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救急車を呼ばないでと拒否された」入手困難な劇物“タリウム”で女子大学生を殺害した疑いの資産家“舞妓ビジネス”男 タリウム入手経路が事件解決のカギに…

2023年03月07日 15時03分11秒 | 事件と事故


「救急車を呼ばないでと拒否された」入手困難な劇物“タリウム”で女子大学生を殺害した疑いの資産家“舞妓ビジネス”男 タリウム入手経路が事件解決のカギに…【news23】(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース 







>「タリウムは、以前は、殺鼠剤というものに含まれていましたから、不動産とかを管理されている方は、(殺鼠剤を)管理されている方が多いんですね。そういうものから取り出していわゆる使用したという可能性も決して否定はできないですね。



女子大学生にタリウムを摂取させ殺害したとして、資産家の男が逮捕された事件についてです。男は、女子大学生の体調が急変した際「救急車を呼ばないでほしいと拒否された」と話していたことがわかりました。 

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宮本容疑者の知人 「もともと金持ちのはずです。どちらかというと高飛車な感じ、傲慢な感じという印象を持っています。人に対しての態度がそういう感じでした」


  “資産家”と“大学生”。2人の“接点”が徐々に明らかになってきました。 関係者によりますと、濱野さんのバイト先で知り合ったという2人。濱野さんが宮本容疑者のイベントで働くこともあったといいます。 


ことの発端は2022年10月11日の夜。濱野さんのマンションで酒を飲んでいた2人。すると濱野さんの体調が急変しました。 


宮本容疑者は逮捕前の任意の取り調べで・・・ 

宮本容疑者 「一緒に酒を飲んでいたが濱野さんがせき込み始めた。(濱野さんに)喘息だから救急車を呼ばないでほしいと拒否された」 

その後、回復しなかったため、宮本容疑者が濱野さんの両親に連絡。濱野さんは病院に搬送されましたが、3日後に死亡が確認されました。


死因はタリウム中毒による呼吸不全で、警察は2人で飲酒していた際に宮本容疑者が飲食物などにタリウムを混ぜた可能性もあるとみて調べています。 


■劇物「タリウム」入手経路は? 

犯行に使われたとみられる「タリウム」について、専門家は・・・ 


法科学研究センター 雨宮正欣所長 「きわめて毒性が高いというのが特徴の1つにあげられます。(致死量は)大体成人の場合、約1グラム程度。大量に摂取した場合というのは、きわめて短時間で命を落とすという可能性はあります」 無味無臭で水にも溶けやすいという「タリウム」。  

   劇物に指定され一般の人が入手するのは困難だといいますが、宮本容疑者は一体どのように入手したのでしょうか?  

   法科学研究センター 雨宮所長 

タリウムは、以前は、殺鼠剤というものに含まれていましたから、不動産とかを管理されている方は、(殺鼠剤を)管理されている方が多いんですね。そういうものから取り出していわゆる使用したという可能性も決して否定はできないですね。タリウムを使って殺人を企図するということ自体結構レアなケースだと思うんですね。なぜタリウムを使ってそういうことをしようとしたかということ、それが事件の解決の1つのカギになるかもしれない」 警察は、タリウムの入手経路や犯行の動機などを調べています。


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"生きる神様"大川隆法氏が死没…「幸福の科学」が禅譲失敗・空中分解で"50万人信者"にこれから起こること

2023年03月07日 10時03分40秒 | 文化と芸能


"生きる神様"大川隆法氏が死没…「幸福の科学」が禅譲失敗・空中分解で"50万人信者"にこれから起こること



3/6(月) 18:17配信
96コメント96件

大川隆法特別大講演会IN東京ドーム 講演する大川隆法総裁=2017年8月2日、東京ドーム - 写真=日刊スポーツ/アフロ

■“教祖”が没し、組織や50万人信者はどうなるのか  

宗教法人「幸福の科学」の総裁、大川隆法氏が亡くなり、宗教界に衝撃が走っている。幸福の科学は世界各地におよそ1万もの支部、拠点を構え、国内には50万人程度(公称数は1100万人)の信者がいるといわれる。巨大新宗教のカリスマ教祖亡き後、組織はどうなるのか。戦後勃興した新宗教は、高齢化や二世問題などを抱え、その多くが厳しい組織運営を迫られている。大川氏の死去をきっかけにして、新宗教の勢力図が塗り替えられる可能性もありそうだ。 

