奥の院(奥宮)から本宮までは歩いて15分ほどです。
のどかな場所を歩きます。

田舎を思い出しました。

雪がまだ残っています。










のどかな場所を歩きます。

田舎を思い出しました。

雪がまだ残っています。
ここから、丘に登って下ると本宮の入り口にたどり着きました。



菊の御紋です。


稚産霊命は、「古事記・日本書紀では日本の国造りの神で、五穀の神様であり、産業を司る神。伊勢神宮の内宮(天照大神)の姉神で、外宮(豊受大神)は子神と記されており、香取神宮の御祭神(経津主命フツヌシノミコト)と鹿島神宮の御祭神(武甕槌命タケミカヅチノミコト)は弟神であります。」だそうです。
ご由緒には、印旛国造 伊都許利命により御鏡の霊代として祀られる稚日霊命の霊示を受け、玉を掘りご霊代として稚産霊命(伊勢外宮の親神)を祀り、麻賀真の大神として崇めたとあります。

樹齢1300年余有年の
東日本一の大杉

拝殿の左側に大杉はあります。この場所、とても気持ちがいいです。しばし、大杉パワーを感じてください(笑)。




岡本天明の自動筆記で降ろされた
「日月神示」の天日津久神社
私が麻賀多神社を参拝したいと思ったのは、岡本天明さんが自動筆記したという「日月神示」の舞台となった場所だということを知ったからです。

★天日津久神社
ご祭神
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
天之日月神(あめのひつくのかみ、またはあめのひつきのかみ)
※自動筆記を降ろしたといわれている神様です。
◉日月神示(ひふみしんじ)
日月神示は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物。昭和19年から27年に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に八巻の神示が降りたとされる。昭和33、34年に何かが発生。(Wikipediaより)
最後の一文、気になりますね😅
何かって、何!?
そういえば、岡本天明さんは岡本太郎さんとご親戚?なんてことが書かれている記事を見かけたような気がしたのですが、今回、探せなくて、、、不思議(笑)。