ハバロフスクでロシア極東初の原爆展開く
神奈川県日本ユーラシア協会では昨年夏の訪ロの際、本年が第二次世界大戦終結70周年であることを念頭にハバロフスク対外友好協会(以下、友好協会と略称)に対してロシア極東で最初の「広島・長崎原爆展」を開催することを提案し、快諾を得ました。これに基づき昨年末、広島県連の協力を得て広島平和文化センターの原爆写真ポスターが、世田谷支部の協力を得て虫プロの好意でアニメ「アンゼラスの鐘」DVDが友好協会に郵送されました。ところが、ロシア側郵便局の保管期限内にこれが友好協会に引き取られなかったために展示会資材は横浜に返送されてしまい4月29日のハバロフスク州立第三ギムナジュームでの第一回原爆展に間に合わせるべく急遽再送することとなりました。更に、8月5日の我々代表団の出発直前に友好協会から「展示用写真が4月の展示会の際に破れてしまったので新品を代表団が持参してほしい」との緊急連絡が入りました。広島平和文化センターの親切且つ敏速な御手配で出発の2日前に私達の事務所に届けられましたが冷汗ものでした。DVDについてもPAL, NTSC版とも「ファイルが空だ」、「ファイルが開けない」と連絡がありましたが、これは後日ロシア側専門家によって解決されたとの事で胸をなでおろしました。
8月6日、ハバロフスク州立郷土誌博物館で、無事ハバロフスクでの第2回原爆展が開催されました。
当日は博物館大会議室でポスター展示、開会式、「アンゼラスの鐘」上映会が開催されました。
露日協会の役員、会員さん、博物館の館長、館員さんなどと我々代表団員が参加、当地では夏休み中であったにも拘らず会場は満席となりました。
開会式では博物館館長の開会あいさつに続き、友好協会理事長ゾーヤ・ロイトマンさんが主催者を代表して経緯・趣旨を説明しました。この中で彼女は昨年の日本側提案を即座に快諾したことを述べ、出席者に千羽鶴を折りながら12歳で亡くなった被爆者佐々木禎子さんの話を紹介、第3ギムナジュームの生徒たちが貞子さんの志を継いで千羽鶴を折ったのでそれを広島に届けて頂きたいと同席した広島県連の藤井副会長に依頼しました。
友好協会会長はあいさつの中で原爆投下によって40万人以上の無辜の市民が犠牲になった事、国際社会には米国の原爆投下を肯定的に評価する人たちがいるがこの様な残虐な無差別大量殺人は到底許すことが出来ず国際軍事裁判にかけるべきだ、この提訴は必ず国際的支持が得られるであろうと述べた。
同会長はまた今回の展示会開催は非常に良い第一歩であり、過去を忘れず、被爆の実態を広く知らせ、核兵器の廃絶に向かって実りある成果を挙げて行きたいと抱負を語った。
神奈川県日本ユーラシア協会の柴田会長は広島、長崎で起こった悲惨な事実を広く世界中の人々に知らせ、二度と再びこの様なことが起きないようにしたいと願っている、本日ハバロフスク友好協会の皆さんのご協力でロシアでは初めての民間団体同士での原爆展が開かれたことについてハバロフスクの市民の皆様に深く感謝し且つ非常に高く評価している、今日の展示会は小さな第一歩であるがそれは核兵器のない平和な世界を築く大きな道に通じている、展示会の様子は帰国後日本に広く紹介し、ロシアと日本の国民の友情と連帯を一層強めたいと挨拶しました。
原爆展終了後第一チャンネル・テレビ局からインタービューがあり、「日本人はヒロシマ、ナガサキをどう思っているのか」、「日本人はアメリカ政府の原爆投下どう考えているのか」など広島県連藤井副会長が質問を受けました。
展示会にはロシアの市民だけでなく日本人留学生も留学先のロシア人校長に引率されて参観に来ていました。
開会式とインタービューの模様は同地のTV局が取材し放送されました。
私は8月6日、9日の平和の集いを、広島、長崎だけでなく世界中の都市で開催し、被爆の実相を世界中で共有する事が極めて重要であると考えています。そして全国的国際親善組織であり、ユーラシア各地に姉妹支部、関係団体などを持つ我が日本ユーラシア協会こそその任に最も適した組織の一つではないかと思います。
日本の様々な国際友好団体に原爆展の海外での開催を呼びかけることも検討しています。
今度のハバロフスク原爆展は広島平和文化センター、虫プロ、ハバロフスク対外友好協会、広島県連、世田谷支部、神奈川県連などの緊密な協力があって初めて実現することが出来たのであり、末筆ながら関係各位に深謝する次第です。なお、写真はすべて広島県連藤井副会長のご厚意により提供されたものです。
