(「河北新報」平成23年6月15日(水)付け記事より引用)
3月11日の地震発生時、仙台市福祉プラザには、利用者や建物に入居する団体の関係者約400人がいた。その時、管理課の徳田泰子さん(37)は、4階の管理事務室で机の下に潜った。
<一時は避難所に>
横揺れは次第に大きくなり、がたがたと音が響く。停電で照明がいったん消え、非常用の電源に切り替わった。
揺れが収まると、徳田さんら職員8人は、手分けして館内の利用者を外に誘導。徳田さんは12階まで階段を駆け上がった後、逃げ遅れた人がいないか、各部屋を見回りながら1階ずつ下りてきた。エレベーターが停止したため、途中では車いすの人を職員が3人がかりで階段を下ろしているのを目にした。
2階のふれあいホールではクラーク記念国際高の卒業式があり、教職員と生徒ら約280人がいた。全員ホール外のロビーに待機。「みなさん落ち着いていた」と徳田さんは振り返る。
その後、いったん全員を指定避難所になっている隣の五橋中に誘導したが、帰宅困難者であふれていたため、1階のプラザホールを開放。公衆電話には、長い行列ができた。その後、4月16日まで避難所として利用された。ピーク時には100人が身を寄せた。
<余震で壁が崩落>
施設の損傷は比較的軽微だった。4月7日夜の余震で入り口付近の壁が崩れたものの、落下した照明器具などの復旧が終わっていないふれあいホールを除く全施設が、6月1日から再開している。
再開後、利用者から「大変だったね」とねぎらいの言葉をもらった徳田さん。「あっという間にも思えましたが、長かったですね」。にぎわいの戻った館内で、ほっとした表情を見せた。
3月11日の地震発生時、仙台市福祉プラザには、利用者や建物に入居する団体の関係者約400人がいた。その時、管理課の徳田泰子さん(37)は、4階の管理事務室で机の下に潜った。
<一時は避難所に>
横揺れは次第に大きくなり、がたがたと音が響く。停電で照明がいったん消え、非常用の電源に切り替わった。
揺れが収まると、徳田さんら職員8人は、手分けして館内の利用者を外に誘導。徳田さんは12階まで階段を駆け上がった後、逃げ遅れた人がいないか、各部屋を見回りながら1階ずつ下りてきた。エレベーターが停止したため、途中では車いすの人を職員が3人がかりで階段を下ろしているのを目にした。
2階のふれあいホールではクラーク記念国際高の卒業式があり、教職員と生徒ら約280人がいた。全員ホール外のロビーに待機。「みなさん落ち着いていた」と徳田さんは振り返る。
その後、いったん全員を指定避難所になっている隣の五橋中に誘導したが、帰宅困難者であふれていたため、1階のプラザホールを開放。公衆電話には、長い行列ができた。その後、4月16日まで避難所として利用された。ピーク時には100人が身を寄せた。
<余震で壁が崩落>
施設の損傷は比較的軽微だった。4月7日夜の余震で入り口付近の壁が崩れたものの、落下した照明器具などの復旧が終わっていないふれあいホールを除く全施設が、6月1日から再開している。
再開後、利用者から「大変だったね」とねぎらいの言葉をもらった徳田さん。「あっという間にも思えましたが、長かったですね」。にぎわいの戻った館内で、ほっとした表情を見せた。