3月6日(金) 晴
日付や曜日の意識がなくなるってこと
先月の25日から病院と家だけの毎日。コロナ感染拡大に伴い予定がすべてキャンセルになったのは仕方ないことですが、毎日家にいると大変です。安静にしていた時はまだ良かったのですが、少し動けるようになってからは邪魔と言われたり、田舎に行って来たらと言われたり結構居場所がない。おまけに田舎の法事は遠慮がちに縮小の連絡があったり、田舎の集金は現金書留にしたりで、ただ本を読むぐらいしかない。その本も底をついてしまった。こんな生活をしていたら今日が何日の何曜日かもわからなくなってしまう。やはり週に一、二度の予定があった方がどんなに良いか改めて思った。
と言ってもまだ運動も、アルコールも禁止、コロナ禍で街にもあまり出られない。まぁ昨年ヨットを止めて、今年の活動前にと言う事でやったことだけど良かったのか悪かったのか??そう言えば同じヨットメンバーもドックを受けたのは良かったのか悪かったのか大変なことになっているようだ。
まぁ長年続けてきたことを止める時は心のどこかに穴があいて思わぬ展開があり得ると言う事だろう。生活のリズムが変わることを意識的になだらかにすることが必要のような気がする。
3月3日(火) 晴
久しぶりの外出、街はコロケットかな
昨日久しぶりに地下鉄に乗って街に出た。電車の中の人も街を歩く人もほとんどの人がマスクを着用していた。現在免疫力が低下していると思う自分も当然ながらマスク着用。付けていない人は意外とお年寄りの男性で若い人はたいがい着用していた。感染リスクの高い高齢の男性は意外と無頓着なようだ。
ところでマスクの効用については諸説あるようだがコロナ禍の現在においては効用以前にエチケットとして着用すべきなのだろう。もはやコロナ禍のエチケットとしてマスクは必須アイテムと言える。と言う訳でコロケットと言えるかもしれない。
3月1日(日) 晴
戦国時代の女の戦いとは
この一週間本を読むことと寝ることしかなかったのですが、暦はもう3月になりました。今まで溜まっていた本はすべて読んでしまい、また本屋に行かなければならなくなりました。と言ってもそんなに立派な本を読んでいる訳ではありません。最近は歴史小説を読むことが多くなりました。まぁ歴史と言っても何が真実かは誰もわからないのですが歴史的事実から想像して多分こんなことだったのかなとして小説が成り立っているのでしょう。
最近、織田信長の二女である「冬姫」や信長の妹お市の方の娘「江」の小説を読んでいて戦国時代の女性の哀しくもしたたかな半生を想像できました。まぁその中で蒲生氏郷に嫁いだ「冬姫」と秀吉の側室であるお市の方の娘茶々(淀君)の確執、冬姫と信長の側室「お鍋の方」との確執と融和など歴史の事実に即した想像には事実であるかのように感じてしまいました。そしてまさに信長の血を継いだ冬姫の戦いの哀しさに同情してしまいます。
また浅井長政に嫁いだお市の方の三人の娘、茶々、初、江の苦しみと女の戦いにも複雑な同情をしてしまいます。同じ兄弟でありながら豊臣と徳川とのはざまで疎遠なった茶々と江。あまり勝ち気でなかった江の強さが印象的です。
葉室麟氏の「冬姫」と永井路子氏の「お江さま屏風」を同じ時に読んで、淀君(茶々)の女の戦いがあまりにも嫉妬や恨みを持ちすぎたのではないかと思いました。その結果が豊臣家滅亡につながったような気がします。
何事も気の強さは必要なことですが、その中に本来の目的と異なる感情が入ってしまうと大きな過ちを犯すことになるということでしょうか?