【写真】2017年8月、東京ドームでひらかれた講演会  

徳島県出身の大川氏は24歳で神の啓示を受け、自身が救世主「エル・カンターレ(地球の至高神)」であることを表明。勤務していた大手総合商社を退社すると、1986年に幸福の科学を設立した。 

 同教団の最大の特徴は、既存の宗教に依って立っていないところにある。例えば創価学会、立正佼成会、霊友会などは伝統仏教から派生した。1995年に地下鉄サリン事件をおこしたオウム真理教も仏教が根源にある。また、社会問題になっている旧統一教会やエホバの証人などはキリスト教をベースにし、大本やワールドメイトなどは神道からの派生型宗教である。 

 そうした多くの新宗教と比較すれば、幸福の科学は独自性が強い。幸福の科学はキリスト教やユダヤ教、イスラム教、日本神道の神々、あるいは仏教の諸仏を同一視している。そうした神々・諸仏などの信仰の対象をひとまとめにしたうえで、大川氏はエル・カンターレこそが救済の中心にいる、と定義した。

  現在、わが国における新宗教教団は350ほど。人口の1割程度が、新宗教の信者であるとみられている。一部、反社会的な集団「カルト」が潜伏し、人権侵害や不法行為が指摘されている。宗教法人の認可を得ずに、サークルやセミナーと称して勧誘活動を続けるカルト集団も少なくない。 


 日本には、江戸時代からの檀家制度があり、「ムラ」や「イエ」の宗教が根強く残る。同時に、地域の神社の氏子であったりする。キリスト教は明治以降、布教を試みるものの、現在でも人口の1%程度に留まっているのは「ムラ・イエの宗教=仏教と神道」を切り崩すことができなかった証左といえる。

  キリスト教は勢力拡大に失敗したのに、新宗教が勢力を伸ばせたのは、どういうことか。

 それは、核家族化の広がりや、ときどきの精神世界ブームに乗じて、凄まじい布教力を推し進めていったからに他ならない。戦後はムラとイエから離れて都会で暮らす若者や、菩提寺をもたない次男以降の家族をターゲットにして、多くの新宗教が勃興した。それを牽引したのが、戦後の精神世界ブームであった。  

精神世界ブームをざっと振り返ろう。大きく分けて4回の波があった。


■精神世界ブームで「幸福の科学」など新宗教が勃興した 

 1次ブームは、1970年代である。当時、「ノストラダムスの大予言」やUFOブームなどが沸き上がっていた。1979年にはオカルト雑誌「ムー」が創刊され、社会現象になった。テーブルを複数の知人で囲んで硬貨を動かしていく一種の降霊ゲーム「こっくりさん」が学校で流行ったのも、この頃である。

  第2次ブームは1980年代から90年代初頭にかけて。テレビが成熟期を迎え、多くのバラエティ番組が登場した。そこで、主婦層や若年層を目当てにして、高視聴率を狙えるオカルト番組が人気を博した。丹波哲郎や宜保愛子ら「霊能者」が連日、ゴールデン番組に登場し、空前の精神世界ブームが巻き起こった。  

第1・2次精神世界ブームを背景にして、多くの「新・新宗教」が登場した。長野県佐久市の農家から出た高橋信次氏が1969年に設立したGLAは、大教団へと成長。さらに、GLAの影響を受けたとされる大川隆法氏が、幸福の科学を設立した。 

 オウム真理教が勃興したのもこの頃。深見東州氏率いるワールドメイトの設立(1984年)も、この時期に重なる。ワールドメイトは近年、地下鉄広告や新聞広告を使ったユニークな宣伝活動が注目を集めている。こうした新・新宗教は神秘体験を求める、多くの若者に支持されていく。 

