最新医学と科学で研究が進む「死の瞬間に起こること」 海外では「一般人のおよそ10%が臨死体験の経験がある」との調査結果も
この世に生を受けるのは偶然の賜物だが、死は万人にとって必然であるからこそ、恐怖と好奇心が交錯する。死の直前とその瞬間には人体にどのような変化が起こるのか。そのとき本人は何を感じているのか――。最新の医学と科学の知見を交え、「知らずに死ねない」死の研究の最前線をお届けする。
【写真】死の瞬間に起こることとは?そのイメージ写真
「死の12か月前」にはBMIが急激に落ち込みはじめる
いつの時代も、人にとって“死”は重大な関心事である。それは、ひとえに「人は必ず死を迎える」ためにほかならない。どれほど医療技術が進歩しても、死を避けることはできないのだ。罹る病や、不慮の事故、突然死など死因は人によってさまざまだが、来るべき人生の最期を穏やかに迎えたいとは誰もが思うことだろう。と同時に、終末期やお迎えの瞬間について「自分はどうなるのか」と考える人は少なくない。
そもそも、命が尽きようとしているとき、人体ではいったいどのようなことが起きているのだろうか。『死ぬということ』などの著書がある東京大学名誉教授で医師の黒木登志夫さんが解説する。
「特別養護老人ホームに入所する106人の『亡くなるまでの5年間』の栄養状態を追跡した、東京有明医療大学の川上嘉明氏の研究に興味深いデータがあります。いわく、死を迎えるまでの『最初の4年間』の食事摂取量は普通の人の半分程度に抑えられているものの、まだ問題なく食べることができますし、水分摂取量にも大きな変化が見られません。
ところが、その4年の間に、身長と体重から肥満度を示す『BMI』がじわじわと減少していきます。身体機能の低下で栄養の摂取がうまくできなくなり、高齢者特有の“食べてもやせてしまう現象”が起きているためです」
そして、「死の12か月前」にはBMIが、8か月前には食事摂取量が、5か月前には水分摂取量が急激に落ち込みはじめる。死の2~4週間前になると、人は元気だった頃とは異なる行動をとるようになると、黒木さんは続ける。
「食欲が減退しはじめるうえにのどの渇きも減るので、水分も摂らなくなってしまうのが大きな変化です。食事と水分の摂取量が減少すると、当然ながら体重が急激に減少し、体の動きも鈍くなります。これらは体の機能が徐々に停止に向かい、栄養を必要としなくなるため起こると考えられます」
ゆるやかに呼吸が止まる
死の1~2週間前には睡眠時間が長くなる。周囲からは、意識が朦朧とし混濁しながら眠りについているように見えるが、当人は頭の中で夢と現実の間を行ったり来たりしているという。
「体温が1~2℃低くなってきて、尿の量や血圧の低下、呼吸の乱れが見られます。また、血圧の低下に伴い、体内への血液の巡りが悪くなるため、唇、皮膚、手足などが青く変色してきます。数日前とは明確に異なる変化のため、いよいよ死が近づいていると誰もが認識できるはずです。
やがて、深い呼吸と浅い呼吸が繰り返される『チェーン・ストークス呼吸』や、下顎を上げてあえぐ『下顎呼吸』が見られるようになります。これらは、体内が低酸素状態となるため起こる現象です。この段階になると、死が近くに迫っていると考えていいでしょう」(黒木さん・以下同)
『死亡直前と看取りのエビデンス』(森田達也、白土明美著)に記される研究によると、下顎呼吸が生じてから亡くなるまでの時間は、1時間以内が約30%、1~4時間以内が約30%、4~12時間以内が約20%と、大半が1日以内に亡くなっている。すなわち、私たちは死の瞬間を迎えるまでにゆるやかに呼吸を止める動きに入っているのだ。
死の前に起こること
【2〜4週間前】食欲の減退、体重の減少、動きの鈍化
【1〜2週間前】眠る時間が長くなる、意識が朦朧とする
【直前】体温の低下、血圧の低下、尿量の低下、呼吸の乱れ、脈が不規則に、唇、皮膚、手足などの色が青くなる、呼吸の変化
亡くなる直前の奇妙な行動
特に高齢者において、手術後などのストレスが高いときや、死の間際に見られる興味深い行動の1つが「せん妄」である。せん妄とは、死が迫っている人が精神的に疲弊し、一種の錯乱状態に陥ることだ。黒木さんによると、手術後の環境や体調の変化などの影響で自然に起こる現象だというが、科学的に解明されていない不可解な行動も見られる。
