酔っぱらい一人旅

オール電化キャンプを推進します・・・

☆★2004年某日・・・税務署がやって来た・・・完!!!

2015-05-20 20:11:23 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

2004年某日・・・

 

 

 

開業して4年経った。

某エアラインの機内誌や日本の旅行ガイドブックに掲載して頂いたりしたお陰もあり当初目標としていた5倍以上の来客数となっていた。

店はそれなりに繁盛していたが、この頃の俺は何かモヤモヤしていた。

何だったのだろうな?若かったせいもある。このままマッサージ屋のオヤジで終わって良いのか?という思いがあった。

だからといって何か他に行動を起こそうとしていたわけでもない。

そんな今となっては大変贅沢な悩みを抱えていたある日・・・・

某日本食店が税務署に入られ100万Bの追徴課税金を払わされたという話を耳にした。

まあ、そんな話は当然他人事だった・・・・

それから僅か数日後、、、、店の受付カウンターに座っていた昼下がり

突然、店のドアが開くと3人のスーツ姿の男女が身分証明書を手に持ち「サンパコーン・カップ!」と大きな声で言いながら勢いよく入ってきた。

サンパコーンというタイ語は知っていた・・・税務署だ。

あ~とうとう来たか・・・・・商売していた実家には毎年税務署が来た。

税務署員が帰ると親父は「商売ってのは税務署が来るようになって一人前なんだよ!」と言っていた。

・・・・・タイに来て丸4年、、、俺も一人前になれたのだよ・・・と、思うことにしよう。

 

この出来事からこのブログの最初に続くというわけだ・・・・・・・

 

 

※店は経営者が変わり今でも続いている。

フェイスブックがきっかけでスタッフたちとも連絡を取り合えるようになった。

全てが今では良い思い出だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


☆★2002年10月某日・・・失踪したスタッフ

2015-04-19 17:09:19 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている・・・・のだが、少し時計を巻き戻して、、、、

 

2002年1月末・・・・

夜、スクンビット41のトップスで買い物をしていたら俺と同年代のタイ人女性に話しかけられた。

「アナタはマッサージ屋のシャチョーですよね。私はマッサージ師です。仕事を探しています。

雇ってください・・・・・」

俺: マッサージのテストするので明日の午後店に来てください・・・・・・と実際はこのような丁寧な言い回しではなかったと思う。当時の俺はかなり横柄だったからな。

分かりました!と言って、その女性は去っていった。

しかし、何故俺がマッサージ屋の経営者だって知ってたのかな???

翌日、彼女は面接に来た。

名前はプルといった。

自分の名前を説明する時に「アップルのプルです!」と言ってたのが印象に残っている。

マッサージのテストをすると文句無しで合格だった。

この文句なしで合格って人は面接に来る30人に1人くらいなものだ。

タイのマッサージ師のレベルは日本と比べるとかなり低い。

勿論上手な人はいるのだが、日本で並みのレベルはタイでは10人に1人ってところだろうか。

あっ、一応書いておくけど日本で最近流行っている1時間3000円位の「ボディケア」とか「もみほぐし」とかは

マッサージ師がやっているわけだはないのだよ。

看板の制限ってのがあって、マッサージの国家資格を持っていないと「マッサージ」とは看板に書けないというわけ。

だから、「ボディケア」とか「もみほぐし」なんて看板に書いてあるところはマッサージ師の国家資格保持者は居ないということね。

話が逸れたけど、タイのマッサージ師のレベルが日本より低いというのは日本の資格保持者と比べてということだよ。

これは実際に携わっていたから言えることなんだけどね。

 

