ホルマリンのマンネリ感

北海道在住、ホルマリンです。旅行、怪しい珍スポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、昭和レトロなどなど…。

青森ミステリー見聞録 その3

2020-11-21 22:12:19 | 旅行(道外)2020~

キリストは弟イスキリを身代わりに処刑を逃れ、ここ新郷村で106歳の天寿を全うしたという衝撃伝説。
伝承館の奥には、その裏付けともいえるいくつかの言い伝えが解説されていた。

まずはこの村をはじめ、青森県南部~岩手県北部の旧南部藩領内に古くから伝わる
ナニャドヤラ」という謎の盆踊り唄。村の入り口の看板にも書かれていたアレである。

他の地域では笛や太鼓などの音が付け加えられ、リズムがアップテンポなのに対し、
新郷村の唄は「ナニャドヤラ~ ナニャドナサレド ナニャドヤラ~」という意味不明な言葉
ただ単調に繰り返すのみ。

神学博士の川守田英二氏は、これは古代ユダヤの軍歌で、ヘブライ語で神を讃える意味であると分析。
「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を掃蕩し~」といった感じである。
旋律もユダヤで古くから歌われてきたそれにそっくりだという。

6月の第一日曜日には「キリスト祭」という村の伝統行事が行われ、
「ナニャドヤラ」は祭のクライマックスに墓の周囲を回りながら披露される。


次に「キリストの子孫」と言われる沢口家である。
キリストはこの村で「十来太郎大天空」と名乗り、二十歳の女性との間に3人の娘を持ったと言われている。その長女が嫁いだとされるのが沢口家。
代々キリストの墓を守っており、その先祖の風貌は「眼は青く、目鼻立ちが日本人離れしていた」という。

考古学、歴史学ジャーナリストの山根菊子氏は、現在の当主・沢口豊治氏の父・三次朗氏の印象について「絵に見るキリストの肖像の生き写しだ。頭の毛がズッと禿げ上がって居り、鼻は高く眼は大きく、
身体のガッチリした風貌はあまりによく似ている」と記載している(『光は東方より』1937年)。

そしてその沢口家の古い戸袋には、六芒星がもとになっていると言われる星形の家紋があった。
形が多少違うのは「沢口家の家紋の桔梗が変化したから」「ダビデの紋章を打ち付けるのは恐れ多いと形を変えたから」などの説がある。
現物は現存しておらず、館内にはレプリカが展示されている。


△キリスト伝説の発端となった「竹内古文書」の複製。

そもそも、この村は元々の名前が「戸来(ヘライ)村」。
お気づきのように「ヘブライ」の発音に似ている。
方言でも、大人の男(父親)を「アヤ」「ダダ」、女性(母親)を「アパ」「アバ」と呼ぶことについて、聖書の「アダム」と「イブ」が訛ったものではないかとも言われている。

先述した子どもの額に十字を描く風習の他にも「足がしびれた時に額に十字を3回描く」「農作業の作業着がパレスチナのそれに似ている」など、挙げるといくらでもある。


キリストの遺言書」なるものも展示されていた。こちらも竹内古文書の中にあったもので、展示品は複製。
布教には努めなかったものの、日本全国を行脚し言語や風俗などを視察する傍ら、庶民救済に尽力したことなどが書かれている。
なお、当時のキリストは禿げ頭白髪で赤ら顔の鼻高、ヒダの多いオーバーを着ていたことから、人々に天狗として敬われていたという。

まさに「真実は神のみぞ知る」である。



さて、「キリストの里公園」のすぐ向かいには「キリストっぷ」なるネーミングセンス抜群の休憩処がある。
せっかくなので開店時間を待って立ち寄ってみた。


開店時間はキリストだけに「十字架ら(10時から)3時まで」(土日限定)。
ロゴをあしらったTシャツやトートバッグ、缶バッジ、そして「ナニャドヤラ」の完全版CDなどを販売している。

所々に散りばめられたユーモアに、それこそバチが当たらないのかと心配してしまったが、
スタッフのおばあちゃんによると、かれこれ開店してから10年ほど経つという。
村の高齢女性グループが運営、維持管理を行っているそうだ。


午前10時40分。


キリストの墓の見学を終え、村の次なるパワースポット「大石神ピラミッド」へ向かうことに。
案内板に従い国道を逸れ、少しばかり進むと細道への入り口が。


車1台ぶんの薄暗い坂道を恐る恐る上って行く。
数百メートルほど走ったところに、ピラミッドの入り口である赤い鳥居が見えてきた。
キリストの墓から車で10分ほどの距離である。

・大石神ピラミッド(青森県三戸郡新郷村戸来雨池)



竹内家(先述)の神代史によると、日本にはエジプトのよりも古い数万年前のピラミッドが7基あるといい、ここ大石神は昭和10年に発見された4基目。
ピラミッドの権威者・酒井勝軍によると、エジプトなどに見られる平面基礎から築き上げたものではなく、三角形の山の頂上に太陽石が置かれ、周囲に列石が配置されたもの。
十和田湖町と新郷村の境にある三角錐型の十和利山(標高990メートル)とを結ぶことで太陽礼拝所としての役割を果たしていたといわれる。


この先、配置された石を巡る散策路が整備されているようだ。
さっそく入ってみよう。

続く。
コメント (3)
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