2015年8月28日 柴田順吉記す
神奈川県日本ユーラシア協会では昨年夏の訪ロの際、本年が第二次世界大戦終結70周年であることを念頭にハバロフスク対外友好協会(以下、友好協会と略称)に対してロシア極東で最初の「広島・長崎原爆展」を開催することを提案し、快諾を得ました。これに基づき昨年末、広島県連の協力を得て広島平和文化センターの原爆写真ポスターが、世田谷支部の協力を得て虫プロの好意でアニメ「アンゼラスの鐘」DVDが友好協会に郵送されました。ところが、ロシア側郵便局の保管期限内にこれが友好協会に引き取られなかったために展示会資材は横浜に返送されてしまい4月29日のハバロフスク州立第三ギムナジュームでの第一回原爆展に間に合わせるべく急遽再送することとなりました。更に、8月5日の我々代表団の出発直前に友好協会から「展示用写真が4月の展示会の際に破れてしまったので新品を代表団が持参してほしい」との緊急連絡が入りました。広島平和文化センターの親切且つ敏速な御手配で出発の2日前に私達の事務所に届けられましたが冷汗ものでした。DVDについてもPAL, NTSC版とも「ファイルが空だ」、「ファイルが開けない」と連絡がありましたが、これは後日ロシア側専門家によって解決されたとの事で胸をなでおろしました。
8月6日、ハバロフスク州立郷土誌博物館で、無事ハバロフスクでの第2回原爆展が開催されました。
当日は博物館大会議室でポスター展示、開会式、「アンゼラスの鐘」上映会が開催されました。
露日協会の役員、会員さん、博物館の館長、館員さんなどと我々代表団員が参加、当地では夏休み中であったにも拘らず会場は満席となりました。
開会式では博物館館長の開会あいさつに続き、友好協会理事長ゾーヤ・ロイトマンさんが主催者を代表して経緯・趣旨を説明しました。この中で彼女は昨年の日本側提案を即座に快諾したことを述べ、出席者に千羽鶴を折りながら12歳で亡くなった被爆者佐々木禎子さんの話を紹介、第3ギムナジュームの生徒たちが貞子さんの志を継いで千羽鶴を折ったのでそれを広島に届けて頂きたいと同席した広島県連の藤井副会長に依頼しました。
友好協会会長はあいさつの中で原爆投下によって40万人以上の無辜の市民が犠牲になった事、国際社会には米国の原爆投下を肯定的に評価する人たちがいるがこの様な残虐な無差別大量殺人は到底許すことが出来ず国際軍事裁判にかけるべきだ、この提訴は必ず国際的支持が得られるであろうと述べた。
同会長はまた今回の展示会開催は非常に良い第一歩であり、過去を忘れず、被爆の実態を広く知らせ、核兵器の廃絶に向かって実りある成果を挙げて行きたいと抱負を語った。
神奈川県日本ユーラシア協会の柴田会長は広島、長崎で起こった悲惨な事実を広く世界中の人々に知らせ、二度と再びこの様なことが起きないようにしたいと願っている、本日ハバロフスク友好協会の皆さんのご協力でロシアでは初めての民間団体同士での原爆展が開かれたことについてハバロフスクの市民の皆様に深く感謝し且つ非常に高く評価している、今日の展示会は小さな第一歩であるがそれは核兵器のない平和な世界を築く大きな道に通じている、展示会の様子は帰国後日本に広く紹介し、ロシアと日本の国民の友情と連帯を一層強めたいと挨拶しました。
原爆展終了後第一チャンネル・テレビ局からインタービューがあり、「日本人はヒロシマ、ナガサキをどう思っているのか」、「日本人はアメリカ政府の原爆投下どう考えているのか」など広島県連藤井副会長が質問を受けました。
展示会にはロシアの市民だけでなく日本人留学生も留学先のロシア人校長に引率されて参観に来ていました。
開会式とインタービューの模様は同地のTV局が取材し放送されました。
私は8月6日、9日の平和の集いを、広島、長崎だけでなく世界中の都市で開催し、被爆の実相を世界中で共有する事が極めて重要であると考えています。そして全国的国際親善組織であり、ユーラシア各地に姉妹支部、関係団体などを持つ我が日本ユーラシア協会こそその任に最も適した組織の一つではないかと思います。
日本の様々な国際友好団体に原爆展の海外での開催を呼びかけることも検討しています。
今度のハバロフスク原爆展は広島平和文化センター、虫プロ、ハバロフスク対外友好協会、広島県連、世田谷支部、神奈川県連などの緊密な協力があって初めて実現することが出来たのであり、末筆ながら関係各位に深謝する次第です。なお、写真はすべて広島県連藤井副会長のご厚意により提供されたものです。
2015年8月28日 柴田順吉記す