続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

読書感想 「プラ・バロック」

2020-02-03 19:07:28 | 読書感想

特に目当ても無く本屋へ行ったときに、文庫本新刊コーナーに平積みされていた本がありました。タイトルは「アルゴリズム・キル」表紙裏のあらすじではシリーズ3作目の新刊だそうで。てことは前作があるのね。物語出だしの描写から興味をそそる感じがしたので、まず1作目「プラ・バロック」を購入して読みました。巻末の解説文だとこのシリーズは毎回たいへんな凶悪犯と対決する内容らしいので、最初から対決要素を期待して読みました。

「常軌を逸した極悪人VS苛烈な容赦なし刑事」の激突が見たかったので。

結論から言うと、大当たりを引きました。キャラ描写は簡潔、展開は丁寧かつ速度も適切で中だるみがまったくありません。場面ごとの情報開示量が的確なので、読んでいて状況確認のために読み直すという手間がほとんど無く、状況シチュエーションが脳内で映像として明確に浮かびました。これは私が読者として作品と相性がよかったせいもあるでしょう。おそらく作者と同世代なので観ているものが近く、劇中描写と自分の知る似た状況の「あの作品のあの場面」を結びつけるイメージを掴みやすかったのだと思います。そうしたとっつきの良さから内容に没頭して読めたのですが、終盤にいきなり物語から放り出されました。
なんだこれ?と混乱したものの、実はそれすら作者の仕込んだギミックでした。放り出された先には次の座席が用意してあり、そこからは物語の構造を一覧して見通せるようになっていました。


今までバラバラの散発的に配置されていた情報がわずか数行の文章で一気に繋がり、物語の最初から最後まで全部の流れが一枚絵のように頭の中で組みあがりました。なにこれすごい。頭の中に詰め込まれたパズルのピースを組み立てようとしたら、もう組みあがっていた、とんでもない超絶技巧構成でした。驚愕の真相とか、意表を突く展開ではないのです。話としてはそれほど複雑でもありませんが、その分解した記述の配置バランスと、組み立ての計算具合が緻密極まりない。物語情報のパーツ配置と回収手順、2つ両立出来て初めて成立する構成です。読んでいて美しさすら感じます。内容は暗く陰惨な話なんですけど、読後感は爽やかです。物語も構成もカタルシスがあってスカッと気分が晴れます。

では「プラ・バロック」感想。思い切りネタバレします。

クロハという女性警官が主人公です。このシリーズでは主要人物名はカタカナ表示で書かれていますが、それが読んでいて情報整理を助けてくれます。現代日本が舞台の場合、漢字名だと複数の親族関係者や地名と混ざって識別しづらくなる場合があり、以前に読んだ他所の小説では登場人物名が悉く難読文字を当てられているせいで、非常に読みづらく人物関係も覚えにくく、結局読み終えても内容は曖昧で再度読み返す気にもならなかった、という経験がありました。登場人物名というのは、劇中で起こる行動の主語です。いわばアクションの索引で、ここが曖昧=誰が何をしたのか分からない=物語がどう変わったのかわからない、ただの漢字文字列と化します。
この作品ではカタカナ表記がキャラ名=アイコンな程まで視覚的に判別しやすくしたおかげで、人物名と行動・内面描写が離れることがありません。映像なら視線誘導のテクニックにあたる手法でしょう。常に物語の動きに読者の視点のピントが合うよう計算されています。

そして主人公のクロハは、個人的にとても好みの人物でした。冷静沈着、理性的、観察力に長け、自分の力の届く範囲ならば常に全力でベストを尽くす人です。その分、自他共に態度が厳しいので目上のウケが悪く、親しい友人もぜんぜん居ません。性格は剛毅実直、詭弁を弄するのは苦手なようで、他人の悪意から身をはぐらかすのも下手です。ぶっちゃけ若干発達障害気味な人ですが、目的に向かう真剣さはたいへんストイックで無駄を排した性格と行動が、読んでいて非常に好感を持てました。私はこういう主人公を待ってたのです。状況に対して常に全力で挑む姿勢、正直ここに美貌の女性設定は要らないとすら思っています。凶悪犯罪者を追い詰める執念と狂気の追跡者が見たいので、そこに老若男女はあまり関係無く判断力と行動が全てです。

