酔っぱらい一人旅

オール電化キャンプを推進します・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その19 新人王予選・・その2

2024-09-07 09:01:42 | 昔の思い出

☆★プロボクサーに憧れて・・・その1 草加有沢ボクシングジムに入門

☆★プロボクサーに憧れて・・・その2 初めてのスパーリング

☆★プロボクサーに憧れて・・・その3 1989年の草加有沢ボクシングジム

☆★プロボクサーに憧れて・・・その4 双子の有沢兄弟を目にして驚愕した17歳のあの日

☆★プロボクサーに憧れて・・・その5 スパーリング恐怖症でジムからランナウェイ!!

☆★プロボクサーに憧れて・・・その6 宮田ボクシングジムに入門!!

☆★プロボクサーに憧れて・・・その7 1990年の宮田ボクシングジム・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その8 プロテスト受験が決まる・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その9 プロテスト受験・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その10 プロテスト受験・その2

☆★プロボクサーに憧れて・・・その11 デビュー戦が決まる・・・初めての減量

☆★プロボクサーに憧れて・・・その12 いよいよデビュー戦!!!

☆★プロボクサーに憧れて・・・その13 いよいよデビュー戦!!!・・その2

☆★プロボクサーに憧れて・・・その14 いよいよデビュー戦!!!・・その3

☆★プロボクサーに憧れて・・・その15 2戦目が決まる・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その16 賭けに勝った瞬間・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その17 ロードワークをやらないと決めた日・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その18 新人王予選・・・

こんにちは、酔っぱらいです。

前回の続き・・・

カウント途中でタオルが投入されてのストップなので

テクニカルノックアウト負けということになる。

3RTKO負け・・・

リングを下り、傷の処置を受けるために医務室に向かった。

傷は縫合するのではなくテープが貼られた。

このテープは傷が癒着するまで剥がれなかったから強力なテープだったのだろう。

負けたことに対して何も感情は湧かなかった。

勝てば最高に嬉しいという感情が湧いたが、、

負けて悔しいなどという感情も湧かないようだからダメなボクサーだったのだな。

要するに負けて当然くらいに思っていたのかもしれない。

傷が治癒した頃、練習再開した・・・

※永坂光昭氏はその後、全日本新人王タイトルを獲得した・・・

 

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その18 新人王予選・・・

2024-09-06 09:49:09 | 昔の思い出

☆★プロボクサーに憧れて・・・その1 草加有沢ボクシングジムに入門

☆★プロボクサーに憧れて・・・その2 初めてのスパーリング

☆★プロボクサーに憧れて・・・その3 1989年の草加有沢ボクシングジム

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その16 賭けに勝った瞬間・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その17 ロードワークをやらないと決めた日・・・

こんにちは、酔っぱらいです。

1992年7月4日

この日のメインイベントはストロー級(現在のミニマム級)の玉城信一氏だった・・・後に日本チャンピオンになる。

朝の計量直後のドクター検診の順番待ちしているとき

検診室に入ってきた玉城氏をドクターが見かけると、「玉城、、来い」、、と

並んでいた前座連中の順番を飛ばして先に検診した。

メインイベンターは控室が個室だったり、こういうところにも明確な格差があった。

一度帰宅し夕方ホールに入った。

この日の対戦相手は永坂光昭氏だ。

いつものように会長にバンテージを巻いてもらう。

はっきり覚えているのは、この日は会長、佐藤先生、田中先生、、3人とも気合入りまくっていた。

特に佐藤先生は「酔っぱらい!絶対勝つぞ!!」・・と前回までの試合と時とはテンションが大違いだった。

新人王予選だからだろうか。

新人王はトーナメント方式で、この年のフライ級は3回勝ち上がれば決勝戦だったと思う。

12月に東日本新人王の決勝戦があり、翌年2月に全日本の決勝戦というスケジュールだ。

全日本新人王獲得と同時にA級ボクサーとなり日本ランキング入りできるというわけで、チャンピオンへの登竜門なんて言われていた。

入場し、リング下の松脂ボックスに両足入れツイストして靴底に松脂を付けた。

この日の俺は何か冷めていた。

冷めていたというより、周りのセコンド陣の熱さに引いていたのかもしれない。

リング上で永坂氏と対峙した。

今までしてきたのと同様にじいっと目を見つめたが、永坂氏は俺とレフェリーを交互に見たりキョロキョロと忙しい。

今時、こういうのは流行らないのかな?

