前から見たことはあったけれど、
特に気にも留めていなかったものが素敵に見えることがあります。
この影絵のピラミッドもそんな作品のひとつ。
4つの絵がセットで入っています。
少し前まで知らなかったのですが、
上の星がピラミッドと同じでろうそくの熱でくるくるまわるのです。
そのくるくるまわるのをずっと見ているのが夜の私の楽しみになっています。
毎週新しい絵にしてアドベントの期間の楽しみにするつもりです。
そして、もうひとつがDDR時代の包装紙。
プレゼントにもらって大切に残していて、
どうやって使おうか悩んでいたのですが・・・
携帯のカバー用にカットしてみました。(笑)
クリスマスまでこれでいきます。
友だちにも可愛いね・・・って言ってもらえた。(笑)
父親が昔使っていた、東ベルリンの地図。
敵対する西ベルリンは、見事に白い!!
旧西ドイツ出身の相方君はびっくりしていました。
そして、もちろん西側の地図も東側は白抜きでした。
ドイツ語・ロシア語そして英語が続きます。
この前の州議会選挙を見ていても、再統一から30年以上経っているのに
『旧東ドイツ』と『旧西ドイツ』の溝が一向になくならず、
むしろ以前より深くなっているのでは?と思います。
再統一を自分の支持率回復と選挙のために、
強行した当時の政府。
そのあとに旧東ドイツ市民へのケアを怠っていたことが、本当に今になって
問題として出てきている感じがします。
私がドイツに来た年は、再統一から7年しか経っていなくて、
再統一によって、両親が失業したという友人が何人かいました。
当時の友人たちが抱えていた、新しいドイツに対しての不満というのが
解消されないまま、若者だった私たちもいい年になり・・・
41年分断されていたドイツ、あと7年で再統一から41年。
この溝が埋まるのだろうか・・・と考えてしまう、今年の統一記念日です。
数年前に出会った本の著者が、
東ドイツ時代には民俗学の権威のある人物という事を最近知りました。
そして、数か月前に見かけたこの本の著者も同じ。
お値段がまだまだ高いな・・・と思いながら諦めていたりしていたんですが
最近、納得できるお値段で本を見つけることができたのです。
博物館などで見かけていた、卸売業者が使っていたカタログ。
おもちゃはもう残っていなくても、これでどこの工房が製作していたなどが分かるんです。
この本は、1850年にZschopau近郊の村Waldkirchenに創業した、
卸売業者のカタログがメインになっている本です。
Grünhainichen, Seiffen近郊の工房のみを扱っていたようです。
たくさんの情報が詰まっている本。
パラパラと眺めて理解するというよりは、ちゃんとメートにメモを取らないといけないという感じなので
時間をしっかりとって数時間集中して読まないと頭に全く入ってこない。(笑)
詳しい内容は、しっかり読んだ後に書こうと思います。
それにしても、東時代の本は装丁も立派で本当に1977年の本なのに綺麗です。
クリスマスの時期少しだけ食べたくなるものに、Lebkuchenがあります。
チョコレートがそこまで好きではないので、
少しだけ食べるので十分なのですが(笑)
数年前に、テレビの番組で紹介されていたPfefferkuchenがずっと気になっていました。
ドイツの中でも旧東のザクセン州・チューリンゲン州では、
LebkuchenではなくPfefferkuchenと呼ばれているようです。
Pulsnitzで作られるているのが有名だそうです。
昔は、Pfeffer(胡椒)はスパイス一般を表す名称だったんだとかで、こういう名前がついています。
胡椒のケーキっていうわけではないようです。(笑)
小さな工房で作られているものが食べたくて・・・・
9軒今でもPfefferkuchenを作っている工房があるようですが、どこが美味しいのかわからない。
毎年11月の最初の週末に開かれる、Pfefferkuchenmarktには町にある9軒の工房が集まるみたいなので
好みのお店を見つけることも可能だよな・・・・とか思ったり。
でも、遠くて行けるわけでもなく(笑)
コロナ以降ネットでも買えるようになっていたので、
日本へのお土産にもしたくて、気になっていたお店で頼んでみました。
可愛い箱に入ってやってきました。
あえて昔からある紙袋のものを頼みました。
箱を開けた瞬間から、フワッと懐かしい香り。
小さいころのクリスマス、
学生時代過ごした街のクリスマスを思い出させてくれる香りです。
シナモン・カルダモン・アニス・クローブ・はちみつなど
9種類のスパイスが入っている生地に、
木苺とスグリのジャムが挟んであり、
それがチョコレートでコーティングされています。
さっそく試食。(笑)
美味しかった!!!
