酔っぱらい一人旅

オール電化キャンプを推進します・・・

☆★2002年10月某日・・・失踪したスタッフ

2015-04-19 17:09:19 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている・・・・のだが、少し時計を巻き戻して、、、、

 

2002年1月末・・・・

夜、スクンビット41のトップスで買い物をしていたら俺と同年代のタイ人女性に話しかけられた。

「アナタはマッサージ屋のシャチョーですよね。私はマッサージ師です。仕事を探しています。

雇ってください・・・・・」

俺: マッサージのテストするので明日の午後店に来てください・・・・・・と実際はこのような丁寧な言い回しではなかったと思う。当時の俺はかなり横柄だったからな。

分かりました!と言って、その女性は去っていった。

しかし、何故俺がマッサージ屋の経営者だって知ってたのかな???

翌日、彼女は面接に来た。

名前はプルといった。

自分の名前を説明する時に「アップルのプルです!」と言ってたのが印象に残っている。

マッサージのテストをすると文句無しで合格だった。

この文句なしで合格って人は面接に来る30人に1人くらいなものだ。

タイのマッサージ師のレベルは日本と比べるとかなり低い。

勿論上手な人はいるのだが、日本で並みのレベルはタイでは10人に1人ってところだろうか。

あっ、一応書いておくけど日本で最近流行っている1時間3000円位の「ボディケア」とか「もみほぐし」とかは

マッサージ師がやっているわけだはないのだよ。

看板の制限ってのがあって、マッサージの国家資格を持っていないと「マッサージ」とは看板に書けないというわけ。

だから、「ボディケア」とか「もみほぐし」なんて看板に書いてあるところはマッサージ師の国家資格保持者は居ないということね。

話が逸れたけど、タイのマッサージ師のレベルが日本より低いというのは日本の資格保持者と比べてということだよ。

これは実際に携わっていたから言えることなんだけどね。

 

プルさんは力もありマッサージは上手だったのだが仕事を休むことが多かった。

真面目に働けば当時12000B/月以上は得ることができた・・・他のスタッフはそれくらい稼いでいた。

この他にお客様からのチップがあるから20000B/月以上は得られていたはずだ。

ちなみに当時の大卒初任給が9000B位。

仕事を休みがちのプルさんはそれなりの収入しか得られていなかった。

2002年10月某日・・・

閉店してスタッフたちがゾロゾロ帰っていく中、プルさんが俺のところに来た。

開口一番「歩合を上げてください!」と言ってきた。

確かにマッサージは上手だが、休みが多いし指名も特別多いわけではない。

指名がずば抜けて多ければ、歩合を上げることは可能なのだが

特に他のスタッフより秀でるものが無いのに一人だけ歩合を上げることはできない。

その旨伝えると、残念そうな表情で帰っていった。

翌日以降、彼女が出勤していたかどうかは記憶に無いが、あれ以降彼女のことで記憶に残っているのは

彼女が出勤しなくなって3日目くらいに他のスタッフの一人が、彼女はどうしたのかと尋ねてきたことだった。

連絡も無く欠勤している旨を伝えると、あ~やっちまった~というような表情をしながらプルさんに金を貸していると訴えてきた。

そうすると他にも出るわ出るわその数6人程。少ないもので500B、多いもので2000B・・・・彼女に貸したのだそうだ。

彼らの1日の稼ぎがチップ含めて500~1000Bということを考えれば大金だ。

彼女の未払いの給料があった。その額2550B。何故今そんな数字が正確に出てくるかと言えばエクセルのデータが未だに残っているからだ。

まっ、しかし勝手にその金を彼らへの返済に充てるわけにもいかないし、彼らが貸したと言う証拠も無いわけだ。

3ヶ月経っても彼女が来なかったら未払いの給料を渡すから、それを6人で分けるようにということになった。

結局、プルさんが再び姿を見せることはなかった。

技術があるから仕事には困らないだろうが、行く先々で同じようなことやってなければいいけどな・・・・・・・・・・・・

・・・・・って、13年も前のことだけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


☆★2004年某日・・・メイマッサージからの刺客

2015-04-16 22:18:29 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

最初に書いておくが、この話に出てくるメイマッサージは現在バンコクで営業中のメイマッサージとは全く関係ない・・・と思う。

タイトルの刺客(暗殺者)という言葉もこの場合に使うのは適当ではない(意味違い)ということも分かっているよ・・・日本語怪しいヤツと思われたくないので念のために書いておく。

 

2004年某日・・・・

1人の若いタイ人女性がマッサージ師の面接に来た。

名前を思い出せないがAさんってことにしておこう。

合格圏内だったので採用した。

Aさんはラーン・メイ(メイマッサージ)で働いていたと言っていた。

翌日から日本式マッサージの研修を開始した。

研修を終えてAさんは働き始めた。

俺の店では入店してから1ヶ月以内に指名がない場合は本採用しない(解雇する)という決まりがあった。

面接の時点で厳選していることもあり、これまで解雇となったスタッフは居なかった。

しかし、Aさんは3週間ほど経っても指名が付かなかった。

そんな時、初老の日本人男性が来店した。

初めて来店したその男性はAさんを指名した。

???