「せん妄の事例で多いのは、朝と夜といった時間帯や、病院と家など場所が曖昧になるというもの。なかには突然、亡くなった配偶者の名前を呼んだりするかたや、亡くなった親や友人と会話しているようにうわごとを繰り返すかたもいます」
周りからは奇妙な行動に見えるという。
「実際には見えるはずのない人やモノが見えている現象と考えられており、これによって深い安らぎを得られる人もいる。また、死ぬ間際になると、自分の体から魂が浮いているように感じたり、小さいときの思い出が走馬灯のように浮かんできたり、突如、子供の頃の記憶が戻る人もいるといわれます。昔の思い出話を淡々と語り出す人もいるようですね」
80代の父をがん闘病の末、看取ったKさん(59才)が、その瞬間を振り返る。
「教員をしていた父は、私が子供の頃から仕事第一で、わが子よりも生徒をかわいがっていたように思います。昭和の時代だったので、休日も生徒たちと遊びに行くことも珍しくなく、家族は二の次。それをさびしく思ったこともありましたが、あきらめていました。
そんな父の呼吸が浅くなり、いよいよというとき。『好子、遊園地、楽しいな』と言ったんです。遊園地なんて行ったことはありません。でも、子供の頃、近所にあった小さな公園のことを父と私は遊園地といって学校帰りに立ち寄ったことが何度かありました。そのときのことを思い出していたのかな。ずっとしかめっ面で眠っていたのに、やさしい笑顔になって。最期に思い出してくれたことで、子供の頃のさびしい思いもちゃらになりました」
黒木さんが言う。
「原因はまだはっきりと明らかになってはいませんが、われわれの記憶は脳の中に重なって記録され、昔の記憶ほど奥深いところに仕舞われている状態とされます。死が近づくと、記憶の断層が上からはがれることで眠っていた記憶が呼び覚まされるという説があります」
体が浮かんで川が見えた
臨終の間際、意識が薄れ、言葉を発することもできないような状況でも、看取りの際に家族が手を握り、「いままでありがとう」などと声をかけると、笑顔を見せる人もいる。
埼玉県に住むIさん(67才)は、母の死を前に、信じられない体験をしたと話す。
「骨折が原因で、体のいくつもの機能が急激に弱まり、肝臓がんも併発して入院も長期化していました。90才を過ぎていたので、お医者さんからは『あとはゆっくりと死に向かっていくだけです』というようなことを言われました。実際に、日中のほとんどを眠って過ごし、たまに目を開けても言葉を発することもなく、目線を上下させるくらいで、正直、私のことも認識できていたかどうか…。
それがある日、いつものように病室にお見舞いに行き、ベッドの横で母の顔を見ながらスマホを操作したときのことです。3才になる孫の発表会の動画を再生したら、母の手が急に伸びて、目から涙が。呼びかけに応じることもなくなって、もう耳も聞こえないと思っていたのに、ちゃんと声が届いていたんですね」
さまざまな研究から命が燃え尽きる直前に、脳波の増加が見られることがわかっており、これを終末期拡延性脱分極という。体から魂が離れる、いわゆる臨死体験が起こっている状態とみる研究者もいるようだ。
実際に、事故に遭った瞬間や病気の症状が悪化したときに「臨死体験をした」と語る人は少なくない。
芸能界でも、俳優の哀川翔(63才)が、「寝ているんだけど、おがくずの中に入ってるの。成長するときだったのかな、おれが。羽化して。カブトムシか、おれはって。おがくずの中で寝ててもしょうがないから、とりあえず出ようかと掘ったわけ。そしたら寝ていたおれが、おがくずをかくみたいにボーンと起きたみたい」と、原因不明の呼吸停止の間に起きたことを明かしている。
ほかにも、国際弁護士の八代英輝氏(60才)はこれまでに2度の臨死体験を経験したと告白している。その内容は、「高校生のときに乗っていたバイクが車と正面衝突し、体が投げ出されて意識がなくなる間に走馬灯がよぎり、色とりどりのお花畑と流れる川を見た」ことと、「以前受けた心臓カテーテル手術の最中に心停止が起こり、急に体が浮かんで横たわる自分の姿を見下ろしたかと思ったら、かつてと同じお花畑と川を見た」というもの。