プルさんは力もありマッサージは上手だったのだが仕事を休むことが多かった。

真面目に働けば当時12000B/月以上は得ることができた・・・他のスタッフはそれくらい稼いでいた。

この他にお客様からのチップがあるから20000B/月以上は得られていたはずだ。

ちなみに当時の大卒初任給が9000B位。

仕事を休みがちのプルさんはそれなりの収入しか得られていなかった。

2002年10月某日・・・

閉店してスタッフたちがゾロゾロ帰っていく中、プルさんが俺のところに来た。

開口一番「歩合を上げてください!」と言ってきた。

確かにマッサージは上手だが、休みが多いし指名も特別多いわけではない。

指名がずば抜けて多ければ、歩合を上げることは可能なのだが

特に他のスタッフより秀でるものが無いのに一人だけ歩合を上げることはできない。

その旨伝えると、残念そうな表情で帰っていった。

翌日以降、彼女が出勤していたかどうかは記憶に無いが、あれ以降彼女のことで記憶に残っているのは

彼女が出勤しなくなって3日目くらいに他のスタッフの一人が、彼女はどうしたのかと尋ねてきたことだった。

連絡も無く欠勤している旨を伝えると、あ~やっちまった~というような表情をしながらプルさんに金を貸していると訴えてきた。

そうすると他にも出るわ出るわその数6人程。少ないもので500B、多いもので2000B・・・・彼女に貸したのだそうだ。

彼らの1日の稼ぎがチップ含めて500~1000Bということを考えれば大金だ。

彼女の未払いの給料があった。その額2550B。何故今そんな数字が正確に出てくるかと言えばエクセルのデータが未だに残っているからだ。

まっ、しかし勝手にその金を彼らへの返済に充てるわけにもいかないし、彼らが貸したと言う証拠も無いわけだ。

3ヶ月経っても彼女が来なかったら未払いの給料を渡すから、それを6人で分けるようにということになった。

結局、プルさんが再び姿を見せることはなかった。

技術があるから仕事には困らないだろうが、行く先々で同じようなことやってなければいいけどな・・・・・・・・・・・・

・・・・・って、13年も前のことだけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


☆★2004年某日・・・メイマッサージからの刺客

2015-04-16 22:18:29 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

最初に書いておくが、この話に出てくるメイマッサージは現在バンコクで営業中のメイマッサージとは全く関係ない・・・と思う。

タイトルの刺客(暗殺者)という言葉もこの場合に使うのは適当ではない(意味違い)ということも分かっているよ・・・日本語怪しいヤツと思われたくないので念のために書いておく。

 

2004年某日・・・・

1人の若いタイ人女性がマッサージ師の面接に来た。

名前を思い出せないがAさんってことにしておこう。

合格圏内だったので採用した。

Aさんはラーン・メイ(メイマッサージ)で働いていたと言っていた。

翌日から日本式マッサージの研修を開始した。

研修を終えてAさんは働き始めた。

俺の店では入店してから1ヶ月以内に指名がない場合は本採用しない(解雇する)という決まりがあった。

面接の時点で厳選していることもあり、これまで解雇となったスタッフは居なかった。

しかし、Aさんは3週間ほど経っても指名が付かなかった。

そんな時、初老の日本人男性が来店した。

初めて来店したその男性はAさんを指名した。

???

この時、物凄い違和感を覚えた。

施術を終えたAさんに、あの日本人男性は誰かと尋ねると「前の店のお客さん」と答えた。

上手なマッサージ師なら店を変わってもお客が着いて来ることはある。

ん~・・・こう言ってはなんだが、Aさんは特別上手とは言えないし、、、、、

1ヶ月以内に指名が付かなかったら解雇されるから、知り合いの日本人に頼んだのかな・・・と、

その時はその程度に思っていた。

それから更に1ヶ月経ったある日突然・・・・・・

「シャチョー!前の店(ラーン・メイ)が戻って来いって言ってるのでAは辞めます。」・・・と言ってきた。

???