 いずれも、強烈な個性をもった教祖が、ぐいぐいと教団を引っ張っていくスタイルが特徴である。 

 しかし、1995年3月に起きた地下鉄サリン事件以降、一連のオウム真理教の犯罪が発覚。一転して、精神世界への警戒感が増していく。オウム事件は、その後の新宗教の活動に多大なるマイナスの影響を与えた。

  たとえば、大規模集会が開催しにくくなったのだ。幸福の科学の源泉は、強いカリスマ性を持った大川氏が登壇する大規模集会にあったといえる。だが、オウム事件後はピタリと大規模集会が開かれなくなる。会場側が宗教団体を警戒し、貸し出さなくなったのが背景にあると考えられる。 

 幸福の科学は1995年までは東京ドームでの大規模集会を重ねていたが、同年の「エル・カンターレ祭」を最後にぴたりと開催されなくなった。他の新宗教も集会を自粛するムードが続いた。同時に社会の精神世界への関心も薄れていく。 

 再び精神世界ブーム(第3次)が訪れるのが、約10年後の2005年頃。テレビ番組「オーラの泉」が人気を博し、細木数子氏、美輪明宏氏、江原啓之氏らがブームを牽引した。幸福の科学は著名人の霊を降ろして大川氏らが語り下ろす「霊言」が有名だが、この第3次精神世界ブームあたりから、より積極的に霊言が行われていく。 

 2011年3月の東日本大震災は多大なる犠牲を出したが、結果的に人々の「死」にたいする関心を高めることに寄与した。東日本大震災後、被災地を中心に再び、新宗教が活動を活発化させていく。

  この頃になれば、オウム事件からすでに20年が経過。事件を知らない若者が、新たな精神世界を希求し始めた。一時は絶滅していた「ヨガ」が、「健康ブーム」を背景にして復活。さらに近年はIT関連企業の経営者らが「マインドフルネス」を取り入れたことなどで、「オウムの悪夢」は払拭され、第4次精神世界ブームが到来した。


■禅譲失敗・空中分解する可能性もある  

そうした中で再び、大川隆法氏が登壇する大集会が東京ドームで再開したのが2017年8月のことだった。当時、筆者も現場取材した。この講演会は、幸福の科学の出家信者で女優の清水富美加氏(千眼美子氏)のお披露目も兼ねていた。

  大川氏の熱の入った演説と、信者5万人を埋める会場の熱気は凄まじいものがあった。約45分にわたる大川氏の演説は最初、静かに始まり、最後は絶叫調で締め括るのが特徴。会場はスタンディングオベーションで、感極まって泣いている信者もいた。同教団の信仰の力の大きさは、まだまだ健在であることを思い知った。  

しかし、それもカリスマ教祖が健在であってこそ。幸福の科学は近年、後継者と目されていた長男宏洋氏らが教団を離脱。大川氏の元妻も教団から追放され、離婚するなど家庭内でのゴタゴタが続いていた。宗教教団にとって、内輪の混乱は組織を分断させ、求心力を失わせてしまうのが常だ。 

 今のところ、大川氏ほどのカリスマ性をもった指導者が同教団には見当たらないのも、同教団の今後の不安材料である。 

 新宗教全体に目を転じれば、取り巻く環境は既存宗教以上に厳しい。近年、新宗教が急激に信者数を減らしている。「諸教」にカテゴライズされている新宗教の場合、1995年の調査では1111万人いたのが、2022年には711万人にまで激減している(文化庁調べ)。戦後の新宗教設立ラッシュ時代に入信した信者が、高齢・死亡期に入っているのだ。そして、次代に継承できずにいる。

  幸福の科学も然り。たとえば幸福の科学の政治団体「幸福実現党」の得票数は、教団の組織力のバロメーターだが、近年は低迷を続けている。2009年の総選挙では比例区の合計得票数は約46万票だったが、2017年では約29万票程度。得票率も衆参両選挙ともに、1%を大きく割り込むケースが増えている。 