このようにお花畑を見た、三途の川を見た、他界した両親に会った、などその内容はさまざまだが、こうした臨死体験についてもいま研究によって、その正体が明らかになりつつある。
何十年にもわたり、臨死体験について経験者と対話を重ねたバージニア大学名誉教授で精神科医のブルース・グレイソン氏は、研究の成果を「グレイソン・スケール」にまとめた。「時間の経過が早くなったり、遅くなったりしたか」「思考のスピードが速くなったか」など16の質問のうち、7つに当てはまれば臨死体験をしたという指数となる。これを活用し、2019年に開かれたヨーロッパ神経学会では、デンマーク・コペンハーゲンの医師たちが「一般人のおよそ10%は臨死体験の経験があると推定される」との調査結果を発表した。
臨死体験は単なるオカルト現象ではなく、極めて科学的に分析されつつあるのだ。
人体が動きや呼吸を止めた後も、脳はわずかな時間であっても活動を続けるとしたら―死の核心に迫るテーマであり、解明が待たれるが、医師が人の生死の最終判断を行う際にはどのような基準で判定を下すのだろうか。黒木さんが言う。
「医師は肺、心臓、脳の機能の停止を見ます。これを“死の三徴候”といい、すなわち呼吸の停止、心拍の停止、瞳孔散大と対光反射の消失を確認するのです。これらがすべて確認されると、家族の前で死を告げることになります」
“ピンピンごろり”が理想の逝き方
前述の通り、人の死に方にはさまざまなパターンがある。老衰で眠るように亡くなることもあれば、病気が原因になることもあるし、不幸にも交通事故に遭って亡くなる事例も少なくない。
近年では、日本人の2人に1人が患うがんによる死亡率が上がっている。しかし黒木さんは、「がんと宣告されるとショックを受ける人は多いですが、それほど怖がる必要はありません」と話す。
「循環器疾患など突然亡くなる患者が多い病に対し、がんは余命半年と言われた人が4年生きたケースは珍しくありません。確かにがんは亡くなる直前に急激に症状が悪化していくのが特徴の病気ですが、適切な治療を施せば約60%が治りますし、がんが発見されてからも、年単位で日常生活を楽しむことができる期間が残されています。
痛みが大きいときには鎮痛剤を処方したり、精神安定剤などを服用してつらさを和らげることも可能です」
黒木さんは、「人生100年時代を迎えつつあるいま、理想の死に方を考えることが大切」と話す。一般的に理想的とされるのが、いわゆる“ピンピンコロリ”だろう。
しかし、黒木さんは、これからの時代は“ピンピンごろり”で逝くことを目指すべきと説く。
「ピンピンコロリで亡くなると残された人たちがショックを受けやすく、悲しみも大きくなります。“ピンピンごろり”は病気などで穏やかに寝込みながら死に近づいていく死に方で、亡くなるまでの間、ゆっくりと身の回りのことを考える時間が持てるのです」
その間、葬儀のことを家族と話し合い、家の片づけをしたり、遺言書を作成して死に備えていく。愛する人や友人に感謝することも重要だ。これこそが、本人も周りも満足できる理想的な死に方といえるのかもしれない。
医師で小説家でもあり、多くの患者を看取ってきた久坂部羊さんは、死を自然なものとして受け入れ、向き合うことの大切さを説く。
「死ぬことを前提に生きるということは決して不吉なことではないし、縁起の悪いことではないと思います。死は一日に朝・昼・晩があり、宇宙があることと同じように自然なこと。人間の力が及ぶものではないので、従う以外にありません。
しかし、命には限りがあると理解できれば、残された時間を有意義に過ごそうとポジティブに考えられます。むやみに延命治療にすがって苦しんだり、病院で過ごす時間が増えて大切な人と過ごす時間を失うことも少なくなるはずです」
死を直前にすると、精神的にめいってしまうことは少なくない。久坂部さんが提唱するのが、死に向けて“新・老人力”を身につけることだ。久坂部さんの亡くなった父親が実践していたことだという。
「動きがのろくなってきたら“ゆっくり力”が身についたと考え、効率的に動いたり考えたりできないことを“のんびり力”がついたと考える。老いによる不自由に対しても、“受け入れ力”を発揮すれば、“満足力”や“感謝力”が高まっていく。老いをポジティブに捉えれば、死を受け入れることができるようになるのです」(久坂部さん)
