01分22秒 | 心理哲学

 フッサールの言い出した現象学は、すでに100年以上の伝統的なものであるが、今でもその現象学を学ぼうとする人もある程度は存在する。現象学とは何か?、という著作が後を絶たず出版されている事を考えれば、この研究分野が心理学であることを知らない人が多いのではないか?。過去にも大學の哲学科では、この分野の学は、大いに持て囃されていたことでしょう。元々は、ワイェル・シュトラウスの下で解析数学を専攻していたフッサールが、哲学に行路を変えたのは数学よりも面白いものに出会った為と想像します。いったい何に出会ったのでしょうね?。直接的には、それはウィーンの心理学者フランツブレンターノの講義だと謂われています。数学から哲学に方向を変えたのだが、フッサールが言う現象学は、つまりは「新心理学」のことです。心理学の新世界を開く事で哲学の拡張を行うそれが現象学です。いわゆる意識とか、論理とかと云う処の心の学問です。こころ、意識、論理、認識、言語、など、内的世界の探求の方法論を、もっと厳密に強力に探求したかったのだと思います。当然の事ですが心理学にも係わらず、彼の著作には論理学や認識論、存在論、などの概念い付いて、新心理学の立場からの反芻、解析、が成されています。

私は永いこと、現象学という哲学の分野が、実は新心理学であることを認識して居なかった。現象学とは、所謂、思弁哲学のひとつだと思っていた訳です。それで書いていることや目的方法などが、厳密に何を持って為し得るのか?、フッサールが書く物は、私に言わせれば大言壮語の観があり、探求をコトバで行っており、空想力を駆使して物事を書いています。然し、彼のアイデアはすでに古代インドの仏教で探求されています。ことに拠ったらフッサールよりも深い段階に在ります、いわゆる唯識です。唯識派は世界の様相を意識で捉える方法の限りを尽くしました。唯識三十論、唯識二十項、彼らはここに数学的方法論を加えれば、もっと凄い次元に達した事でしょう。現象学はつまり意識経験の学であるから、認識現象の根源を拓きたかった。それで(内的時間意識の現象)学、等をで出しで書いた。この題名を読めば心理学であることは明白であるのに、若い私は気が付かなかったのです。いったん、現象学が心理学の新種の一種であることに気が付けば、なにも難しいことは無い。

我々の認識探求の方法論は、①として、まず現象の次元での問題の発見です、つまり現象問題の観察です。それが出来たら②にとして、本質化です、いわゆるモデル化です。モデル化と言うのは数学的な抽象化の面や実際の構造モデルを創る場合もあります。次には、その抽象化をもって新たな枠組みを知ることです、どのようなシステムで動いているか?つまり有機体の全体像を察知する、それが本質化です。そして次には③として、その段階を経て得られたモデル、や数学的な背景を使い、現象の本当の認識段階に達する。そして自然現象の全体像を把握し、それを用いて未だ察知されていない物事を予想する、予言したりする。そしてさらに深い認識が深まるのです。③が上手く行かないならば、②に戻る、②にが上手く行かないならば、①に戻る、と言う風に、基に返って不備を確かめる事がたいせつです。新種の心理学であることを認識すれば、さらに好いアイデアが出てきますし、フッサールの遣っている事は、なにも難しかったり謎では無くて、月並みなことが認識できます。それ故に、数学の現象を最初に開拓したかったため、論理学の心理的基礎を追求します。論理学研究と言う書物が在りますが、形式論理学の心理的基礎を探求しています。この分野に関連ある人が居ます、それは余り恵まれなかったG・フレーゲという数学者、論理学者です、彼も論理学の認識的な基礎を、探求していました。彼の象徴的な著作{概念文字}は有名ですね、此れは数学とコトバの基礎にあるこころの機能について言及しています。フッサールはフレーゲの研究、人間の認識の論理化からヒントを得ています。論理学というものは、大昔からコトバと認識に関連した分野です。

大事なことは数学と心理学の垣根を取っ払って仕舞うこと、そうすると此れが非常な躍進的世界観を生む。最初に問題として認識されるのは「数とは何か?」であり、そして「その様な数を考える人間とは何か?」という問いに出くわすだろう。つまり知るとは何か?人間の認識とはなにか?という最初の根源的な問い、生命と外部世界の最初の根源的なものに出会う。自明の道理を不思議と感じるか、そうで無いか、我々一般人は、数とは何かに付いて議論するなど時間の浪費だと思っている。そんな詰まらぬことを真面目に思案するなど愚人のやることだ。そんな事より明日の飯の種を探す方が賢い者のする事だと言うだろう。このあと、少し続きます。

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