その時、ピンと来た。

メイマッサージで日本式マッサージを始めるためにAさんを送り込み技術を習得させて再び呼び寄せる・・・ってことだろう。

いや~参りました。

あの時の日本人はメイマッサージの関係者なのだろう。

メイマッサージという名前からタイ人経営なのだろうが、恐らくあの日本人が出資しているのだろうな。

まあ、しかしね、、馬鹿正直に前の店が戻って来いって言ってなんて言わなくてもね・・・・

まあ、彼女が辞めると言っているのに辞めさせないなどということはできないからな。

ここは快く送り出してあげよう。

キーコピーをしたときにマスターキーからコピーすれば問題ないのだがコピーキーからコピーしたものは使用できないことがある。

例えが適当ではないが俺が考案した日本式マッサージも同じだよ。

そして翌月・・・・・思っていた通り、某フリーペーパーに掲載されていたメイマッサージの広告には「日本式マッサージ」

のメニューが追加されていましたとさ。

そして半年後にはメイマッサージの広告は無くなっていましたとさ・・・・・・・・・・・

勝手にフランチャイズや今回の件等々・・・なりふり構わずって感じだな。

しかも、結末が・・・・・・・

日本人なんだから、しっかりしろよ!・・・・・・と、当時はかな~り上から目線で思っていたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


☆★2003年某日・・・スタッフを引き抜かれる・・・さくらマッサージオープン!!!

2015-04-15 19:36:15 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

前回の更新から随分と空いてしまったな。 そろそろ話を完結させないと・・・

 

2002年5月に開店した支店は11月に撤収した。

赤字続きでやっていけなかった・・・わけではなく、本店が忙しくなりすぎて支店に目が届かなくなったことが一番の理由だ。

しっかりしたマネージャーを雇えば済む話なのだが、そのしっかりしたマネージャーが中々見つからなかった。

マネージャーがスタッフと一緒になって遊んでいる光景はバンコクではこの頃よく目にしていたわけで

これが自分の店で起こると思うと人任せには出来なかった。

この支店が成功したら5店舗くらい一気に出店しようと目論んでいたが、やはり人に任せられない自分の性格では無理だと悟った。

 

支店撤収後、スタッフ達も本店に移りマッサージ師27人、受付スタッフ4人、メイド4人となった。

スタッフが増えたことで順調に来客数も伸びていた2003年のある日・・・・・「日本式マッサージさくら」オープンという広告が入ったと

嫁の友人が広告を持って来た。

まあ、真似する人が現れても不思議ではない。

俺はあまり興味なかった。

場所は同じソイの更に奥だし、ロケーションも良くない。

長くは続かないだろうと瞬時に思った。

そんな俺の思いとは逆に嫁は気になったらしく偵察に行くと言って出て行った。

暫くして嫁が帰ってきた。人間の頭から怒りで湯気が出ているのをこの時初めて見た。

実際には湯気など出ているわけ無いのだが、この時は本当に湯気が出て見えた。

「うちのスタッフが5人も居たわよ!!受付のジエップちゃんも居たわよ!!!

全員引き抜かれたみたい!経営者誰だと思う?Y氏よワイ!!!」

Y氏とは日本人で半年ほど前から頻繁に店にマッサージを受けに来ていた。

同じソイでクラブを経営していて、ご丁寧に名刺を置いていったことがあるので名前を知っていたというわけだ。

その彼が引き抜いたらしい。頻繁にうちに来ていたのは引き抜き工作のためだったようだ。

受付のジエップさんも引き抜いたことで、システムもすべてコピーしたようだ。

おいおい、勝手にフランチャイズつくるなよ・・・・

 

そして3ヵ月後・・・・・・・・さくらマッサージ閉店。

スタッフ引き抜いてシステムも完全にコピーして3ヶ月かよ。

勝手にフランチャイズ作っておいてこれだもんな。

上手くいってるようだったら隣に出店しようと思ってたのに。

半年は頑張ると思ったのだけどな。

さっさと見切りをつけたようだ。

恐らく殆ど来客が無かったのだろう。

マッサージ屋なんてそんなものだよ。

 

人の二番煎じを嫌ってしまうのはこの出来事があってからだな。

 

 

 

 

 

 

 


☆★2002年5月某日・・・日本式マッサージ屋スリウォン支店オープン!!!