理想の死とは、人生に満足し、充分に生きたと感じ、心置きなくこの世から去っていくことだ。そのためには、死への理解を深め、あらゆる超常現象を恐れることなく最期を迎える心構えを日頃から持つことが大切なのである。
※女性セブン2024年12月12日号
【写真】死の瞬間に起こることとは?そのイメージ写真
「死の12か月前」にはBMIが急激に落ち込みはじめる
いつの時代も、人にとって“死”は重大な関心事である。それは、ひとえに「人は必ず死を迎える」ためにほかならない。どれほど医療技術が進歩しても、死を避けることはできないのだ。罹る病や、不慮の事故、突然死など死因は人によってさまざまだが、来るべき人生の最期を穏やかに迎えたいとは誰もが思うことだろう。と同時に、終末期やお迎えの瞬間について「自分はどうなるのか」と考える人は少なくない。
そもそも、命が尽きようとしているとき、人体ではいったいどのようなことが起きているのだろうか。『死ぬということ』などの著書がある東京大学名誉教授で医師の黒木登志夫さんが解説する。
「特別養護老人ホームに入所する106人の『亡くなるまでの5年間』の栄養状態を追跡した、東京有明医療大学の川上嘉明氏の研究に興味深いデータがあります。いわく、死を迎えるまでの『最初の4年間』の食事摂取量は普通の人の半分程度に抑えられているものの、まだ問題なく食べることができますし、水分摂取量にも大きな変化が見られません。
ところが、その4年の間に、身長と体重から肥満度を示す『BMI』がじわじわと減少していきます。身体機能の低下で栄養の摂取がうまくできなくなり、高齢者特有の“食べてもやせてしまう現象”が起きているためです」
そして、「死の12か月前」にはBMIが、8か月前には食事摂取量が、5か月前には水分摂取量が急激に落ち込みはじめる。死の2~4週間前になると、人は元気だった頃とは異なる行動をとるようになると、黒木さんは続ける。
「食欲が減退しはじめるうえにのどの渇きも減るので、水分も摂らなくなってしまうのが大きな変化です。食事と水分の摂取量が減少すると、当然ながら体重が急激に減少し、体の動きも鈍くなります。これらは体の機能が徐々に停止に向かい、栄養を必要としなくなるため起こると考えられます」
ゆるやかに呼吸が止まる
死の1~2週間前には睡眠時間が長くなる。周囲からは、意識が朦朧とし混濁しながら眠りについているように見えるが、当人は頭の中で夢と現実の間を行ったり来たりしているという。
「体温が1~2℃低くなってきて、尿の量や血圧の低下、呼吸の乱れが見られます。また、血圧の低下に伴い、体内への血液の巡りが悪くなるため、唇、皮膚、手足などが青く変色してきます。数日前とは明確に異なる変化のため、いよいよ死が近づいていると誰もが認識できるはずです。
やがて、深い呼吸と浅い呼吸が繰り返される『チェーン・ストークス呼吸』や、下顎を上げてあえぐ『下顎呼吸』が見られるようになります。これらは、体内が低酸素状態となるため起こる現象です。この段階になると、死が近くに迫っていると考えていいでしょう」(黒木さん・以下同)
『死亡直前と看取りのエビデンス』(森田達也、白土明美著)に記される研究によると、下顎呼吸が生じてから亡くなるまでの時間は、1時間以内が約30%、1~4時間以内が約30%、4~12時間以内が約20%と、大半が1日以内に亡くなっている。すなわち、私たちは死の瞬間を迎えるまでにゆるやかに呼吸を止める動きに入っているのだ。
死の前に起こること
【2〜4週間前】食欲の減退、体重の減少、動きの鈍化
【1〜2週間前】眠る時間が長くなる、意識が朦朧とする
【直前】体温の低下、血圧の低下、尿量の低下、呼吸の乱れ、脈が不規則に、唇、皮膚、手足などの色が青くなる、呼吸の変化
亡くなる直前の奇妙な行動
特に高齢者において、手術後などのストレスが高いときや、死の間際に見られる興味深い行動の1つが「せん妄」である。せん妄とは、死が迫っている人が精神的に疲弊し、一種の錯乱状態に陥ることだ。黒木さんによると、手術後の環境や体調の変化などの影響で自然に起こる現象だというが、科学的に解明されていない不可解な行動も見られる。
「せん妄の事例で多いのは、朝と夜といった時間帯や、病院と家など場所が曖昧になるというもの。なかには突然、亡くなった配偶者の名前を呼んだりするかたや、亡くなった親や友人と会話しているようにうわごとを繰り返すかたもいます」
