【訃報】7月8日本会会員富田巌さんが死去されました。謹んで哀悼の意を表します。5月県民文化センターでお会いしたのにとの、惜別の思いがしきりです。
【原水禁大会代表団と交流しました。】環境保護組織グリーンワールド議長オレグ・ボドロフ(Олег Бодров Oleg Bodrov)さんを囲んで(写真)。[原水爆禁止2012年世界大会国際会議報告より]
広島・長崎原爆から67年が経過しました。今こそ、この過去に類を見ない残虐行為の犠牲となった人々のことを再び想起すべき時です。日本国民とともに、私は頭を垂れ、地球上から一瞬にして消えた数十万人の人々の命を惜しみたいと思います。私を招待し、この数日間を皆さんとともにする機会を与えてくれた日本の仲間の皆さんに感謝します。これは核兵器が二度と決してどこにも使用されることがないよう皆さんと力を合わせる良い機会です。私はアメリカと争って核兵器製造をすすめている国から来ました。幸い、核兵器は他の国にたいして使用されたことはありません。しかし、ソ連で市民保護のために核兵器が作られるプロセスで、保護すべき人々のあいだに大量の被害者が生まれ、その数が日本の原爆犠牲者と同じくらいにのぼっているのは皮肉なことです。しかも現代のロシアにおいてもまだ生まれ続けています。その原因の一つは、ソ連とアメリカが対立していた時代に確立された核インフラを維持し、寿命を延ばそうという考え方があるからです。この核インフラの基礎は、閉鎖された核都市です。そこには国の知的、物質的、経済的資源が集中しています。核都市の閉鎖社会での活動は完全に秘密裏に、人命を軽視して行なわれています。それは目に見えない「核の島」で、そこに暮らしていたのは、国民の95%が経験した戦後の混乱や貧困とは無縁の、物質的繁栄の特権を享受していた人々です。一般人は、たとえ家族であってもこの「核の島」で働く専門職員に会うことすらできませんでした。社会的インフラは核施設用予算によって維持されていました。代替の仕事はありません。核施設で働く職員には無償で住宅が与えられます。仕事を変えることはできません。実際、核施設には「宿泊部」.がありました。冷戦終焉とともに世界が変わりました。兵器級プルトニウムを生産する必要もなくなりました。プルトニウムは地球の全ての生物を何度も抹殺できるだけの量が蓄積きれています。しかし50万人以上の住民の社会インフラである「核都市」は核技術に支えられていました。核兵器製造をやめることは社会インフラの崩壊を意味します。また、ロシアにはこれらの「核都市」インフラを、民主主義と持続可能な開発の諸原則に基づいて別の施設に転換する計画が全くありません。現在、核都市で実施されている計画は核技術関連のものです。冷戦時代同様、このプロセスは核都市の外にあるロシア社会にたいしては閉じられたままです。米口両国政府の間の核不拡散体制の維持に関する合意では、ロシアは使用済み核燃料の研究用原子炉を東欧、および中欧諸国から受け入れなければなりません。この危険な放射性物質の東欧や中欧からの移動で、これら諸国は核拡散の脅威から解放されます。危険な放射性物質を安全に隔離し、自然界の動植物との接触を防ぐ必要もなくなります。移動された使用済み燃料がどうなるかはロシアの内部問題です。言い換えれば、ロシア、アメリカ、EUの政治家たちが採用した核不拡散モデルの実施には、ロシアに持ち込まれた使用済み核燃料が処理されるプロセスの包括的な安全性分析が含まれていないのです。そのためヨーロッパにおける不拡散問題が、ロシアでは人権侵害と環境安全の間題に変わることになります。ロシアの使用済み核燃料の再処理技術は、環境への放射性廃棄物の処理を伴う汚いものです。マヤーク工場(チェリアビンスク地方のオゼルスク)から排出される放射性廃棄物の量は使用済み核燃料の量の千倍以上です。液体の放射性廃棄物の一部は自然の湖沼や川一カラチャイ湖とテチャの滝一に排出されます=これらの排出を認めるやり方は米口間の「冷戦」時代に形成されました。当時はマヤークで兵器級プルトニウムが生産され、環境汚染はそれほど重要な現象であるとは見られていませんでした。環境汚染の問題は、1957年に発生した最大の事故を含むマヤークでの相次ぐ事故によって深刻化しました。現在、プルトニウムが過剰になったため、これ以上生産する必要はなくなりました。しかし現代のロシア当局はプルトニウムを含む使用済み核燃料を、ヨーロッパからウラル地方に移しつつあります、ロシアのいくつかの原子力発電所や原子力潜水艦から取り出された使用済み燃料もマヤークに運ばれます。それはオゼルスクの生活と他の12か所ほどの「閉鎖された核都市」一自由もなく、ロシア社会から断絶された孤島の生活を支えています。