”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2020年03月29日 23時04分27秒 | Weblog

3月29日(日) 雨のち曇

  煩悶と懊悩

煩悶(はんもん)と懊悩(おうのう)はどちらも悩みもだえ苦しむことの意である。煩悶は一般的に青春時代の先の見えない苦しみを表す言葉として使われる。葉室麟氏の随筆の中で老人にも青春のもだえ苦しみと同じ感覚があるのではないかと言っている。そして老人の先の見えない暗闇を歩む感覚を懊悩と書いている。どちらも先の見えない真っ暗闇を歩む感覚は良く似ている。なのに同じような意味を違う漢字で使い分けたのにはどんな違いがあるのだろうかと考えた。多分青春時代の煩悶には溢れるエネルギーをどう使ったらよいのかと言った悩みや将来への不安をぶつける場所が見つからずもだえ苦しむのであろう。一方老人の懊悩には仕事を失い友を失っていく中で何を目安に老いていけばよいのかと言った悩みや死への不安を抱えて先の見えない暗闇を歩く感覚があるのだと思う。
まぁ多かれ少なかれ老いも若きも同じような悩みを抱えているのが人間と言う動物なのかもしれない。