パンチパーマでメンチを切る・・・俺の理想のボクサー像は古城賢一郎氏だった。

古城氏のメンチ切りは半端なかった。それだけで会場が盛り上がった。

俺も真似できるところは真似しようと、パンチパーマにしていた。

ゴングが鳴った。

頭から突っ込んだ。

速攻レフェリーに注意された。

相手は手数が多い。ペシペシと細かいパンチが当たった。

ラウンド後半にワンツーから更に3発左右のフック連打でクリーンヒットさせた。

今までの相手だったら確実に倒しているパンチだ。

しかし相手は倒れない。

2ラウンド。

再びバッティングの注意を受けた。

この時レフェリーは切れ気味に「頭から突っ込むなって言ってんだろ!!!」って言っていた。

注意を受けても意に介することなく頭から突っ込んだ。

しかしこの日の相手は一枚上手(うわて)だった。

俺が突っ込んだところに、逆に左眉の上にバッティングをされた。

故意か偶然かは知る由もない。

仮に故意だとしても俺から突っ込んでいるのだから文句は言えない。

カットした。それから血が滴った。

下を向くとマットにポタポタ血が滴った。

相手は構わず手を出し続けてきた。相手の顔面もボコボコだった。

ペシペシ細かいパンチをガードの上から当てられた。

3ラウンド。

手数では負けているが、クリーンヒットの数は俺の方に分がある・・多分

しかし、永坂選手は打たれ強かった。

顔面ボコボコでも怯まずに向かってくる相手に少し引いてしまった。

そんなことを思った時に、タイミング良く相手の左フックがテンプルに入った。

頭部が振られた。

ロープにつかまろうとしたがロープをつかめずにダウンした。

俺は立ち上がり、ファイティングポーズをとった。

カウント途中でコーナーからタオルが入った。

それを見たレフェリーが頭上で手を交差して試合終了となった。

つづく・・・

 

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その17 ロードワークをやらないと決めた日・・・

2024-09-04 11:26:26 | 昔の思い出

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その15 2戦目が決まる・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その16 賭けに勝った瞬間・・・

こんにちは、酔っぱらいです。

1992年6月10日・・・

6/8の試合後、1日休んだだけで練習を再開した。

7/4の試合まで1カ月切っていた。

練習は1週間前までは最大の負荷で行うことに・・・

夜のロードワークも再開したと言いたいところだが・・・この時の俺は調子に乗っていた。

1戦目、2戦目共に楽に勝てたし、、ロードワークなんかやらなくても次も勝てるでしょ

ロードワークはやらないと決めた。

試合1週間前・・・

試合前最後のスパーリングで相手は誰だったか記憶に無いが、再びノックアウトされた。

グローブの紐を解いてもらっているときに、佐藤先生に「縁起がいいな」・・と言われた。

前回も最後のスパーリングで倒された後に勝ったわけで・・・今回も同様だから縁起が良いということだ。

何があってもポジティブに考えられるようにしていたのだと思う。

通常1週間前から練習量を落として疲れを取っていくようにする。

5日前にロードワークも終了する・・・通常は。

しかし、試合1週間前になってロードワークをやってこなかったことに不安を感じるようになった。

減量で弱っていたこともあり、ひよってしまった。

ロードワークを始めてしまった。

試合2日前まで走った。

結果、余計に疲れを貯めるだけになってしまった。

そして7/4の試合当日を迎えた・・・

つづく・・・

 