これらの都市に住む若者たちのあいだには、「核を肯定する考え方」が根強くあります。実際、マヤークは冷戦時代の核のインフラの機能を支えています。そしてこの核のインフラから利益を受けている人が、世界が変わった今日でもなお冷戦関孫を継続させようとしているのです。現代ロシアの核政策は、核軍拡競争が始まってからマヤークが生み出した数十万人の被害者に加わる、新しい被害者をつくりだしています。チェリアビンスク地方の汚染された地区に住む4世代にわたる人々のあいだには、ガンが増えています。ガンの発病件数は過去20年間で倍増し、10万人当たり400件になっています(ロシア全体では355件、欧州では290件)。子供の先天性異常は2010年、出産数1000件にたいし52.33人です(ロシア全体では33.8人)*マヤ一ク再処理工場周辺のフルトニウム汚染は直径200キロに広がっている。(図は省略。)ロシアヘの使用済み核燃料輸送についてヨーロッパおよびアメリカが同意したことは、ロシアの「国内政策」にたいする同意を意味していました。しかし、このロシアヘの核のブーメランは真逆の方向に帰っていくことになるのです。マヤークからテチャ川に放出する放射性核種は、オビ川から北極海へと流れこみます。福島の示したように、これはまもなく、魚介類などの海産物の放射能汚染を引き起こし、汚染された食品が欧州および北極圏の人々の食卓に上ることになるからです。詳しいことは「Wasteland」http://www.greenworld.org.ru/?q=ang_vidflmというドキュメンタリー映画で見ることができます。多くのロシアのNGOに使用済み核燃料の持ち込みは、自分の問題を他人の中庭に持ち込むことに相当し、解決にはならないと考えています。放射性廃棄物や使用済み核燃料を生産する国は、これらの物質を隔離し、生活システムの汚染を防ぐ責任があります。このプロセスの安全性の国際管理は不可欠です。現在まで、ロシアと国際社会のロシアヘの使用済み核燃料移転に反対する呼びかけに応えたのは、ドイツだけです。ドイツの政治家の知恵と政治的責任に敬意を表すべきです。ドイツは環境安全性を理解しロシアヘの核問題の持ち込みに反対した唯一の国です。2012年内にルーマニアからロシアヘの使用済み核燃料を移転させる計画があります。事前の情報では、約120トンのコンテナが2010年7月初旬にすでに空輸されています。これは2009年に開始した同様の移転の継続として行われたものです。したがって「空飛ぶチェルノブイリ」の潜在的な被害者である私たちは、今から行動しなければなりません。「核輸送機」事故が起こらないと保障出来るでしょうか?実際、ロシアの航空機の事故は最近増加しています。使用済み核燃料は、それが生産された国あるいは地方にとどまるべきです。核技術から利益を受ける人々は、その利益に伴う困った問題を解決する責任を負うべきです。これには環境の安全保障および核不拡散の体制も含まれます。このプロセスの透明性と説明責任は、社会正義の基本原則と全員の共通安全基準を実現するでしょう。今日、ロシア政府は社会に対し、透明性もなく、説明責任も果たしていません。このことが受け入れられないほど環境的および社会的リスクを高め、ロシアだけでなく全世界で日常的な人権侵害を引き起こしているのです。ロシアの核都市を再編し、その持続可能な発展を促進し、国際核計画の一環として包括的な安全評価を実施するためには、国際的な努カが必要です。この安全評価は、参加する国すべてに共通な安全基準に基づいているべきです。
http://www.decomatom.org.ru http://www.greenworld.org.ru
【秋の取り組み】
9月22日 さよなら原発のつどい「福島のいま そして これから」13:30平和祈念資料館地下
10月6日7日 ロシア語能力検定試験 1日目南区民文化センター 2日目袋町市民区流プラザ
10月28日 ぺあせろべ 基町 中央公園(日にちを訂正しました。)
11月3日 安芸ゾンタクラブ 杉浦圭子さん今中哲二さん講演 午後 リーガロイヤル・ホテル
11月3日 バトエルデネ馬頭琴(モリンホール)四重奏公演 18時開演西区民文化センター
モンゴル人演奏家によるチャリティコンサートです。大人前売り券1500円
11月11日 ボルゴグラードの日 40周年記念行事 午後 広島市留学生会館2階、1階(展示)
9月の広島市・市議会・広島メッセンジャーのボルゴグラード訪問団の報告などが予定されています。
11月18日 国際交流・協力の日 広島国際会議場
* 時刻・内容等の詳細はそれぞれのHP、ブログ等で確認してください。
【第10回日ロロフォーラム】9月6日・7日札幌の伊原さんの報告は次回以降で。