でも、少し前までのこうしたハードボイルドサイコサスペンスアクション系の主人公の多くは、強くてモテる設定のために雑念が多く、戦闘しながら恋愛にも浮かれて、ついでに家族団欒も満喫してて、ちっとも全力で戦ってないように見えてました。そのイチャつきに使う体力を戦闘にもまわしたらもっと多くの強い敵と長時間戦えるのに。真面目に戦えば苦戦もピンチも無いだろうに迂闊過ぎんだろコイツ馬鹿じゃねえのと。つまり主人公は手抜き、敵役は間抜け、ぬるい戦闘をだらだら続け劇中でモブにすごいすごいと持ち上げさせる自画自賛。今まで読んできた他の作品では大抵そんな感じでした。クロハは違ったんだよ。

しかし、これはクロハが優秀というより、私が戦闘特化主人公像に飢餓状態だったせいで、彼女が必要以上に輝いて見えてしまっただけでしょう。

文章構造やら他所への不満やらでちっとも物語の感想に入れませんね。始めに書いたのだから早くネタバレしないと。

1作目でクロハが挑むのは大量自殺事件です。上司ウケの悪いクロハは冒頭で発生した派手な惨殺事件の捜査から外されて、使用代金不払いの港湾倉庫の確認現場へ立会いに行かされます。その倉庫から出てきたのは冷凍された大量の遺体。
のっけからの掴みが強いです。なぜ大量?なぜ冷凍?この人達誰なの?何がしたいの?あまりに不穏すぎるスタートに、読んでいてどうしても事件の原因と理由を知りたくなりました。ここで私の視点と事件捜査するクロハの視点が重なりました。以降は完全にクロハに感情移入していました。珍しく感情移入できたのです。
何しろ彼女は行動に無駄がありません。もしも自分が同様の状況に置かれた時にどうするか。こんな推理ゲームで選択肢が出たならば、彼女は妥当なコマンドを選んで期待よりも若干多めな収穫を得て来るタイプです。云わば「ウザさをまったく感じない主人公」で、私が想定するよりも賢く事態に対処するし、手詰まりでも諦めず熟考して手間を惜しみません。それでいて凹んだ時には気晴らし方がネット内コミュニティで少ない知り合いと話す、という妙にリアルで内向的なところに愛嬌も感じます。
このネット内コミュニティが重要な伏線で、起こる事件の大部分がネット内で進んでおり、世間から見える範囲はごく表層に過ぎません。


このシリーズでは群像劇化するのを意図的に避けてるのか、他者の視点を徹底的に除外し、物語は終始クロハを通して語られます。だから読み終えて全体像を知れば、彼女にも失点はいくつもあるのでしょうが、読書中は主人公と読者に情報格差が無く、常に最善手を尽くしてるクロハに対して否定的な気分を感じたことはありません。この人よくやってるよ。

性格的には可愛げ無いが、視点を委ねるには文句なしの良主人公クロハ、自機が用意されたなら次は背景世界です。東京近郊の他県都市が舞台、劇中の屋外場面では雨降りばかりで海沿いの区域らしい描写も重なり、一貫して高湿度で寒々しい雰囲気が続きます。灰色の空、錆びついた倉庫の群れ、古びたコンクリ建築物、歩いてる人影はほとんど居ない、そんな風景が浮かびました。その中で特徴的な建物が出てきます。