 旧統一教会問題から端を発した「宗教二世問題」も、幸福の科学にとってはネガティブ要素。今後の教団運営に、少なからず影響していくと考えられる。

  筆者が今後注目するのは、大川氏の葬儀がどのような形態・規模で行われるか。その流れで故大川氏を神格化させつつ、いかに後継者を選んでいくか。禅譲が失敗すれば、教団は空中分解することも十分、考えられる。

「教祖急死」の混乱を収める組織力が、いまの幸福の科学にあるか、どうか。

 ---------- 鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり) 浄土宗僧侶/ジャーナリスト




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現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか(後編) 身元判明、そして分かったこと

2023年03月07日 03時03分31秒 | 社会のことなど


 現金3400万円を残して亡くなった高齢女性。警察も探偵も身元を明らかにできなかった「行旅死亡人」だが、遺品の印鑑に刻まれた「沖宗」という珍しい姓を手がかりに、私たちはついに女性の身元を特定した。(共同通信=武田惇志、伊藤亜衣)   


2/21/2022

 (前編はこちら)    

https://nordot.app/861908753767972864?c=39546741839462401

  ▽全国に100人程度しかいない珍しい姓 

 インターネット上の情報では、「沖宗」姓は全国に100人程度しかいないという。沖宗家のルーツをブログで追究する広島県府中市の自営業、沖宗生郎さん(72)にメールで調査への協力を依頼すると、「私の親戚かもしれない人ですしね」と快諾してくれた。 

 まず、電話帳で調べた各地の沖宗さんに取材しつつ、生郎さんが持つ江戸時代からの系図とつなぎ合わせることで、沖宗一族の家系図を作成することにした。

元広島市議の沖宗正明さん

 その中に、よど号ハイジャック事件(1970年)の際に搭乗していた元客室乗務員の沖宗(旧姓)陽子さん(73)も含まれていた。彼女が保有していた詳細な系図を提供してくれたこともあり、ほぼ全国の沖宗姓の分布を網羅。

その結果、系図が判明しないのは広島市内に点在する沖宗姓に絞られた。  

そこで昨年6月中旬の休日、広島市へ赴き、接触できていない沖宗姓を尋ね歩いた。2日間で計約10軒の沖宗さん宅を訪れ、「周囲で行方が分からない女性はいませんか」と聞いたり、女性の写真を見せたりして回った。しかし「聞いたことありませんね」と言われるばかりで、ほとんど手応えが得られなかった。  


唯一、気になる話をしたのが元広島市議(自民)の沖宗正明さん(70)だ。玄関先で取材に応対してくれた。事情を説明すると「今春、亡くなった母には妹がいたそうですが、どこにいるのか…。母は何も話したがらず、気になっていました」と明かし、「市役所で戸籍を確認してみます」と言ってくれた。


▽興奮した口調で「私の叔母でした」

  「千津子は私の叔母でした」。週明け、普段の仕事をしていると正明さんから携帯に電話があり、興奮した口ぶりでそう告げられた。 

 戸籍上、千津子さんは正明さんの母である照子(故人)さんの妹で、4人姉妹の次女に当たっていた。姉妹は広島市南区の宇品地区の出身で、病院のカルテにあった「23歳まで広島におり、3人姉妹がいた」との生前の本人証言とも合致する。唯一違ったのは、生年が1933年となっていたこと。45年9月生まれとなっていた年金手帳の記載より12年も古かったことだ。  

33年と45年9月の間には、第二次世界大戦がある。

「なんらかの理由で、生年月日を45年8月6日の原爆の日の後にずらそうとしたのだろうか?」との疑問も浮かんだ。正明さんによると、経緯は分からないが照子さんは被爆者健康手帳を持っていたという。それにしても実年齢と干支(えと)が1回りも違っていたとは衝撃的だった。