私は、Lebkuchenより好きかも。
母親と妹は昔の懐かしい味思い出してくれるかな・・・
ふらりと久しぶりにのぞいたら見つけたもの。
エルツのSandmännchenの作品。
たまにピラミッドでは見かけたことはあったのですが、単体では初めて。
というか単体の方が飾りやすいから嬉しい。
小さなパーツ!手にはちゃんと砂の入った袋を持っています。(笑)
Sandmännchenは、
東ベルリン時代に妹弟と一緒に見ていたテレビ番組に出てくるキャラクターです。
毎晩子供が寝る前にお話をしてくれるという設定で、
子どもたちのところに乗り物に乗ってやってきます。
いろんな国の子どものところにやってくるのですが、当然社会主義国の国ばかり。
日本にはやってこないのか・・・って思ったのを思い出します。
今は赤いマントを着たりしている子もいるのですが、
私は小さいころから見慣れたグレーと緑のマントを着た子が好きです。
お天気が良くなった月曜日。
東西ドイツ統一記念日ということでドイツは、祝日です。
今年の記念式典は、Erfurtで行われるようです。
統一って言っても、西ドイツに東ドイツが吸収されたという感じなので、
お祝いするって感じでもないように思うこともあったり。
統一からもう33年が経ったんですね・・・
分断されていた期間にどんどん近くなっているのに、まだまだ東西の違いがある。
いつか、分断されていた年月と同じになったときにこの違いが昔のようになくなるのかな・・・
とふと考える時があります。
私が大好きなこの方は、統一後も残りました。だって、西側のは全く可愛くなかったもんね!(笑)
私がこっちに来たのは、統一されてたったの8年だったなんて信じられない。
でも、あの頃は半年で街の風景が変わったりしていたな。
ずっとどこか工事していたし。(笑)
今年はいろんなことがり、例年より町の中が静かに感じるのは気のせいではないような・・・
週末でも今までより絶対に人が少ないし。
これからどうなっていくんだろうって色々と考える月曜日の午後です。
ちょっと調べることがあったりして、ここ最近古い本を出してきていました。
そしたら、前にもブログに書いたことがある教科書を見つけて
めくっていると・・・
カタカナが書いてある。(笑)
8歳の私が授業でドイツ語の単語を覚えられなくて、カタカナで書いたんです。
ドイツ語が全くできないで、ドイツの学校に入れられたので、
もうストレス以外の何ものでもなかった最初の学校生活。(笑)
授業なんて、何を言っているのか分からない。
他のクラスメイトは、東欧の人ばかりだからアルファベットも書けるのに、
日本から来た私は書けるわけもなく・・・
先生が読んでいる単語を、音で覚えてカタカナで書くって感じのことをしました。
そしたら、しばらくして先生に見つかって怒られたのですが、(笑)
あの時に開いたページの絵とかは今でも思い出すのって、
多分授業中絵しか見てなかったからなんだろうな。
実家にあった、両親が大使館からもらったと思われるこの冊子は
当時の東の様子が日本語で書いてある結構しっかりした資料です。
ドイツで働きたいと思いやってきた25年前。
ビザの心配もなく、相方君と二人の生活なので経済的にも昔より安定してきている。
本当にやりたいこと、やってみたいことをちょっと真剣に考えて
すすめてみようかな?って思い始めています。
大変なことがあっても、8歳の頃よりはずっと楽だしね。(笑)
色んなことをドイツ語と日本語で調べたりできるようになり、
ドイツ語できるようになれてよかった!って思う日々です。
縁があって我が家にやってきた、
年代物のくるくるした木、Spanbaum㊧(シュパーンバウム)
木の裏には、German Democratic Republicのスタンプが(笑)
これを見たときに、なんか納得してしまった私。
今見るみたいに、先がとんがってなかったり、
全体が綺麗なフォームじゃなくて、木の先がささけていたり・・・
東時代だから、きっと素材も今ほどいいものがなかったのかな・・・と思ったり。
こうやって、つくられるんです・・・
工房で、これを見るのが結構好きです。
以前から、Spanbaumが好きだった私。
クリスマスだけでなく、年中いろんな物と一緒に飾っています。
だから、少し歪だったりしても気になりません。