2015-03-24 21:20:58 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2002年5月某日・・・・・

スリウォン通りウォールストリートタワーに支店を開店した。

マッサージ師は4人、受付1人・・・・受付は本店のサオさんに出向してもらったのだったか。

これだけ書けばスムーズに開業できたようだが・・・・・・

開業二日前に雨が降った。店舗は地下にある。

地上の雨水は雨水管を通って更に地下の下水管に流れるわけだが・・・・

雨水管は本来地上から下水管まで一直線に繋がってなければならない。

これが何故か店の天井裏で途切れていた。

雨が降ると・・・・・・天井裏に雨水が・・・・・・・・・

思い出すのも嫌になる。

完成した店舗は水浸し。

まあ、それでも予定通り開店できた。

開業初日はスタッフに協力してもらいタニヤ通りでビラ配りをした。

俺自ら配ったが、日本人が配ると皆受け取ってくれるのでありがたかった。

ビラ配りの効果か初日の来客は5人だった。

新規開店のマッサージ屋の初日としては上々だろう。

 

しかし、この店舗・・・・色々と問題が、、、、、、

 

 

 

 

 

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☆★2002年3月下旬・・・日本式マッサージ屋、、、支店の内装工事開始!!!

2015-03-21 08:51:40 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2002年3月下旬・・・

スリウォンのウォールストリートタワー地下のテナントを契約した。

 

 

↑この画像は2013年タイ旅行の際に撮影。

手前にパーテーションを立てているので狭く見えるが、実際はもっと奥行きがある。

 

広さは60平米弱。ベッドを6台設置でき、足マッサージ用の椅子を3脚置くことが出来る広さだった。

肝心の賃料は、、、、15000B。場所を考えれば破格の安さに思えた。

但し、エアコンの室外機に当たるものが天井裏に有り、これを冷やすために水を循環させているのだが

その水代が月に5000B近くかかっていた。

 

タニヤに近いこのビルの地下には他に「酒の店」「クラブ・ラマンチャ」「日系スナック」等々が入っている。

上部階はオフィスビルなので昼間はスーツ姿のビジネスマンが出入りしているが

夕方以降はビル前に先程の店の移動式の看板がずらりと並ぶ。

 

テナントの契約が済むと早速内装工事業者に見積もりに来てもらった。

今回は受付スタッフ・ヌンさんに業者を紹介してもらった。

ヌンさんの友達とのことだ。太った女性と痩せた男性の2人だった。

女性はトゥイさんといった。男性の方は名前は忘れてしまったが、ミャンマー人だ。

2人は夫婦だそうな。ミャンマー人の男性は母国で大学を卒業してタイに出稼ぎに来ているらしい。

テナントは以前の内装が少し残っているが、床、天井全て新しくする必要があった。

日本でいうスケルトン状態より、元からあるものを取り去ってからの工事になるので、その分時間も金もかかる。

トイレは室内にあるのだが便器が半壊しているのでこれも新しいものと交換する必要がある。

資材は最初に全てこちらで購入するので、工賃のみでの見積もりを出してもらった。

正確な料金は覚えていないが、資材と工賃で20万B位だったか・・・・

期間は約1ヶ月とのことだった。

早速、トゥイさん夫婦と資材を買いに行った。

車はトゥイさんが運転していた。ミャンマー人の旦那は不法滞在なので運転していて違反で捕まるようなことがあったらマズイので運転しないとのことだった。

建材の店はチャイナタウン界隈にあった。

そこで床用のタイルやトイレの便器、その他必要な資材をなどを購入した。

翌日から工事が開始された・・・・・・・

 

 