この時、物凄い違和感を覚えた。

施術を終えたAさんに、あの日本人男性は誰かと尋ねると「前の店のお客さん」と答えた。

上手なマッサージ師なら店を変わってもお客が着いて来ることはある。

ん~・・・こう言ってはなんだが、Aさんは特別上手とは言えないし、、、、、

1ヶ月以内に指名が付かなかったら解雇されるから、知り合いの日本人に頼んだのかな・・・と、

その時はその程度に思っていた。

それから更に1ヶ月経ったある日突然・・・・・・

「シャチョー!前の店(ラーン・メイ)が戻って来いって言ってるのでAは辞めます。」・・・と言ってきた。

???

その時、ピンと来た。

メイマッサージで日本式マッサージを始めるためにAさんを送り込み技術を習得させて再び呼び寄せる・・・ってことだろう。

いや~参りました。

あの時の日本人はメイマッサージの関係者なのだろう。

メイマッサージという名前からタイ人経営なのだろうが、恐らくあの日本人が出資しているのだろうな。

まあ、彼女が辞めると言っているのに辞めさせないなどということはできないからな。

ここは快く送り出してあげよう。

キーコピーをしたときにマスターキーからコピーすれば問題ないのだがコピーキーからコピーしたものは使用できないことがある。

例えが適当ではないが俺が考案した日本式マッサージも同じだよ。

そして翌月・・・・・思っていた通り、某フリーペーパーに掲載されていたメイマッサージの広告には「日本式マッサージ」

のメニューが追加されていましたとさ。

そして半年後にはメイマッサージの広告は無くなっていましたとさ・・・・・・・・・・・

勝手にフランチャイズや今回の件等々・・・なりふり構わずって感じだな。

しかも、結末が・・・・・・・

日本人なんだから、しっかりしろよ!・・・・・・と、当時はかな~り上から目線で思っていたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


☆★2003年某日・・・スタッフを引き抜かれる・・・さくらマッサージオープン!!!

2015-04-15 19:36:15 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

前回の更新から随分と空いてしまったな。 そろそろ話を完結させないと・・・

 

2002年5月に開店した支店は11月に撤収した。

赤字続きでやっていけなかった・・・わけではなく、本店が忙しくなりすぎて支店に目が届かなくなったことが一番の理由だ。

しっかりしたマネージャーを雇えば済む話なのだが、そのしっかりしたマネージャーが中々見つからなかった。

マネージャーがスタッフと一緒になって遊んでいる光景はバンコクではこの頃よく目にしていたわけで

これが自分の店で起こると思うと人任せには出来なかった。

この支店が成功したら5店舗くらい一気に出店しようと目論んでいたが、やはり人に任せられない自分の性格では無理だと悟った。

 

支店撤収後、スタッフ達も本店に移りマッサージ師27人、受付スタッフ4人、メイド4人となった。

スタッフが増えたことで順調に来客数も伸びていた2003年のある日・・・・・「日本式マッサージさくら」オープンという広告が入ったと

嫁の友人が広告を持って来た。

まあ、真似する人が現れても不思議ではない。

俺はあまり興味なかった。

場所は同じソイの更に奥だし、ロケーションも良くない。

長くは続かないだろうと瞬時に思った。

そんな俺の思いとは逆に嫁は気になったらしく偵察に行くと言って出て行った。

暫くして嫁が帰ってきた。人間の頭から怒りで湯気が出ているのをこの時初めて見た。

実際には湯気など出ているわけ無いのだが、この時は本当に湯気が出て見えた。

「うちのスタッフが5人も居たわよ!!受付のジエップちゃんも居たわよ!!!

全員引き抜かれたみたい!経営者誰だと思う?Y氏よワイ!!!」

Y氏とは日本人で半年ほど前から頻繁に店にマッサージを受けに来ていた。

同じソイでクラブを経営していて、ご丁寧に名刺を置いていったことがあるので名前を知っていたというわけだ。

その彼が引き抜いたらしい。頻繁にうちに来ていたのは引き抜き工作のためだったようだ。

受付のジエップさんも引き抜いたことで、システムもすべてコピーしたようだ。

おいおい、勝手にフランチャイズつくるなよ・・・・

 

そして3ヵ月後・・・・・・・・さくらマッサージ閉店。

スタッフ引き抜いてシステムも完全にコピーして3ヶ月かよ。

勝手にフランチャイズ作っておいてこれだもんな。

上手くいってるようだったら隣に出店しようと思ってたのに。

半年は頑張ると思ったのだけどな。

さっさと見切りをつけたようだ。

恐らく殆ど来客が無かったのだろう。

マッサージ屋なんてそんなものだよ。

 

人の二番煎じを嫌ってしまうのはこの出来事があってからだな。