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その16 賭けに勝った瞬間・・・

2024-08-31 18:40:42 | 昔の思い出

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その15 2戦目が決まる・・・

こんにちは、酔っぱらいです。

1992年6月8日・・・2戦目当日

以前のブログで書いたように、この当時は当日計量だったので

朝、後楽園ホールに行き計量を受けて帰宅、、、夕方再び後楽園ホールに入った。

宮田会長にバンテージを巻いてもらいながら、、色々とアドバイスを頂く。

今日の試合は前回のように楽には勝てないと思うが、今の酔っぱらい君なら絶対勝てるから

最後まで諦めないで手を出し続けろ・・・このような話だったと思う。

それと、この日は相手選手の新日本木村ジム主催の興行だったのだが

メインやセミファイナルは新日本木村ジムの選手なわけで、

そういう時、トレーナーはメインやセミファイナルに出場する上位選手ばかりに、かかりきりになり

前座の選手の練習対応は疎かになるからね~・・なんてことも話していた。

ちなみにこの日のメインは前日本ジュニアライト級チャンピオンの赤城武幸氏と韓国人選手の試合だった。

俺にも作戦があった。

俺は1戦しかしてないからね、、戦績からは何も判断できないだろう。

相手は最初の方は様子を見ようとするかな・・

俺は1ラウンドしか戦わないつもりで最初から飛ばしまくろう。

全力で飛ばしたら2ラウンドでスタミナ切れるだろうな、、3ラウンド以降はどうなっても知らね・・・

別にチャンピオン目指してるわけでもないし、負けても痛くも痒くもない、、、負けたくないけど

とにかく最初の1ラウンドだけは全力で行くことだ。

1ラウンドしかやらないつもりで・・というのは賭けだ。

時々こういう賭けをしたくなるのはこの頃からだ。

入場しリングに上がった。

コールを受けた後、リング中央に会長と共に進んだ。

威圧しようと相手の目をじいっと見ながら顔を近づけたが、相手は目を伏せたままレフェリーの注意事項を聞いている。

俺みたいな下品なヤツを相手にするようなキャラでは無いのだね。

肩透かしを食らった気分だった。

なんか一人だけ気合が空回りしているようで恥ずかしかった。

ゴングが鳴った。

鳴った瞬間に相手に突っ込んでいった。

頭から突っ込んだから速攻レフェリーが間に入りバッティングに注意しろ!と言ってきた。

兎に角攻めた。

この時は分からなかったが、後でビデオを見返したら、相手はアウトボクサーだったようだ。

アウトボクシングされる前に押しまくっていたから分からなかった。

1ラウンド中盤・・俺の右フックがカウンターで相手の顎に入りそのままダウン。

カウント途中で立ち上がり試合続行。

正確な時間は覚えていないが2分過ぎに今度は左フックが相手のテンプルに入り再びダウン。そのまま俺のKO勝ちとなった。

勝った!しかも1ラウンドKO。

この時も最高に嬉しかった。

コーナーに戻ると田中先生が、おめでとう!と、グータッチをしてきた。

2度目にダウンさせた時はあまり手応え無かっただろ?と言われた。

確かに当てた瞬間、フワッとした感触だった。

クリーンヒットで1度倒した後は軽く当てただけでも倒れるんだよ・・と話していた。

浮かれまくっているところだったが、、、会長より次回の試合は7月4日新人王予選と告げられた。

1ヵ月ないじゃん!浮かれてる場合じゃないな。

翌日1日だけ休んで練習再開した。

つづく・・

 