広島県呉市川尻町の小用地区の風景

 相続財産管理人の太田弁護士を通じ、判明した事情を兵庫県警へ連絡したところ、事態は動きだした。警察はDNA鑑定を実施。そして4カ月後、ついに遺体が「沖宗千津子」さん本人と判明した。婚姻歴がなく、自宅の契約名義だった「田中」姓には改姓していなかったことも分かった。 


 正明さんもその後、少しずつ叔母の記憶を思い出していった。「確かに、子どものころ会った覚えがあります。けれど、彼女が30歳前後に広島を離れて関西へ出て以降、疎遠になったままでした。こんな形で再会するとは…人生とは何かを考えさせられる出来事です」 

 残念ながら、千津子さんの姉妹のうち2歳年上の長女の照子さんと、10歳年下の末妹の2人は亡くなっていた。存命の三女も認知症で、詳しい話を聞くことはできない。


  めいの一人は「母は3姉妹だと聞いていた」と驚いていた。このエピソードも、千津子さんが何らかの事情で身を隠して生きていかざるをえなかった事情を私たちに想起させるものだった。 

▽「卒業後ぱたっと音信が…」  

千津子さんが生まれた広島市南区の宇品地区も訪れた。すでに姉妹の生家はなく、新たな住宅が建っており、当時を知る人は見つからなかった。一方、姉妹の母の生まれ故郷で、千津子さんが国民学校と中学時代を過ごした広島県呉市川尻町の小用(こよう)地区には、確かな痕跡が残されていた。

  瀬戸内海に面した港町、小用地区は漁業と海運の町として知られており、姉妹の父も船乗りをしていた。父母がどのように出会い、結婚したのかは定かではない。  

地区は山に沿って小さな民家が所狭しと立ち並んでいるが、一帯は空き家が多い。一歩入ると、車が通れないほど細い道が迷路のように続いていた。 

 沖宗家を知る人を訪ね歩いて1時間。出会ったのが中土井ヒサヱさん(87)で、千津子さんより1学年下だが、同じ中学校に通っていたという。千津子さんの写真を見せると、「これや、千津子さんやな。千津子さんはどこ行っとったんかね。ええような人じゃった」と目を細めた。


中学時代の千津子さん(前列右から3番目)

 「千津子さんの親戚が住んどるけん」。教えてもらった住宅に行くと、親族の女性が現れ、千津子さんの実家を案内してくれた。坂の途中に建つ木造の平屋は葉に覆われ、長年空き家となっていた。  

太平洋戦争末期、広島市で国民学校生徒の疎開が始まったころ、11歳前後だった千津子さんは宇品地区から小用に疎開。終戦後に隣町の安登中学校を卒業している。  

中土井さんの紹介で、国民学校と中学時代の同級生だった川岡シマヱさん(88)とも会うことができた。隣町に続く長い坂道を通って毎日、一緒に登校していたという親友だった。「千津ちゃんは、たいへんおとなしい人なんじゃわ。学校行きよる時、うちが家から出てくるのを遠慮がちに待ちよってねえ」。中学時代の千津子さんとの写真を見ながら「千津ちゃんは髪が癖毛じゃった。歌が上手やった」と懐かしんだ。千津子さんは原爆投下時、疎開で小用にいたことになり、川岡さんも小用からキノコ雲を目撃したという。


中学を卒業して、広島市に戻ったのを最後にぱたっと音信がなくなって。どうしとんじゃろうと、村でも話題になっとったが…」  


▽姉妹でたばこ工場に勤めていた 

 おいの正明さんによると、母の照子さんは日本専売公社の社員だったが、一時期、姉妹で広島市南区の広島工場に通っていた記憶があるという。後身の日本たばこ産業(JT)が運営する「たばこと塩の博物館」(東京都墨田区)に問い合わせると、1956年度の広島工場の名簿が残されており、「巻上課」に「沖宗千津子」の名前があった。


元社員数人に問い合わせても彼女を知る人はいなかったものの、唯一、広島市の丹羽和光さん(81)が覚えていた。丹羽さんは59年に専売公社に入社。丹羽さんによると、当時巻上課には約200人の社員がおり、一番人数の多い部署だった。そのうち男性は5分の1程度の女性職場で、千津子さんは機械の操作員だった。  

