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わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です> 宮沢賢治 『春と修羅』

2024年02月04日 09時03分22秒 | 文化と芸能
『春と修羅』
宮沢賢治
 
+目次+序
+春と修羅+屈折率
 
 
 
 
 
     心象スケツチ
      春と修羅
         大正十一、二年
 
 
 
 
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
 
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
 
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)
 
けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
 
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
 
 
 
     大正十三年一月廿日宮沢賢治
[#改丁]
[#ページの左右中央]
 
賢治の生原稿の精密複写 冒頭の部分
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2 コメント

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私という現象は (chorus-kazeアッコ)
2020-11-28 16:38:11
こんにちは。
賢治のこの詩に林光さんが作曲されていて
2016年に活動が終わった「女声合唱団風」で
「私という現象は」のタイトルで歌いました。
中々むずかしい、不思議なソングでした。

林光さんは、賢治の「春と修羅」の
800ページほどある長い長い詩集の中の
1節を取り出して、そのフレーズに曲をつけられた
「すきとおるものが一列」というソングも
合唱団では何度も歌いました。
ずいぶん前に樹木希林さんが、多分
悠木千帆さんの名前で出ておられた頃かと
思いますが「オニユリ校長走る」だったかの
ドラマの主題歌でした。私の11月8日のブログで
「すきとおるものが一列」を書かせて頂きました。ご覧頂いたかもしれませんが。
返信する
Unknown (Items)
2020-11-30 18:04:40
アッコさま、

コメント、ありがとうございます。

ブログも拝見しました。

>すきとおるものが一列

これも賢治らしい、言葉ですね。

これからも、よろしくお願いします。
返信する

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