だって、自然の森もいろんな形の木があるしね、
どこまでもモノは考えようです。
以前、相方君にSpanbaumの森でも作る気?って言われましたが、
本当にできてしまうかもね・・・
買う時期が違ったり作り手さんが違ったりして、
同じ大きさでも同じものがないSpanbaum。
やっぱり好きです、シュパーンバウム(笑)
例年なら、父親がこの時期ドイツに来ているので
日本の友人や妹夫婦・弟家族のクリスマスプレゼントを託せるのですが、
今年は送らなければいけません。
2Kgまでの小型小包で送りたい私としては、プレゼントの中身に悩みます。
両親への荷物は、母親から頼まれたものを入れたら余裕で2Kgを超えたので、5Kgの荷物で送ることにしました。
母親に頼まれたものの一つがこれ。
Bastelbogenと言われる工作。
切り取り線にそって切ったり貼ったりしたら、いろんなものが作れるんです。
私が子どもの頃に母親が買っていたのは知っていたのですが・・・
今でもケムニッツの会社で作られているんです。
例えば、サーカス。
下のサイトでは、出来上がりの作品が見えます。
難しいのは、お母さん、お父さん、おじいさんやおばあさん
おばさんと作ってくださいねって書いてあるのがほっこりする。(笑)
クリッペがあったので、
工作が好きな友だちの娘ちゃん用に私も買いました。
こうやって素敵な可愛いものを探すのってやっぱり楽しい!
去年のクリスマス前の蚤の市で買ったエルツのもの。
パイプを吸っているお爺さんと編み物をしているおばあさん。
東ドイツ時代のものなので、どこの工房で作っていたのかも分からない。
そうしたら、最近インスタへの書き込みで・・・
この作品名がFüchtner工房の「Feierabend」エルツの方言では、「Ferierohmd」
日本語では、仕事の後に。ということを知りました。
Füchner工房と言えば、くるみ割り人形が有名です。https://www.fuechtnerwerkstatt.de/
私も以前母親と、歩いて町はずれの工房まで行きました。
住所だけをみていたので家と家の間隔が田舎なので離れていることまで考えていなかったんです。
今となってはいい思い出です。(笑)
工房のHPを見ると、テーブルの飾りというカテゴリーのところに木こりのおじさんの写真がありました。
東ドイツ時代の作品は、工房名が分からないことが多いので、
こうやって教えてもらえると嬉しいです。
7年前に近所にあった切手屋さんが閉まってしまいました。
友だちと一緒に行ったり、
私一人でふらりっと行ったりと結構通っていたんです。
そこで購入した、東ドイツ時代のエルツの工芸品をモチーフにした、クリスマスの記念切手。
特にこのピラミッド、シュビップボーゲン、木のシャンデリアの三点セットは
フレームに入れて飾りたいシリーズです。
インスタで、お友達がこのピラミッドの写真をアップされているのを見て
懐かしくて出してきました。
日本のもそうだけれど、昔の切手は本当にデザインも色合いも綺麗です。
特に、拡大してみたら綺麗なのを再発見!
おまけ
この間、実家から届いた郵便の切手はこれでした!
シートで持っているのが、ぐりぐら冬バージョンでこれは
持っていなかったから嬉しい。
先週、久しぶりにネットのオークションサイトをのぞいてみました。
ここ最近オークションサイトで買い物をしていなかったのです。
そしたら、東ドイツのクリスマスのものの中にこんなものを見つけました。
私も毎年使っているオーナメントのセット。
以前母親から譲ってもらったものに、
自分で随分前にオークションサイトで買ったものを追加して使っています。
このオーナメントとシルバーのクーゲルがメインのうちのクリスマスの飾り。
今回は、10個セットのケースが6箱まとめて出ていたんです。
それも未使用でレトロなケースに入っています。
60個も要らないのですが(笑)
クリスマスプレゼントにエルツのものが好きな人に渡そうと思って買いました。
というのも、今このタイプのほとんどオーナメントは作られていないのです。
30年以上前に作られたものが、どこかの倉庫から出てきたのかな??
たまに、こういうふうにネットに、未使用の東のものが出てくるのって面白い。
大切にしてくれる人に渡すつもりです!
