發心集第二 鴨長明撰
安居院聖行京中時隠居僧値事
近比安居院に住聖ありけり。なすべき事有て京へ
出ける道に大路つらなる井かたはらに下主尼の物
あらふ有けり。此聖を見てこゝに人の相奉むと侍べる
也と云ふ。誰と申ぞと云へば、今對面でぞの給はせむ
ずらむと云て、只きと立入り給へと切々に云ければ、思
ながら尼を前にたてゝ行入て見れば、はるかに奧ふかなる
家のちいさく造れるに、年たけたる僧一人あり。其云
事を聞ば、未知たてまつらざるに申はうちつけなれど
かくて形の如く後世のつとめを仕て侍つれど知
れる人も無れば善知識もなし。又罷隠けん後はとかく
すべき人も覚侍らぬによりて、誰にても後世者と見
ゆる人過給ば、必ずよび奉れとうはの空に申て侍べり
つる也。さて若うちひき給ば、あやしげなれとも跡にのこるべ
き人もなし。譲り奉らんと思給へるなり。其に取てかく
て侍べるを悪くも侍らず。中々しづかに侍べる隣に檢
非違使の侍べりつる間に、罪人を責問る音なむどの
聞こへたうるさく侍べりつれば、罷去なばやと思給れど、さて
もいく程も有まじき身をとなむ思わづらひ侍べるなむ
どこまやかに語る。此聖加樣に承はざるべきにこそ、の給
する事はいとやすき事に侍べりとて、浅からず契てを
ぼつかなからぬ程に行訪ひつゝ過けり。其後いく程な
くかくれける時、本意の如く行あひて是を見あつかふ。
弥勒の持者なりければ、其名号を唱へ真言なむどみ
てゝ臨修思樣にてをわりにけり。云しか如くとかくの事
なむど又口入する人もなし。されど此家をば其尼になむ
取せたりける。さて彼尼に何なる人にてをはせしぞ又
何事の縁にて世をば渡給しぞなむどゝ問ければ、我も
委事はヱしり侍らず。思かけぬゆかりにて、つきたて
まつりて年來つかうまつりつれど、誰とか申けむ。又し
れる人の尋侍べるも無りき。唯つく/"\とひとりのみをわせ
しに時料は二人が程を誰人とも知らぬ人のうする程
をはからひてなむ罷過しとぞ語ける。是もやう有ける人にこそ。