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その15 2戦目が決まる・・・

2024-08-30 16:14:39 | 昔の思い出

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こんにちは、酔っぱらいです。

1992年4月某日・・・

デビュー戦の後は1週間くらい練習を休んだ。

勝ったとはいえ、打撃を受けているので少しはダメージを受けている。

練習再開しロードワークも再開して・・・1か月以上経った4月下旬。

学校が終わってからジムに行くと「次の試合決まったよ!」と会長が言った。

6月8日、、相手の戦績は3勝1敗1分・・・

もう1勝すれば6回戦に昇格できる選手だ。

俺からすれば格上だ。まあ同じ4回戦なので格上も格下も無いけどね。

さて、その日から再び練習が厳しくなった。

スパーリングの日は夜に来るよう指示された。

夜のロードワークも普通に5キロ走るのではなく

750mダッシュして200mゆっくり走ってを繰り返すというのに切り替えた。

デビュー戦の時もそうだったが、会長から試合のチケットを渡された。

自由席で定価3000円のチケットだ。

デビュー戦の時は最初に10枚渡され、俺の方から更に20枚追加注文し、、合計30枚のチケットを同級生に手売りした。

販売したらジムにお金を納めるのだが1枚につき2000円納めることになっていた。

だから定価で販売すれば1枚につき1000円が自分に入ることとなる。

まあ、俺の場合は応援に来てくれるだけでありがたいということもあり、仕入れ値の2000円で販売していた。

勿論この他にファイトマネーがいただける。

正確な金額は覚えていないが3万円だったと思う。

この他、デビュー戦ということで会長からご祝儀を頂いた。

ファイトマネーは試合当日の試合終了直後に現金で渡された。

プロテスト合格直後にジムと契約書を交わしている。

ファイトマネーの33%がジムのマネージメント料になるという契約だ。

だから、当時の4回戦のファイトマネーは5万円位で、そこからジムの手数料33%と税金・保険料などを引いて3万円だったのだと思う。

金額は別にして、俺の時代はこのようにファイトマネーを現金で頂けたので良かった。

もう少し前の時代だと、4回戦のファイトマネーはチケットのみってことがあったみたいだ。

3000円のチケットを10枚渡され、それでおしまい・・・なんて話を高校の時、同級生のO川君に聞いたことがある。

話を練習に戻し・・・

この頃、ジムには俺と同じ階級でK林君という選手がいた。

俺より早くプロになったか遅かったかは覚えていないが、彼は俺よりも全然強かった。

会長が、、こいつがチャンピオンになれなかったら俺の責任です!って言っていたくらいの才能ある選手だった。

会長が同様に言っていた選手は当時もう一人いて、後の日本ジュニアバンタム級チャンピオンの松倉義明氏だ。

・・・で、減量と練習が一番厳しい試合1週間前にK林君とスパーリングをした。

それまで何度もK林君とはスパーリングをしていたけど、この日は減量でフラフラだった。

K林君の放ったテンプルへの左フックでブラックアウトし(本当に星が飛んだ)、そのまま真後ろにバタンと倒れた。

これが初めてのノックアウト経験だった・・・有沢ジムでボディ1発で悶絶させられたことはあったけど、、

結局3ラウンド予定だった試合前最後のスパーリングは1ラウンド途中で終了。

そして試合当日を迎えた。

つづく・・・

 

