Insanity&Genius SATOSHIのBlog続編
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高校2年の夏休みに1日1曲作ろうと
思い立って、とにかくノートに
歌詞を書き貯めた。40曲程の
歌詞が出来たには、出来たのだが、
大した経験も、学んだことも少ない
平々凡々の田舎の小僧が書いた
歌詞は中身のない薄っぺらなもの
ばかり。

恥ずかしくてとても人に
聴かせられたようなものじゃ
無かった。

それからハードロックを聴くようになり
ギタリストが曲を作りヴォーカリストが
歌詞を書くというやり方を知った。

リッチーもマイケルシェンカーも
歌詞は書いてない。

じゃ俺も書かなくていいか。

安易な方に逃げた。

それからは、曲だけを作り
歌詞は人に任せた。

いや、頼んだ。

社会人になっていくつかのバンド
を作ってはポシャリの繰り返しで
なんとか初ライヴまで持って行けた
バンドは今でもInsanity&Genius
でドラムを叩いてくれるHiroshiと
僕の2人でヴォーカルを分け合った。

ただし2人とも歌詞は書けない。
で、どうしたか?

ホニャラ語と呼んだ意味のない
英語風の言葉で適当に歌った。

これでLiveをやってしまったんだから
まあ、今考えるとふざけた話だ。

この後、専任ヴォーカリスト
Akihiroが加入して、当時の
レパートリー10曲程に
全部、歌詞をつけた。

それ以降15年にわたって
歌詞は、全部Akihiroに頼んだ。

今でもレパートリーに何曲も
Akihiro作詞の歌詞による曲が
あります。

で、15年後、別バンド、
Sailing Shipを結成することになった。
ところがそのバンドの参加予定だった
ヴォーカリストが参加できなくなった。

じゃ、KISSみたいにみんなで
ヴォーカルを分担するかって
ことになった。

曲を作った人が歌うということにした。
この時のベースがMotchyで、
ギターが現在Insanity&Geniusで
ベースを弾いてくれているTommy
僕以外の2人は自分で歌詞を書いた。

僕はどうしたか?

ホニャラ語の復活だ。

15年ぶりにバンドで歌うこと
になった。 相変わらず
ホニャラ語で。

何回、ライヴをやったか思いだせない
けど、ホニャラ語で押し通した。
ナメ切った話しだ。

SailingShipでレコーディングをすることに
なってさすがに録音はホニャラ語という
わけにはいかないので、Change for our
wolrdにホニャラ語をもとに何とか
1コーラスだけ下手な英語で歌詞を
書いた。2番と3番はTommyが2日
ぐらいで書いてくれた。

その後、TommyとHiroshiと
Insanity&Geniusを結成した時も
歌詞はTommyが書いてくれた。
ただ、自分で歌う以上、内容には
こだわった。
納得がいくまで何度も
書き直してもらって完成させた
歌詞なのでInsanity&Geniusの歌詞
はどれも気にいっています。

その後、原点に返ってアコギの
弾き語りをやるようになった。

さすがに弾き語りの歌詞が
ホニャラ語というわけには
いかない。

何とか歌詞を作らないと。

ここで高校2年の夏休みの経験
が30年後に生きてきた。

あの時は1日1曲の粗製乱造だったが
とにかくアイディアが湧いてくるまで
ひたすら考えるやり方を思い出した。

それで最初に完成したのが、
Sailing Shipでホニャラ語で
やっていた曲 World of colorに
日本語の歌詞をつけたものです。

だからこの曲が自分で歌詞を書いて
人に聴かせた最初の曲なのです。
ちなみにタイトルの
World of colorはカリフォルニアの
ディズニーランドの夜のショーの
タイトルから頂きました。



World of color
作詞作曲 SATOSHI


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