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☆★2001年11月某日・・・日本式マッサージ屋、ブランチ出店を考え始める・・・

2015-03-19 20:58:50 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2001年11月某日・・・

日本式マッサージ店を開店して1年ほど経った頃・・・・

この1年の間に色々とあったわけだが、なんとか貯金を取り崩すことなく生活できるようになっていた。

この頃マッサージスタッフは15人だったと記録がある。

受付スタッフ2人にメバーン(メイド)3人で従業員は20人になっていた。

ビジネスとして成功と言うには程遠かったが、この頃は調子に乗っていた・・・まだ29歳と若かったからな。

調子に乗って支店を出店しようなどと考え始めていた。

そして支店の店舗探しを始めたのはこの頃だったか・・・・・

支店を出すのはシーロム界隈と決めていた。

暇な時間にシーロム界隈に店舗探しに出かけたが中々条件に合うところは見つからなかった。

 

 

これまた何気なく涼もうと思って入ったビル・・・・・スリウォンのウォールストリートタワー

 

 

ここを見つけたのは2002年3月くらいだったか・・・・・

 

今考えれば開業1年余りで支店出店なんて・・・と思うが

この頃はそうは思わなかったのだよ・・・・若いって素晴らしい!!!

 

 

 

 

 

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☆★2000年11月11日11時・・・日本式マッサージ店オープン!!!

2015-03-17 20:08:09 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年11月11日・・・

 

 

内装工事では業者に逃げられ、スタッフ研修では1日目の研修翌日から来なくなった者がいたり・・・・

色々とあったが、予定通りオープンすることができた。

 

 

オープニングメンバーはヌイさん入れて5、6人だったか。

やはりゴールデンタイムというものがありその時間帯にお客様が集中する。

この日は土曜日ということもあり忙しかった。

忙しいといっても、後から考えれば大したことはないのだが、慣れていないためにバタバタした。

現在も盛業中の某日本食店の社長に「この店は間違いなく当たるよ~!」と仰って頂いたのは大変嬉しかったし今でもはっきりと覚えている。

 

 

受付スタッフも採用した。

初代受付スタッフのヌンさん。

ヌンさんは1児の母でとても性格も頭も良い女性だ。

 

 

 

店内はこのような感じだ。

日本では当たり前のスタイルだが、タイでこのようなスタイルのマッサージ店は初めてだったと思う。

この日の来客数は15人・・・・だったと記憶している。

翌日も日曜日ということもあり18人だったろうか・・・・

30人来客があればとりあえず成功と言われているマッサージ店で、初日としては上々?の滑り出しだったんじゃないかな??

 

 

 

 

 

 

 

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☆★2000年11月某日・・・内装業者に逃げられる!!!

2015-03-12 12:18:52 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年11月某日・・・・・

トンローの治療院は10月末で閉院した。

僅か4ヶ月に満たない開院期間で、ピヤワンさんにも勿体無いと言われたが、

店舗規模拡大のための移転なのだから仕方が無い。

11月に入り内装屋にベッドや備品を新店舗に運んでもらった。

この時点でオープンは11月11日(土)と決めていて広告の手配などは済んでいた。

マッサージ師もヌイさんの他に新たに5人雇い研修を開始していた。

そんな時、エアコン業者が来て1台だけ取り付けていった。

その時サムリスも立ち会っていて、残りは明日以降に順次取り付けるとのことだった。

 

翌日、業者誰も来ず・・・・・

サムリスに電話すると都合が悪くていけなくなったとのこと。明日は大丈夫だろうと・・・・・・

そして更に翌日・・・・またまた誰も来ず。

サムリスに電話したが出ない。

俺の携帯からだと着信番号を見て出ない可能性が高いので他の電話からかけた。すると出た。

今日も来ないじゃないか!どうなっているんだ?このまま警察に訴えるぞ!!