周りからは奇妙な行動に見えるという。
「実際には見えるはずのない人やモノが見えている現象と考えられており、これによって深い安らぎを得られる人もいる。また、死ぬ間際になると、自分の体から魂が浮いているように感じたり、小さいときの思い出が走馬灯のように浮かんできたり、突如、子供の頃の記憶が戻る人もいるといわれます。昔の思い出話を淡々と語り出す人もいるようですね」
80代の父をがん闘病の末、看取ったKさん(59才)が、その瞬間を振り返る。
「教員をしていた父は、私が子供の頃から仕事第一で、わが子よりも生徒をかわいがっていたように思います。昭和の時代だったので、休日も生徒たちと遊びに行くことも珍しくなく、家族は二の次。それをさびしく思ったこともありましたが、あきらめていました。
そんな父の呼吸が浅くなり、いよいよというとき。『好子、遊園地、楽しいな』と言ったんです。遊園地なんて行ったことはありません。でも、子供の頃、近所にあった小さな公園のことを父と私は遊園地といって学校帰りに立ち寄ったことが何度かありました。そのときのことを思い出していたのかな。ずっとしかめっ面で眠っていたのに、やさしい笑顔になって。最期に思い出してくれたことで、子供の頃のさびしい思いもちゃらになりました」
黒木さんが言う。
「原因はまだはっきりと明らかになってはいませんが、われわれの記憶は脳の中に重なって記録され、昔の記憶ほど奥深いところに仕舞われている状態とされます。死が近づくと、記憶の断層が上からはがれることで眠っていた記憶が呼び覚まされるという説があります」
体が浮かんで川が見えた
臨終の間際、意識が薄れ、言葉を発することもできないような状況でも、看取りの際に家族が手を握り、「いままでありがとう」などと声をかけると、笑顔を見せる人もいる。
埼玉県に住むIさん(67才)は、母の死を前に、信じられない体験をしたと話す。
「骨折が原因で、体のいくつもの機能が急激に弱まり、肝臓がんも併発して入院も長期化していました。90才を過ぎていたので、お医者さんからは『あとはゆっくりと死に向かっていくだけです』というようなことを言われました。実際に、日中のほとんどを眠って過ごし、たまに目を開けても言葉を発することもなく、目線を上下させるくらいで、正直、私のことも認識できていたかどうか…。
それがある日、いつものように病室にお見舞いに行き、ベッドの横で母の顔を見ながらスマホを操作したときのことです。3才になる孫の発表会の動画を再生したら、母の手が急に伸びて、目から涙が。呼びかけに応じることもなくなって、もう耳も聞こえないと思っていたのに、ちゃんと声が届いていたんですね」
さまざまな研究から命が燃え尽きる直前に、脳波の増加が見られることがわかっており、これを終末期拡延性脱分極という。体から魂が離れる、いわゆる臨死体験が起こっている状態とみる研究者もいるようだ。
実際に、事故に遭った瞬間や病気の症状が悪化したときに「臨死体験をした」と語る人は少なくない。
芸能界でも、俳優の哀川翔(63才)が、「寝ているんだけど、おがくずの中に入ってるの。成長するときだったのかな、おれが。羽化して。カブトムシか、おれはって。おがくずの中で寝ててもしょうがないから、とりあえず出ようかと掘ったわけ。そしたら寝ていたおれが、おがくずをかくみたいにボーンと起きたみたい」と、原因不明の呼吸停止の間に起きたことを明かしている。
ほかにも、国際弁護士の八代英輝氏(60才)はこれまでに2度の臨死体験を経験したと告白している。その内容は、「高校生のときに乗っていたバイクが車と正面衝突し、体が投げ出されて意識がなくなる間に走馬灯がよぎり、色とりどりのお花畑と流れる川を見た」ことと、「以前受けた心臓カテーテル手術の最中に心停止が起こり、急に体が浮かんで横たわる自分の姿を見下ろしたかと思ったら、かつてと同じお花畑と川を見た」というもの。
このようにお花畑を見た、三途の川を見た、他界した両親に会った、などその内容はさまざまだが、こうした臨死体験についてもいま研究によって、その正体が明らかになりつつある。