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その14 いよいよデビュー戦!!!・・その3

2024-08-30 08:08:34 | 昔の思い出

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その13 いよいよデビュー戦!!!・・その2

こんにちは、酔っぱらいです。

1992年3月6日

リングに立つと天井のライトの光の熱を感じた。

現在のようにLEDではなく水銀灯などで、かなりの熱を発していたのだろう。

リングアナウンサーに「青コーナー、、宮田ジム所属 ○○ポンド 酔っぱらい~!!!」とコールされた。

とりあえず四方に向かって頭を下げた。

コールが終わると会長と共にリング中央に向かい、対戦相手と対峙した。

レフェリーが注意事項を一通り手短に説明した。

バッティングやサミング、ローブローに気を付けろとか、そのような内容だ。

サミングとは親指を相手の目に突っ込もうとすることだ。

対峙した時に相手の目をじいっと見た。顔を近づけていった。

とにかく威嚇しておこうと思った。

相手は強そうには見えなかった。

余裕で勝てそうな気がした・・・無理矢理そう思うようにしていたのかもしれない。

プロテストの時と違い、全く緊張はしていなかった。

会長が「相手ビビってるよ!」と言った。

ゴングが鳴った。

「酔っぱらい~!頑張れ!!」同級生たちの声援はしっかり聞こえていた。

ゴツっと頭にパンチが当たった。

8オンスのグローブで殴られるのは初めてだ。

痛みは全く感じない。

どのように戦ったかなんて全く記憶に無い。

1ラウンド終了のゴングが鳴り、コーナーに戻った。

宮田会長が「その調子で良いよ、押してるからな」と言ったのは覚えている。

再びゴングが鳴り2ラウンド開始。

ここも記憶に無いが、、、相手をダウンさせた。

相手はすぐに立ち上がった。

レフリーが8カウントまで数えて試合続行となった。

相手をコーナーに詰めて1発良いパンチが入った時に相手の腰が一瞬ガクッと落ちた。

その瞬間、会長が「ダウン!ダウンだよ!レフェリー!ダウンでしょ?!」と叫んでいた。

その声を聞いてかどうかは知らないが、レフェリーが一瞬ハッとした表情をして俺と相手に割って入り試合ストップした。

4回戦は同一ラウンドで2度のダウンでKOとなる。

勝った!しかもKOだ。

後にも先にも人生で一番嬉しかった瞬間だ。

パチンコで勝った時なんかと比にならないくらい嬉しかった。

しかし後に始める競馬で万馬券当たった時は、この時の嬉しさに近いものがあるような気がする。

スポーツの競技で明確に勝ったという経験がそれまで無かった。初めての明確な勝ち体験だった。

同級生の一人が写真を趣味にしていて、勝ち名乗りを受けているこのシーンを撮ってくれた。

 

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2024-08-29 18:18:18 | 昔の思い出

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こんにちは、酔っぱらいです。

前回のつづき

1992年3月6日

後楽園ホールに到着すると選手控室に向かった。

この日の試合は全員4回戦かつデビュー戦なので、当然控室は相部屋だ。

宮田会長にバンテージを巻いてもらった。

試合の時のバンテージの巻き方は練習の時とは違った。

練習ではナックル部分に厚めに布を重ねて当てるが、試合ではナックル部分には極薄く当てて

手の甲の部分に厚めに当てていた。

テーピングでガチガチにして、手首はかなり固定された感じだった。

練習では手首は割とルーズに巻いていたので、違和感があった。

バンテージを巻き終えるとコミッションの職員がチェックに来た。

バンテージをチェックするとマジックでサインを書いた。

アップを開始した。

身体が軽い。

ジャンプしたら天井に頭が着くのではないかというくらい、軽く感じた。

控室を出て観客席の後ろ側の控えで待機した。

この日、セコンドに付いてくれたのは、宮田会長、佐藤達雄先生、田中栄民先生だった。

今思えば、かなり豪華なセコンド陣だ。

自分の出番になるまでシャドーをしていた。

身体が熱かった。

田中先生に身体が妙に熱いのですけど・・・と話したら、アドレナリンが出まくっているからだよ、、と教えてくれた。

前の試合が終わり、俺の出番になった。

リング下まで行くと松脂の入った箱があり、そこに入って靴底に松脂を付けるよう指示された。

今思えばゴム底のシューズなのだから松脂は付けなくても良かったのかもしれない。

浅い箱に両足を入れ軽くツイストして松脂を付けた。

ステップを上がると宮田会長がリングロープを開いてくれている。

会長が開いてくれたリングロープの間をくぐってリングに入った。

「酔っぱらい~!!」と声援が聞こえた。

中学・高校・鍼灸学校の同級生が応援に来てくれた。

つづく・・・

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その12 いよいよデビュー戦!!!

2024-08-28 20:08:28 | 昔の思い出

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その11 デビュー戦が決まる・・・初めての減量

 