サムリス: いいよ、いいよ・・・・

こいつ逃げる気だな・・・・

すぐにヌイさんに同行してもらいトンロー警察署に行った。

警察署ではヌイさんがことの経緯を一生懸命説明していた。

一通り話を聞いた警官は・・・・そりゃ、俺たちにもどうしようもないよ

訴えるなら手続き踏めば可能だけど、この名刺の名前だって本当の名前か分からないでしょ。

この住所だって本当にここに会社があるか分からないでしょ。

そういうことを全て証明してくれないと動けないよ。

・・・・・・まっ、頭にきた勢いで警察署まで来たけど、どうせ何の解決にもならないだろうと端から期待もしていなかったけどな。

ここで何を言っても無駄だろうと、名刺に記載してあるサムリスの会社の住所に行くことにした。

タクシーで100Bを少し超えるくらいの距離だったか。

大体この辺だろうというところまでタクシーで行き、そこからは近所の人に住所を見せて目的の住所に辿り着いた。

古いタウンハウスで、会社がある雰囲気ではない。

中の住人に声をかけると中年の男性が出てきた。

名刺を見せて、この会社の住所はここですよね?と言うと、

住所はここに間違いないけど、その会社とは関係ないよ・・・という返答だ。

ヌイさんがことの経緯を話すと・・・・

・・・あっ、またか。年に何人かあなた達みたいな人が来るんですよ。

住人と話をしていると近所の人たちが集まってきた。

一人が名刺を手に取ると・・・「サムリス・ソンジャイ」

「ソンジャイだってよ!」と言ってプスッと笑っている。

なるほど、こいつは常習犯だな。

丸っきり工事をしないということはせず、最後の最後で何かを省き、とんずらするってことだ。

こちらの落ち度としては・・・最初に3万B支払ったのがいけなかった。

それ以降、常に工事の進行具合より3万B多く業者側に渡っていたということになる。

 

嫁が最初に覚えた違和感とは・・・・

サムリスは金を受け取ると、その金を数えることなくポケットにしまったらしい。

雰囲気も胡散臭いと思っていたとのことだ。

こうなると捕まえようが無い・・・いや、本気で捕まえる気があるなら新規客の振りをしてどこかに呼び出すことはできるだろう。

しかし、そんな暇は無い。

この時点でオープンまで1週間を切っていた。

マッサージ師の研修や残りのエアコン、カーテンの調達を進めなければならない。

 

 

・・・・・・書いてたら、思い出してムカついてきた!

 

 

 

 

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☆★2000年10月某日・・・新店舗の内装工事開始!!!

2015-03-11 21:10:52 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年10月某日・・・

内装業者に3万Bを支払った翌日からスクンビット39の新店舗の内装工事が始まった。

工事期間は2週間の予定だ。

80坪近い店舗なのに18万Bとは日本では考えられない安さだが

この店舗は元からの内装が古いながら残されていたので少し手を入れるだけで済んだというわけだ。

日本でいうスケルトン貸しだと全て一から内装をする必要があり多額の費用がかかる。

元々スパとして利用されていたのでマッサージ店として利用するのに、ほぼそのまま使用できた。

トイレや水周りも少し手を入れるだけで済んだ。

早速現場に顔を出すと作業員3人が、せっせと壁や天井に白いペンキを塗っていた。

今思えば、安っぽい内装だったのはこの時にペンキを塗るだけで済ませたせいだ。

壁紙は張り替えるべきだった・・・・というわけで後に、、、4年後張り替えた。

 

支払いは途中途中で3万Bづつ行った。

特に問題は無く2週間後、内装工事はほぼ終了し、追加ベッド4台も運び込まれ、中古エアコン1台が取り付けられ・・・・・・

この時点で18万B全て支払い完了していた・・・・・これがまずかった。

残るはエアコン4台とベッドの仕切りカーテン及び最後の清掃のみとなった時・・・・・・・

 

内装屋!サムリス!!逃げた!!!

 

つづく

 

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