「港湾振興会館」
2つの建物が上部で繋がる独特な形状の高層建築。ところどころ錆び付き看板は外され、本来の役割を失ったようなビルです。序盤でここだけ名称と形状が描写されますが、これはどう考えても「悪魔の塔」だよ。最終決戦場だよ。
先読みではありません。これは作者の予告宣伝、クライマックスはここで決戦だから期待しとけという視点誘導。もうここで私の脳内には雨の中で暗い塔を登っていくシチュエーションが浮かんでいました。そういう感じのゲームを昔よくやったからな。サイレン。

最終ステージの前フリが済んだところで、さらに事態は進んでいきます。検死解剖の結果、遺体の死亡原因は全員睡眠薬に拠る自殺のようです。
意味不明な大量自殺ですが情報が無いので序盤の捜査はとても地味です。倉庫近辺の監視カメラ映像を確認、遺体の顔と行方不明・失踪者の写真を照合、限られた人員で少しづつ時間を掛けて情報を掴んで行くしかありません。数人のデータが一致し僅かに進展したかというあたりで、新たな知らせが入りました。別の倉庫からさらに複数の死体発見。やっぱりな、1箇所だけじゃないとは思ってたんだ。

ここからは立て続けに新しい情報が入り、事件の概要がじわじわと見えてきます。この情報開示ペースがたいへんに上手いです。他にも自殺者がいた、それらの遺体を調べて身元を割り出す、身元判明した人物の周辺と行動を調査、遺書のメールを発見、他にも遺書メールがあった、しかし人数とメール発信数が合わない、遺体が1人分少ない。
捜査状況が慌しくもぐいぐい進展します。情報量の濃度に読んでて心配になりました。だってこれまだ前半だよ、遺体と遺書の数が合わないなんて、クライマックスに使うような仕掛けだよ。中だるみぜんぜんしないのは良いけど飛ばしすぎでないかい。

クロハが遺書と遺体数の不一致から、生き残りが居るはずと見立てて行動を起しましたが、予期せぬアクシデントによってその生き残りも亡くなってしまいました。これは嫌味な上司キャラ・カガの初動ミスのせいです。自殺しようとして死に切れなくて、後ろめたさや孤独感で不安定ギリギリの精神状態な人を、デカイ声でガミガミ問い詰めたら混乱して逃げ出すのは当たり前で、周りが見えなくなったままトラックの前に飛び出してしまったのです。不幸な事故、大失態、読んでる私も失望です。唯一の手がかりが無くなっちまった。カガてめーこらー。

そこに別方向からアプローチが入ります。重要人物タカハシの登場。
黒スーツにメガネの鋭い容貌、一見エリート官僚的にすら見えるのに、連れているボディガード2人は暴力団崩れ、胡散臭い雰囲気が消えません。どう見たってカタギじゃない。
でもな、クロハは集団自殺事件捜査で忙しいんだ、カガだって忙しいんだ、エリートヤクザの相手してる暇なんて無いんだよ、と言いたいところがタカハシも同事件を追ってる様子です。警察を通さずに自前の民間力で調べてるみたいよ。

それはさておき、事件捜査はさらに進みます。県外の倉庫からも集団自殺遺体発見。2箇所発見されたなら、そりゃ3箇所目もあるよね。被害者が増えた分、遺書メールも増えました。この遺書メールにはどれも謎の添付ファイルがあって、そのへんの謎も解けてきました。それぞれの添付ファイルは3Dデータの欠片でしかなく、全部組み合わせると立体図形画像になりました。
それはアゲハ蝶に見えます。しかしよく見ると実は蛾でした。
ここでようやく見えてくる犯人像。大変性格が悪いです。
生きることに疲れてる人々を「キレイな記念碑に残します」と集めて、自殺をけしかけながら「記念碑に残すけどキレイではないよ」と嘘ついたわけだ。

さらに捜査を進め、犯人の計画から漏れた生き残りを保護したあたりから事件の全容が見えて来ました。
インターネット上の自殺掲示板の管理人『鼓動』
どうやらコイツが計画を実行している犯人らしい。
自殺者のそばで舞台を用意し、命を絶つ手伝いを繰り返している殺人鬼です。

