印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている・・・・のだが、少し時計を巻き戻して、、、、
2002年1月末・・・・
夜、スクンビット41のトップスで買い物をしていたら俺と同年代のタイ人女性に話しかけられた。
「アナタはマッサージ屋のシャチョーですよね。私はマッサージ師です。仕事を探しています。
雇ってください・・・・・」
俺: マッサージのテストするので明日の午後店に来てください・・・・・・と実際はこのような丁寧な言い回しではなかったと思う。当時の俺はかなり横柄だったからな。
分かりました!と言って、その女性は去っていった。
しかし、何故俺がマッサージ屋の経営者だって知ってたのかな???
翌日、彼女は面接に来た。
名前はプルといった。
自分の名前を説明する時に「アップルのプルです!」と言ってたのが印象に残っている。
マッサージのテストをすると文句無しで合格だった。
この文句なしで合格って人は面接に来る30人に1人くらいなものだ。
タイのマッサージ師のレベルは日本と比べるとかなり低い。
勿論上手な人はいるのだが、日本で並みのレベルはタイでは10人に1人ってところだろうか。
あっ、一応書いておくけど日本で最近流行っている1時間3000円位の「ボディケア」とか「もみほぐし」とかは
マッサージ師がやっているわけだはないのだよ。
看板の制限ってのがあって、マッサージの国家資格を持っていないと「マッサージ」とは看板に書けないというわけ。
だから、「ボディケア」とか「もみほぐし」なんて看板に書いてあるところはマッサージ師の国家資格保持者は居ないということね。
話が逸れたけど、タイのマッサージ師のレベルが日本より低いというのは日本の資格保持者と比べてということだよ。
これは実際に携わっていたから言えることなんだけどね。
プルさんは力もありマッサージは上手だったのだが仕事を休むことが多かった。
真面目に働けば当時12000B/月以上は得ることができた・・・他のスタッフはそれくらい稼いでいた。
この他にお客様からのチップがあるから20000B/月以上は得られていたはずだ。
ちなみに当時の大卒初任給が9000B位。
仕事を休みがちのプルさんはそれなりの収入しか得られていなかった。
2002年10月某日・・・
閉店してスタッフたちがゾロゾロ帰っていく中、プルさんが俺のところに来た。
開口一番「歩合を上げてください!」と言ってきた。
確かにマッサージは上手だが、休みが多いし指名も特別多いわけではない。
指名がずば抜けて多ければ、歩合を上げることは可能なのだが
特に他のスタッフより秀でるものが無いのに一人だけ歩合を上げることはできない。
その旨伝えると、残念そうな表情で帰っていった。
翌日以降、彼女が出勤していたかどうかは記憶に無いが、あれ以降彼女のことで記憶に残っているのは
彼女が出勤しなくなって3日目くらいに他のスタッフの一人が、彼女はどうしたのかと尋ねてきたことだった。
連絡も無く欠勤している旨を伝えると、あ~やっちまった~というような表情をしながらプルさんに金を貸していると訴えてきた。
そうすると他にも出るわ出るわその数6人程。少ないもので500B、多いもので2000B・・・・彼女に貸したのだそうだ。
彼らの1日の稼ぎがチップ含めて500~1000Bということを考えれば大金だ。
彼女の未払いの給料があった。その額2550B。何故今そんな数字が正確に出てくるかと言えばエクセルのデータが未だに残っているからだ。
まっ、しかし勝手にその金を彼らへの返済に充てるわけにもいかないし、彼らが貸したと言う証拠も無いわけだ。
3ヶ月経っても彼女が来なかったら未払いの給料を渡すから、それを6人で分けるようにということになった。
結局、プルさんが再び姿を見せることはなかった。
技術があるから仕事には困らないだろうが、行く先々で同じようなことやってなければいいけどな・・・・・・・・・・・・
・・・・・って、13年も前のことだけど