丹羽さんが千津子さんのことを覚えているのはなぜかと問うと「小柄できれいな人だったから」とはにかんだ。67年に新しい機械を導入したころには千津子さんは退職していたと記憶しているらしい。


名簿に残された氏名=「たばこと塩の博物館」蔵(一部修正しています)

 千津子さんは生前、「23歳の時に広島を出た」と話している。実年齢に合わせると当時は35歳だったことになり、1968年ごろだ。高度成長期の真っただ中。大阪は、70年開催の万博へ向かって活気にあふれていた。 

 私たちは再び、原点の尼崎市にあった千津子さんの自宅に戻った。広島からここに移り住んだ彼女はどんな生活をしていたのだろうか。94年に製缶工場で起きた労災事故からさらなる手掛かりを見つけられないかと考えた。 

 製缶工場は99年に看板を畳み、跡地には住宅が建っていた。周辺を訪ね歩いて出会った経営者の親族女性は、あの事故のことを覚えていた。千津子さんが普段より早く昼休みから工場に戻り、業務を再開した直後に事故が起きたという。

 60歳を過ぎてから右手指を全て失う事故は、彼女にどのような影を落としただろうか。女性によると、事故後は工場ともめることもなく退職したということだった。

「(千津子さんには)旦那さんがいたはず。周囲とあまりコミュニケーションを取らず、誰に対しても心を開いてなさそうだった」と打ち明けてくれた。


▽遺骨は届けられ、遺産も解決したが… 

 警察庁によると2019年、全国で行方不明者は約8万7千人。行旅死亡人は年間600~700件ほどが官報に公告される。高齢者の孤独死に関する公的な全国統計はないが、ニッセイ基礎研究所が2011年に発表した推計では年間約2万7千人に上っている。何らかの事情で地縁や血縁から離れた末、人知れず亡くなる人々は万単位で存在するが、千津子さんもその一人だった。 


 遺品には子どもの写真が2枚含まれていた。1枚は姉照子さんの次男、もう1枚は妹の長女と判明した。長い間、連絡を絶っていた姉妹の子どもの写真を大事に持っていたのはなぜなのか。故郷を離れて世間の目から隠れるように暮らしながらも、ずっと家族のことは忘れていなかったのだろう。 


 無縁仏として尼崎市の斎場に納められていた千津子さんの遺骨は、昨年末、おいの正明さんの元に届き、菩提寺に納められた。自称・田中千津子さんが沖宗千津子さんと判明したことで、その相続人も確定し、遺産の件も無事、落着した。


沖宗千津子さん(右)と一緒にいた男性

 千津子さんが育った町を歩き、友人や知人を取材していると、ほとんどが無縁仏となる「行旅死亡人」にもそれぞれの人生があり、生の痕跡が確実にどこかに残されているものだ、ということを強く思った。しかし、それでも彼女がどんな後半生を送ったのかは分からないまま。尼崎市のアパートを契約した「田中〇〇」という男性がどこの誰かも分かっていない。千津子さんの部屋には「田中〇●(〇〇と漢字が一字異なる)」宛ての大型家電量販店やガス会社からのはがきが残されていた。「田中〇●」の名前で購読していた新聞は2011年に契約を打ち切っていた。  千津子さんはなぜ広島を出たのか。12歳も年齢を偽っていた理由は何だったか。アパートで亡くなるまで身を隠すように暮らしていた日々について、何か新たな手掛かりは見つかるだろうか。「故郷を50年以上も離れ、叔母はどんな人生を送ったのだろう。幸せだったんでしょうか?」。正明さんの言葉が重く切なく響いた。


 情報提供やご意見は共同通信大阪社会部にお寄せ下さい。

メールアドレス:daisha@kyodonews.jp/ツイッター:@kyodonewsosaka  前編はこちら   https://nordot.app/861908753767972864?c=39546741839462401


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