これで主要キャラクターが出揃いました。
敏腕警官:クロハ
凶悪殺人犯:『鼓動』
謎の男:タカハシ

以降、警察が『鼓動』の情報を調べて追いかける場面に入ります。しかし捜査は後手後手に廻り、ようやく捕まえた『鼓動』と思われる男も替え玉でした。これは警察の捜査ミスではなく、最初から仕組まれていた陽動です。『鼓動』という人物は非常に用心深く、被害者が皆個人情報を徹底的に削除した後に自殺しているのも『鼓動』の主導です。もちろん自分に関わる痕跡はほとんど残していません。そして事件が報道されてからは逃走準備を整え、替え玉を用意し警察を牽制しつつ逃げ切るつもりのようです。
物語開始時点で犯人は準備万端整っており、そこを手探りで調べていくクロハは、その時々の最善手・最適手を打っているけれど、容易に尻尾は捕まえられません。むしろよくやってる、この緻密な犯行に大分迫っている手腕を褒めてあげたいです。
キレ者ぽいタカハシだって長いこと『鼓動』を追ってるようだけど、狙いを絞りきれてない様子でした。仕方ないよね。

そもそも『鼓動』という犯人が少々変わっています。この手の警察VS猟奇殺人犯のフィクションでは、異常な自己顕示欲の殺人鬼が警察や被害者に向けて挑発的な声明文を送り、心情を煽りまくる展開が多いです。それは手紙だったり、遺体の一部だったり、ビデオレターだったり、あれこれと世間に向けて「俺ってクレイジーでしょ」としつこくアピールするものです。
ところが『鼓動』って全然そういうことしないのよ。後で分かるけどこいつ芸術家気取りの殺人鬼なのに、社会へ作品を発表するとか、自分の手柄自慢とか全く興味ないのよ。それでいて創作意欲と継続意識だけはとても強いから、行動が大胆かつ慎重というやりにくい相手です。

容疑者が逮捕されたので捜査班は解散し、クロハが所轄に戻ったところで不穏な話が出てきました。
「弟さんから着替えを送るから届け先を教えてくれ」と電話があったそうな。
クロハには姉と幼い甥以外に親族はいません。しかし、迂闊な当直員は届け先を教えてしまいました。
弟を名乗る怪しい男は本物の『鼓動』です。
警察に替え玉を掴ませて、いくらか時間を稼げた『鼓動』が反撃にでました。反撃なのかな、これ。

クロハは捜査期間中、一時的に姉宅に宿泊していたので『鼓動』が向かったのは姉宅です。クロハが急行するも既に凶行が行われた後でした。姉は首を切り裂かれ死亡、まだ赤子の甥の姿はどこにもありません。

たしか『鼓動』は自殺幇助する殺人犯じゃなかった?こんな派手に刃物を使う奴だっけ?手口はむしろ冒頭に出てきた惨殺事件によく似てます。
結果から言うと全て『鼓動』の犯行です。自殺者をコンテナに送り込んで凍死させるのも、自殺志願者の首を刃物で切り裂くのも彼にとって大差はなく、自分がその時期にやりたい方法で殺人をするだけらしいです。


この『鼓動』という殺人犯のキャラクターが面白い、個人的には好感すら湧きました。
しばしばサイコスリラー系の連続殺人犯は超能力者のように描写され、都合が良過ぎるほどの探知・感知・予知の能力で、事件を追う主人公を翻弄する場面が多く見られます。周到な仕込みや協力者ネットワークを駆使する天才的犯罪者を描こうとして、やりすぎチート系異能者化してしまう例はいくつもあります。それはもはや犯罪者つーより怪人。警察より仮面ライダーと戦うのが相応だと思います。