10年ほど前にセカンドハンドのお店で見つけて買ったもの。
東ドイツの子ども用外来語辞典です。
子ども用なので、説明とか同義語とかが外国人の私にも分かりやすいです。
10歳くらいの子どもにって書いてあるので、
私のドイツ語能力は10歳以上はありそうだ。(笑)
挿絵もちょっとユーモラスだし。
たまに、パラパラ眺めて単語の勉強?をしたり。
あと、東と西ドイツでは使っていた単語が違ったりするのも面白いんです。
例えば・・・Kosmonaut(宇宙飛行士)
Kosmonaut 元々は、ギリシャ語でロシア語Kosmonavat
1961年にソ連のガガーリンが有人飛行を世界で最初に成功したということで、
社会主義国のくにでは、それ以来Kosmonautと呼ばれ、アメリカの宇宙飛行士は
Astronautenと呼ばれているって書かれています。
他にも、こういう東西で違う単語とかあるのかな?
昨日、古いFBのメッセージなどを整理していて、
ベルリン時代の友達カトリンとの8年前のやり取りが出てきました。その時の記事☆
この間ベルリンへ行ったこともあり、そのころについてメッセージをしたら
「久しぶり・・・住んでいたところにもきたの??」っていう返事。
知っている人もいないし、95年に知り合いと一緒に行って以来行ってないという返事をしました。
でも、春ごろにベルリンに行く予定にしていると伝えると、
彼女はまだ同じところに住んでいるとのこと。
私が住んでいたところにも一緒に行こうよって。(笑)
彼女のおうちには何度か遊びに行っているし、彼女も私の家に来ている記憶があります。
私の誕生日会が楽しかったんだよね・・・って今でも覚えているらしく
同級生と会った時、当時の写真を見て話したんだよって。
そして、どうやら来年そのクラス会があるらしいので、
日程を合わせてベルリンへおいでって言われました。(笑)
カトリンは、そんなに小学生時代の記憶はないらしい。
彼女にとっては、日常生活だったしね・・・
ポツダムに家族で行った時の写真。この服が好きでよく着ていたんだよね・・・
私にとっては、毎日がかなり知らないことばかりのストレスの日々だったので、
あの時の日々は強烈なんですけどね。
でもこれが、数年住んでいたら
そこまで刺激がなかったんだろうなとも思ったり。
クリスマスもイースターも一回しか体験していないから、
あの年のことはとってもたくさん覚えているわけで。
カトリンが今でも持っているよって言う、誕生日会の写真は私はいま手元にありません。
でも、みんなで楽しくゲームをして、遊んだな・・・
っていうのは覚えています。今度、父親にアルバムを持ってきてもらわないと!
ということで、36年ぶりに同級生と来年会えそうです。
ちゃんといろんな話が今はできるようになっているので、会うのがちょっと楽しみです。
(当時はあんまりドイツ語は上手に話せなかったからね。)
結構、ベルリンに残っている子たちが多いようなので
どんな同窓会になるのかな・・・よく考えたら、同窓会なんて日本のも行ったことないよ・・・(笑)
東側からブランデンブルク門を見る。
今日は、ベルリンの壁が崩壊して30周年です。
ベルリンではいろいろなイベントがあるみたい。
近所のミニシアターで、東ドイツをテーマにした映画が上映されるので
来週一人で行こうと思っています。なぜなら相方君は、映画まで見に行くほどの興味はないから。(笑)
今回、父親が持ってきてくれたものの中に、色の褪せた古い写真があります。
父親が最初にドイツに留学していた、68年~69年頃のものです。
ハンブルクでの数ヶ月の研修の後、
ドイツ国内を旅行して、
西ベルリンから東ベルリンへ観光ビザで行った時のものだそうです。
この13年後父親は、
東ベルリンに1年私たち家族一緒に暮らすことになるんですが、
そんなこと当時は、もちろん考えてもいなかったでしょう。(笑)
61年から建設が始まったベルリンの壁ですが、
この頃の壁は、私が知っているものよりずっと低くて簡単なコンクリートのもの。
ブランデンブルク門が、こんなに近くで障害物もなく綺麗に見える。
今のベルリンの風景とは全然違う、そして私が知っている壁とも違う・・・
でも、ブランデンブルク門だけは同じ。(女神がDDRの旗を持っているけどね。)
Unter den Lindenもこんな感じ。人がいない・・・
ドイツを28年間分断していた壁が壊れて、今日で30年。
分断していた期間より、
崩壊してからの年月の方が長いことを今日知ってちょっと驚いている私。
まだまだ、東と西の格差はあるドイツ社会。
本当の意味で壁がなくなるのは、いつになるんだろうって思う今日この頃です。