こんにちは、酔っぱらいです。

1992年3月6日・・・試合当日

この日は俺の二十歳の誕生日だった。

現在、計量は前日に行うようだが、当時は当日計量だった。

通勤のラッシュ時の電車に乗り後楽園ホールへ向かった。

減量してフラフラしていたので満員電車はきつかった。

ホールに入ると会長が既に来ていた。

この日宮田ジムから出場する選手は俺含めて4人だったと思う。

その中に後に東洋タイトルに挑戦する五月女氏もいた。

会長に促されるまま計量室に向かった。

体重は50.3キロだった。

会長が「落とし過ぎちゃったね、、まっ、いいか」と言っていた。

炭水化物ばかりの弁当を持参するように指示されていた。

俺は実家に住んでいたのでお袋さんに作ってもらっていたが

地方出身の一人暮らししている選手には会長の奥さんが弁当を作ってくれて、会長がそれを渡していた。

俺は大量のパスタやおかずが入った弁当を持参した。

計量まで飲食制限されていたから、この時食べた弁当は最高に美味しかったね。

会長が自動販売機でコーラを買ってくれたんだけど、それがまた最高に美味しかった。

ここに来るまでフラフラしていたのに、食べた途端に回復し元気になった。

腹が膨れるほど大量に食べて、一度帰宅した。

家に帰ると再びケーキなどを食べて昼寝した。

15時位に起きると膨れていた腹は引っ込んでいた・・・身体じゅうに全て吸収されたような気がした。

支度を整え再び後楽園ホールへ向かった。

つづく

 

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その11 デビュー戦が決まる・・・初めての減量

2024-08-27 11:47:00 | 昔の思い出

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その9 プロテスト受験・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その10 プロテスト受験・その2