『鼓動』は用意周到で隙の無い超常殺人犯ぽいけど、彼のやることは全て常人の延長線にあり、熱意と根気と知識と技術があれば個人でも十分可能な範囲です。目的のために自分で「蒼の自殺掲示板」というサイトを作り管理して、自殺志願者を見繕っていたようです。しかしそれを実際に行う場合は、全部のスレッドに目を通して、見込み有りの書き込みにはレスを返し、荒らしが来たら削除して、場合によっては自作自演で盛り上げたり、そもそも人が来ないと意味がないので外部に向けて宣伝工作も行っていたのではないでしょうか。必要な作業だからやらないといけません。扱うネタの「自殺」なんて不謹慎だと世間では叩かれがちですから、運営には細心の注意を払っていたでしょう。
うわ『鼓動』さんお疲れさまです。その真摯な態度に頭が下がります。
しかもこの人他者を呼び込むだけじゃなく、自分でも外部へ積極的に残酷殺人画像探して回ってたらしいのね。

でも、例えば出会い系サイト運営する人達はこのくらいの行動してるもんじゃないの?あちらは性欲でこちらは殺傷欲、違うのそこだけ。『鼓動』の「殺傷癖」を「特殊性癖」に入れ替えると同レベルに行動力ある人いますよね、ふたばちゃんねる辺りに。

他にも『鼓動』の特徴的な性格として、犠牲者を無駄にいたぶる様子がありません。相手の尊厳を壊すとか、罵倒嘲笑して蔑むとか、女性を陵辱するとか、そんな要素が一切なく他人の生命を確実に奪うことだけを徹底しています。つまり被害者の返事応答態度には興味がなく、自分が殺す実感だけを追求する自己完結型のようです。他人を見下してるフシは随所にあるけど、他人を下げて貶める行動はせず、ひたすら自己内部の高みを目指してる感じがします。
この辺の詳細事情は最終決戦時に判明するんだけど。


それでは最終決戦へ。舞台は悪魔のツインタワー「港湾振興会館」です。
クロハは『鼓動』の居場所に見当がつかず、とりあえず犯行現場だったコンテナ倉庫まで行ったものの、そのまま途方に暮れていました。
そこへ歩いてきた人影1人。タカハシの護衛の片方です。彼曰く「タカハシさんは死んだよ」
見上げた先には夜の暗闇と大雨の中そびえ立つ港湾振興会館。
ここからの情景描写と情報開示のテンポの良さが素晴らしい。
彼曰く「『鼓動』の武器はでかい工具だ」
そして「『鼓動』にはためらいが無い、これっぽっちもない」
未だに顔も声もわからない『鼓動』のビジュアルが頭に浮かびました。日常的な工具を用途外の持ち方している大男。雨と錆と血がこびり着いた鉄の塔。
ゲーム「サイレント・ヒル」がそんな雰囲気でした。何度も遊んだので馴染みの光景です。
そこにクロハの携帯電話に着信が来ました。表示相手は姉。先程『鼓動』に首を切られて殺された姉。
心霊ホラーじゃないです。先の犯行時に『鼓動』が姉の携帯電話と幼い甥を持ち去っていただけです。もう奴をぶっ倒す以外の解決方法ないぞ。

『鼓動』からの電話内容は塔への招待でした。呼ばれなくても行くつもりだったわ。しかし塔の上の『鼓動』からこちらの動きは丸見えらしく、応援を呼ぶことは出来ません。1人で行かないと甥が死ぬとよ。行くしか無い、現状の配置が相手に有利過ぎる。まず接近しないと。

駐車場に車を停めると、闇夜の雨の中、拳銃を構えてクロハは港湾振興会館へ向かいます。案の定、途中にタカハシが血を流して倒れていましたが、もう死んでるようなので放置して先に進みました。
ここからの劇中対決描写は、雨音、無人のエレベーターホール、暗闇と非常ランプ、風音、全て割られたガラス窓、必要最低限な状況説明なのに読んでいると頭の中に場面映像がばんばん浮かんでくる臨場感でした。イメージ元はサイレント・ヒルやバイオハザードの背景屋内画像なんだけど。そういうシチュエーションを他所でたくさん見ただけなんだけど。