何十年にもわたり、臨死体験について経験者と対話を重ねたバージニア大学名誉教授で精神科医のブルース・グレイソン氏は、研究の成果を「グレイソン・スケール」にまとめた。「時間の経過が早くなったり、遅くなったりしたか」「思考のスピードが速くなったか」など16の質問のうち、7つに当てはまれば臨死体験をしたという指数となる。これを活用し、2019年に開かれたヨーロッパ神経学会では、デンマーク・コペンハーゲンの医師たちが「一般人のおよそ10%は臨死体験の経験があると推定される」との調査結果を発表した。
臨死体験は単なるオカルト現象ではなく、極めて科学的に分析されつつあるのだ。
人体が動きや呼吸を止めた後も、脳はわずかな時間であっても活動を続けるとしたら―死の核心に迫るテーマであり、解明が待たれるが、医師が人の生死の最終判断を行う際にはどのような基準で判定を下すのだろうか。黒木さんが言う。
「医師は肺、心臓、脳の機能の停止を見ます。これを“死の三徴候”といい、すなわち呼吸の停止、心拍の停止、瞳孔散大と対光反射の消失を確認するのです。これらがすべて確認されると、家族の前で死を告げることになります」
“ピンピンごろり”が理想の逝き方
前述の通り、人の死に方にはさまざまなパターンがある。老衰で眠るように亡くなることもあれば、病気が原因になることもあるし、不幸にも交通事故に遭って亡くなる事例も少なくない。
近年では、日本人の2人に1人が患うがんによる死亡率が上がっている。しかし黒木さんは、「がんと宣告されるとショックを受ける人は多いですが、それほど怖がる必要はありません」と話す。
「循環器疾患など突然亡くなる患者が多い病に対し、がんは余命半年と言われた人が4年生きたケースは珍しくありません。確かにがんは亡くなる直前に急激に症状が悪化していくのが特徴の病気ですが、適切な治療を施せば約60%が治りますし、がんが発見されてからも、年単位で日常生活を楽しむことができる期間が残されています。
痛みが大きいときには鎮痛剤を処方したり、精神安定剤などを服用してつらさを和らげることも可能です」
黒木さんは、「人生100年時代を迎えつつあるいま、理想の死に方を考えることが大切」と話す。一般的に理想的とされるのが、いわゆる“ピンピンコロリ”だろう。
しかし、黒木さんは、これからの時代は“ピンピンごろり”で逝くことを目指すべきと説く。
「ピンピンコロリで亡くなると残された人たちがショックを受けやすく、悲しみも大きくなります。“ピンピンごろり”は病気などで穏やかに寝込みながら死に近づいていく死に方で、亡くなるまでの間、ゆっくりと身の回りのことを考える時間が持てるのです」
その間、葬儀のことを家族と話し合い、家の片づけをしたり、遺言書を作成して死に備えていく。愛する人や友人に感謝することも重要だ。これこそが、本人も周りも満足できる理想的な死に方といえるのかもしれない。
医師で小説家でもあり、多くの患者を看取ってきた久坂部羊さんは、死を自然なものとして受け入れ、向き合うことの大切さを説く。
「死ぬことを前提に生きるということは決して不吉なことではないし、縁起の悪いことではないと思います。死は一日に朝・昼・晩があり、宇宙があることと同じように自然なこと。人間の力が及ぶものではないので、従う以外にありません。
しかし、命には限りがあると理解できれば、残された時間を有意義に過ごそうとポジティブに考えられます。むやみに延命治療にすがって苦しんだり、病院で過ごす時間が増えて大切な人と過ごす時間を失うことも少なくなるはずです」
死を直前にすると、精神的にめいってしまうことは少なくない。久坂部さんが提唱するのが、死に向けて“新・老人力”を身につけることだ。久坂部さんの亡くなった父親が実践していたことだという。
「動きがのろくなってきたら“ゆっくり力”が身についたと考え、効率的に動いたり考えたりできないことを“のんびり力”がついたと考える。老いによる不自由に対しても、“受け入れ力”を発揮すれば、“満足力”や“感謝力”が高まっていく。老いをポジティブに捉えれば、死を受け入れることができるようになるのです」(久坂部さん)
理想の死とは、人生に満足し、充分に生きたと感じ、心置きなくこの世から去っていくことだ。そのためには、死への理解を深め、あらゆる超常現象を恐れることなく最期を迎える心構えを日頃から持つことが大切なのである。
※女性セブン2024年12月12日号