こんにちは、酔っぱらいです。

1991年10月・・・

プロテストに合格して何か変わったことがあるかと言えば、個人用のロッカーが与えられたことだ。

ロッカーと言っても扉のあるタイプではなく、下の画像のようなものの一マスだ。

まあ、でもね、、これが嬉しかったんだよね。

それ以外は特に何も変わりない。

あっ、一つだけあった。

ボクシングの試合をライセンス提示すれば無料で観れるようになった。

タイトルマッチ以外という制限はあったけどね。

練習内容は特に変わらず今まで通り・・・

ヘッドギアをプロテスト合格を機に購入した。

この当時はウィニング、レイジェスのどちらかを選択する人が多かったと思う・・・国産のウィニングが多かったかな。

USA製のエバーラストなんていうのもあったが、他のメーカに比べ高価だったと思う。

俺はレイジェスを選択した。価格は9800円だったか12800円だったか、、、

この頃、宮田ジムはといえば、、会長は自主興行の準備で忙しそうだった。

12月に宮田ジム初めての興行を開催することになっていた。

メインは日本ランカーだった阿部健一氏でセミで真部氏や笠島氏の試合だった。

とにかく会長は時間があれば電話をしていた。前売りのチケットを販売するために関係先に電話をしていたのだと思う。

結局、、阿部氏は草加有沢ジムの小山豊氏と対戦し判定負け・・以前書いたが、ボクシングはこれが最後の試合となった。

笠島氏も敗れ、、真部氏だけが勝ったのだったと思う。

メインが日本ランカー同士の試合としてはかなり大勢の観客が入ったのではないだろうか。

興行としては大成功だったようだ。

1992年1月某日

いつものように昼に練習に行くと、「デビュー戦決まったよ!」と会長より伝えられた。

3月6日、、俺の誕生日じゃん

対戦相手にとってもデビュー戦だ。

その興行自体が4回戦の試合経験のない選手を集めたものだ。

だから出場する選手全員デビュー戦。

ポスターに顔写真も載った。全員4回戦だからね。

メインイベントがあるような興行だと4回戦は名前だけだったりする。

この頃、普段の体重は54キロ台だったと思う。

階級はフライ級。50.8キロ

体格的にジュニアフライ(48.9キロ)まで落とせそうだったが、地獄を見そうなのでフライ級にした。

試合が決まると、練習が厳しくなった。

それまでスパーリングは2ラウンドだったが、3ラウンドやるようになった。

会長のミット打ちも、スパーリング以上に疲労する激しさだった。

昼専門だった練習も、スパーリングやる日だけは夜に来るように指示された。

夜の方がスパーリング相手が大勢居るからという理由だ。

学校の授業が午前で終わった日は一度家に帰ってから、再び1時間近くかけてジムまで通うことになった。

ロードワークも再開した。朝ではなく夜に・・・このデビュー戦の時が一番真面目にやったかな。

近所の中学校の周囲が750mあったので750mダッシュして200mほどゆっくり走り、再び750mダッシュするってことを繰り返して5キロ走った。

練習量が増したこともあり2月の中旬には自然に53キロ台まで落ちていた。

試合の10日前くらいから減量を始めた。

今のボクサーの減量方法は知らないが、当時教えられた減量方法は単純明快。

夜間の睡眠中で500g汗で減る。昼間は普通に生活していれば500~800g位は汗と尿で減る。

そして練習で汗をかけば1000~1500g減る。

合計で2000~2500g/日減るということだ。

そこで飲食量を1日で減った分のマイナス300gにすれば10日間で3キロ減るということになる。

1日2000g汗と尿で減るとしたら飲食量を1700g/にすれば良いというわけ。

食べるものや飲むものの種類に制限はない。カロリーはいくら摂っても構わない。

むしろカロリーは摂取するように指示されていた。激しい運動するからね。

1日1700g摂取できるのだから、全然大変じゃないじゃん!って思ったアナタ・・・これが大変なのですよ。

練習で1000~1500gの汗をかいているのだから、そこだけでも同量の水分摂取が必要なわけでしょ。

それが固形物合わせて1700gだからね。

食べ物で1000g摂取したら水分は700gしか摂れないのですよ。

きつかったね~

減量開始した10日前の時点では練習も激しいので1500g減るが、試合5日前からは練習量を落としていくからね

試合前日はシャドー2~3ラウンドやってお終いだから、汗もかかない。

そうすると、固形物、水分の合計700gしか摂れないわけですよ。

腹が減って大変だったという記憶は無いが、水分量が制限されてたのがきつかったね。

そして、いよいよ試合当日の朝を迎えた。

つづく・・・

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☆★プロボクサーに憧れて・・・その10 プロテスト受験・その2

2024-08-23 20:43:57 | 昔の思い出

☆★プロボクサーに憧れて・・・その1 草加有沢ボクシングジムに入門

☆★プロボクサーに憧れて・・・その2 初めてのスパーリング

☆★プロボクサーに憧れて・・・その3 1989年の草加有沢ボクシングジム

☆★プロボクサーに憧れて・・・その4 双子の有沢兄弟を目にして驚愕した17歳のあの日

☆★プロボクサーに憧れて・・・その5 スパーリング恐怖症でジムからランナウェイ!!

☆★プロボクサーに憧れて・・・その6 宮田ボクシングジムに入門!!

☆★プロボクサーに憧れて・・・その7 1990年の宮田ボクシングジム・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その8 プロテスト受験が決まる・・・

☆★プロボクサーに憧れて・・・その9 プロテスト受験・・・

こんにちは、酔っぱらいです。

1991年9/25

プロテストが終わり、この日後楽園ホールで行われる試合を観戦させてもらえることになった。

ボクシングの試合を生で観戦するのは初めてだった。

それまで時間があるのでレストランで夕飯をということになった。

何でも好きなもの注文してよ・・ということで、宮田会長にご馳走していただいた。

俺がハンバーグを注文すると、間髪入れずに会長が、、「それのスペシャルセットで!」とオーダーしてくれた。

スペシャルセットはライス、スープ、その他何かが付いていたと思う。だからスペシャルなわけだ。

T川君も注文したら再び間髪入れずに「それのスペシャルセットで!」と会長はオーダーした。

どんな話をしたとか、流石に33年前のことなので覚えていない。

この日の試合はA級トーナメントの準決勝も組まれていた。

はっきり覚えているのは田村知範選手がKOで勝ったシーンだけだ。

田村選手はこの年のA級トーナメントに優勝し翌年に日本チャンピオンになる・・最終的に世界挑戦する。

メインイベントは誰だったか???

それと、酔っぱらったオヤジがビール片手に「トモ~何やってんだよ!トモ~、、行けよ~トモ~」って叫んでいたのを覚えている。

ちなみにこの日が9/25であったのは田村選手の戦歴を調べて判明した。

そして数日後、、、合格通知書が送られてきた。

通知書には9/26と印字してあるので、テスト翌日には合否が出てたってわけだね。

まあ、しかしね、、こういうものを後生大事に保管しているんだからね、、、

つづく・・

 

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