最上階でついにクロハと『鼓動』が対峙します。悪天候の夜間に照明も無い屋内なので相手の姿はよく見えないけれど、いかつい大男だということだけは確認出来ました。その大男が自分の事をベラベラとよく喋るんだ。

--子供の頃から『殺したい』衝動に気づいていた--
--治療を受けたが衝動は消えなかった--
--5年前に殺人をして満たされた--
--その後、繰り返し思い出して抑えていた--
--自殺幇助することを思いついた--
--それだけでは満たされなくなったので刃物で殺害に変えた--

ここで明かしておかないと、各事件の繋がりが不明なままだから『鼓動』は洗いざらい全部喋ってくれます。時間経過で犯人内でも心境の変化が起こってたんだな。だから集団冷凍自殺幇助の後から頸動脈切り裂き殺人に変わったのか。つか、掲示板管理人の前歴からも伺えるけど『鼓動』はたいへん理性的な人物で、厄介な衝動を自覚し、社会と折り合いつけるために自分なりの改善努力を尽くしてきたようです。でも抑制するほど反動も大きいタイプらしく、段階的にタガが外れて行き、現状では完全に開き直って善悪倫理観がまったく通じません。
こんな夜中に港湾振興会館に来たのも、昔ここで働いていた履歴書を処分するため、ついでに追いかけてくるタカハシとクロハをまとめて始末するため、だそうです。コイツ完全に第二の人生始めるモードだ。今後も殺人満喫するつもりだ。

これまで全部ぶちまけたのだから後は決着つけるのみ。しかしクロハVS『鼓動』の勝者は決まりませんでした。互いに深手負ったところで『鼓動』がクロハの甥(乳児)の件を出して交渉、クロハは甥救助へ屋上に、『鼓動』は反対側の通路から逃げていきました。引き分け、両者リングアウトです。
ふざけんな。

まだ生きていた甥を抱えてクロハは帰路に向かいました。途中でタカハシの死体が無くなっているのに気付きました。あいつ死んでなかったみたい。『鼓動』が通ったハズの通路には大量の血痕。もちろん本人の姿は何処にも無い。そしてタカハシの車もありません。クロハは「関わるべきではない」とドン引きしています。なんじゃそりゃ。意味深に倒れていたくせに、そのまま車で帰宅する強引なフェイドアウト。なんだったんだタカハシ。最終決戦が消化不良に加え、物語ラストで大暴投。
残り12ページしか無いのに収拾つかないだろ、ふざけんな。


では「終章」
クロハの普段から立ち寄ってるネットコミュニティの場面です。しかし今日は私用ではなく警察署から、他の職員も大勢が見ている中でのアクセス。
オンラインゲーム風の仮想空間内酒場にて、そこの管理人へ詳しい話を聞く必要がありました。この管理人は物語冒頭で、クロハの本名と職業を何故か知っている描写がありました。HNしか登録していないハズなのに。

管理人=タカハシでした。
そして小説内にここまで記述された謎が全て繋がります。
『鼓動』による最初の殺人事件が5年前。被害者名はタカハシコウ。
それからしばらく『鼓動』は殺人衝動を抑えていました。つまり逮捕されず、表にも出て来ていない。
一方で、被害者タカハシコウの関係者に社会的グレーな汚れ仕事を扱う者がいました。彼は5年前の殺人事件で捕まらなかった犯人を独自に追い始め、少ない情報から犯人を捕らえるための「網」を仕掛けました。広範囲に『鼓動』が好みそうな餌を撒き、アクセスした相手を全員調べるという地味で膨大な作業をずっと続けていました。その彼がタカハシ。仮想空間酒場はたくさん張った網の一つでしかなく、クロハが入り浸っていたのはただの偶然です。

