神樂岳清水谷佛種房事
神樂岳の清水谷と云處に佛種房と云て貴き
聖人有き。對面したる事は無りしかども、近き世の
人也しかば終往生人とて人の貴みあひたりしをば傳へきゝ
侍りき。此聖人其かみ水のみと云所に住侍べりけ
る比、木拾に谷へ下ける間に盗人入にけり。僅なる
物ども皆取て遠くにげぬと思ふてかへりみれば本の
處也。いとあやしと思て猶ゆくぞと思程に二時計
彼水のみの湯屋をめぐりて更に外へさらず。其時に聖あや
しみて問ふ。答て云樣我は盗人なり。而るに遠にげざりぬ
と思へども都て行事をえず。是たゞ事に非ず。今に至
りては物を返し侍べらん。願はゆるし給へ。まかり歸り
なむと云。聖の云く。なじかは罪ふかくかゝる物をば取らむと
する。但ほしふ思てこそは取つらん。更に返しうべからず。
其なしとも我事かくまじと云て盗人に猶とらせてやり
ける。大方心に哀み深くぞ有ける。年を經て彼清
水谷に住ける時あひ憑たる壇越あり。深く帰依し
て折節にはをくり物し、事にふれて心ざしをはごびつゝ過
けるに、殊に此聖わざと出て來て云樣、思かけずをぼし
ぬべけれど年來頼奉て侍なり。此程夢の如なる菴
室を造とて巧をつかい侍しが、魚をよげに食ひ侍べり
しが うらやましくて 魚のほしく侍べれば、此殿には多侍
るらむと思ひて わざと参れる也と云。主をろかなる 女
心にあさましと 思の外に覚けれど、能樣にして 取
出たりければ、能々食て残をば瓦器をふたにをほひ
て紙にひきつゝみて、是をばあれにてたべむとて、ふところに
入て出にけり。其後此人ほいなく覚へながら、さすがに
心ぐるしく思やりて、一日の御家づと夢がましく見へ
侍べりしかば、重て奉るなりとて、さま/"\に調して贈たり。
けれど其度はとゞめず。御心ざしは うれし侍べり。され
ども一日の残りにたえあきて今はほしくも侍らねば
是返し奉るとなむ云たりける。是も此世に執をとゞ
めじと思けるにや。此佛種房有時風氣ありて煩けり。
かたの樣なる家あれこぼれてつくろふ事なし。病を見る
人もなければ、ひとりのみ病臥せりけるに、時は八月十五
夜の月いみじくあかゝりける夜、よひより音をあげて念
佛する事あり。まぢかき家々たふとくなむ聞き。集り
て見に 板間もあはずあれたる家に月の光心のまゝに
指入たるより外にともなし。夜中うちすぐる程に、あな
うれし。是こそは年來思つる事よと云音かべの外に
聞へけり。其後は念佛の音もせずなりぬ。夜あけて
見ければ西に向ひて 端座し合掌して眠るが如く
にてぞ有ける。此家はすこしも離れずあやしの下臈の
家どもの 軒つゝきになむ在ける。
※神樂岳の清水谷 左京区の吉田神社の岡。その西北の麓。
※佛種房 不詳。平安末期か?
※水のみ きらら坂の途中。
※風氣 風邪など。