しうくんこう
従軍行
おうせうれい
王昌齢
しんじのめいけつ
秦時明月
かんじのくはんはん
漢時關萬
りちやうせいのひと
里長征人
いまたかへらたゝして ず
未還但使
りうじやうのひしやうを
龍城飛將
あらしめはすしめこ
在不教胡
はをしてわたuuらいんさんを
馬度陰山
いまにはしめず。しんのじふんも
きたといふかちかひみちでもない
ばんりてうせいし○てうぜうと
いふをきづいてせめた事がある。
そのときもかつせんにきたものが
此めいげつを見てこきやうの事
をおもひかなしみかんの時もきて
たゝかひしんかんよりこのかたかゑつた
ものがない。とかくよい大将がない
からこじんが都をあなとる。たゞゑ
ひすのおそるゝひしやうぐんのやふ
なひとがあらば胡人がからへ
うちいるゝことはあるまい。よい
大将のないはせひもないじ事じや。
此詩解へく解へからさるの間
に妙ありとなむ。
従軍行三首 其三
王昌齢
秦時の明月、漢時の関。
万里長征人未だ還らず。
但だ龍城の飛将の在らしめば、
胡馬をして陰山を渡らしめず。
意訳
ここは、秦の時代には、月が明るいだけの何もない場所だったが、漢の時代に関所が設けられた。
万里の道を越えて長征軍に参加した者は、私を含め故郷に還る事が出来ていない。
ただ、もし匈奴の居城の龍城で飛将軍として恐れられた李広将軍が、今もいたならば、
胡馬に乗った匈奴軍に、国境である陰山山脈を越え、侵略されるような事は無かっただろうに。
※明月 地名と言う説も有るが、一般的な意味が主流。
※龍城 モンゴルにあった匈奴の天を祭る場所で、匈奴の本拠地となっていた。2020年7月、アルハンガイ県ウルジート郡ボドント・バグのドゥルブルジンの遺跡が龍城であるとの報告がなされている。
唐詩選畫本 七言絶句 巻三