『鼓動』とタカハシの戦いは5年前から既に始まっており、しかしそれはずっと追手が索敵を続けるばかりで、物語としての起伏に欠けています。毎日ひたすら罠を張りながら「今日も収穫なし」の繰り返しでは読者もつまらないでしょう。『鼓動』の行動範囲とタカハシの地元が離れていたのも悪条件でした。
そこでタカハシは『鼓動』の生活エリアで、情報を優先的に扱える警察官と接触を図ろうとしました。クロハが頑張って連続自殺事件を捜査してた時期のことです。
ところが、事件報道されたことで『鼓動』が自身へ捜査が及ぶのを知り、逃走を始めます。奴は後顧の憂いを絶つために身辺情報の消去を図りました。就業履歴を消すために港湾振興会館へ。
その頃、タカハシもクロハから漏れ聞いた「蒼の自殺掲示板」キーワードから『鼓動』の動向を掴み、こちらも港湾振興会館へ。

第1戦は『鼓動』の勝ちでした。
ボディガード1人死亡、タカハシは瀕死の重症、生き残りのボディガードが逃げた先でクロハに会い、小説本編での決戦場面へ移ります。

第2戦の『鼓動』対クロハは引き分けでした。
『鼓動』はクロハに銃撃されて負傷したものの、証拠隠滅は済ませてあとは逃げるだけです。しかし、その姿をタカハシに見つかりました。タカハシも死にかけですが『鼓動』への憎悪のほうが強かったようです。

第3戦また『鼓動』VSタカハシ。
逃走体制だった『鼓動』はタカハシの奇襲を受けて、泣き言を上げ、命乞いするも一方的に叩き殺されたようです。顔が変形するほど苛烈な暴行を受けた『鼓動』は、タカハシが車のトランクに詰めて運び去りました。
その後、甥を救出したクロハが港湾振興会館の出口に来た頃には、事態は既に終わっていました。

 

ネット上で音声だけのやり取りでしたが、『鼓動』の遺体の場所も判明し、事件の全貌は解明されました。
タカハシは身体の負傷が重く、もう長くないみたいです。復讐を終えたタカハシが寂しそうに、でも穏やかにクロハと話す場面で物語は終わりました。


視点をクロハからタカハシへ、ひょいとズラせば事件全てが見通せるシンプルな構図。そこまで散発的に、だけど混乱するほど複雑でもなく、小さな欠片状に配置されていた事件概要が、最後に一気に繋がる構成の絶妙な上手さです。

「終章」でようやく、この事件の主役が『鼓動』とタカハシであり、警官のクロハはそれを特等席で見ていただけ、というのがわかります。しかし『鼓動』視点でもタカハシ視点でも、劇中時間5年は状況が変わらず停滞が続きます。だから両者の戦いの情報を集約出来る立場の第3者の視点が必要でした。偶然タカハシの網にかかり、仕事で『鼓動』を捜査するクロハ視点が、読者に情報提示する分量と速度に最も適切でした。
事件の発端、犯人の意図、主人公の不穏な環境、第3者の思惑、仕掛けられていた伏線、犯罪手段の解明、事件の収束。
全部計算づくだったのですね。残り12ページで収拾つかないだろ、ふざけんなとか思ってすいませんでした。


ここまで構成の上手さについて書いたけれど、キャラ描写も良いです。自分が読んでいると、この小説には殺人鬼『鼓動』を含めて、嫌いな登場人物はいませんでした。嫌味な上役だったカガにも中盤までは「カガてめーこらー」くらい思ってましたが、終盤ではかわいく見えてきます。

登場人物と物語内容、事件描写と展開速度、どれも期待以上の面白さでした。
「プラ・バロック」は1作目、続編があと2冊あります。今後のクロハの活躍が楽しみです。凶悪犯罪者を敏腕捜査官が追い詰めていくサスペンス・ミステリーを読みたくて、早速2作目「エコイック・メモリ」3作目「アルゴリズム・キル」を買ってきました。

しかし、読んでみると……期待してたんと違ってたんだなこれが。