酔っぱらい一人旅

オール電化キャンプを推進します・・・

☆★2000年5月某日・・・トンローのテナントを本契約そして内装工事開始!!!

2015-02-23 20:03:26 | 1999年バンコクで起業した回想記


 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

ホームプレイス社でテナントの本契約をした。

契約といっても保証金2か月分を支払い契約書にサインするだけなのですぐに済んだ。

そのままピヤワンさんとテナントに行き内装工事の打ち合わせをした。

壁紙張替え、天井の塗装、施術室と待合室の間にパーテーションの取り付け

その他・・・手洗い用シンクの設置、ベッドの仕切りカーテン取り付け等々軽微な工事で済む予定だ。

施術用ベッドは日本ではポピュラーな顔面部分に穴が開いているものを使用したいと考えていたが

このベッドはタイには無かった。

ピヤワンさんに写真を見せると提携している家具屋でオーダー可能だろうとのことだ。

2,3日で見積もりを作成しておくとのことだった。

それからラチャダーのアナカリへ向かった。会社設立手続きを進めるためだ。

揃えておいた書類を全て渡して、後は全てお任せすることになった。

大体1週間ほどで完了するとのことだ。

 

帰宅し部屋で休んでいると携帯電話が鳴った。

電話に出ると先日面接に行った就職斡旋会社からだった。

面接から2週間くらい経っていただろうか。

紹介できる就職先が見つかったとのことだ。

治療院を開業する旨を伝えると・・・

「その方がいいですよ。絶対間違いないと思いますよ・・・」と温かいお言葉を頂いた。

ちなみにその時紹介してもらう予定だった会社はローカルの家具メーカーだった。

 

2日後、ピヤワンさんから電話があった。

見積もりが完了したからオフィスに来て欲しいとの事だ。

ホームプレイスのオフィスに行くとピヤワンさんが見積書を持って来た。

見積もりの正確な金額は覚えていないが、ベッド製作込みで8万B以下だったと思う。

ベッドが1台5000Bだったと記憶している。

その他、壁紙張替えやカーテンなども日本の半値以下だった。

大体2週間ほどで完了するだろうとのことだ。

この時点でオープンは7月初旬と決めていた。

それまでにタイ人マッサージ師の募集及びトレーニングをしなければならない。

ここからが大変だった・・・・

 

 

 

 

 

 

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☆★2000年5月某日・・・会社設立手続き・・・発起人の名義を借りる

2015-02-20 22:22:10 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

前回からの続き・・・・・

アナカリで会社設立の説明を受けてタイ人の発起人が4名以上必要なことがわかった・・・いや、日本を出る前から知ってたけどね。

俺の身近なタイ人といえばアパートのメバーンしか居ない。

アパートに帰ると早速メバーンの部屋に向かった。

ドアをノックするとメバーンが出てきた。

今まで部屋まで来たことのない人間が来たからか少し驚いた表情だ。

開口一番「会社を設立するから発起人名簿に名前を使わせて欲しいのだけど・・」

メバーン:「???・・・」

IDカードとタビアンバーン(住居登録証)のコピーを用意してくれると助かるんだけど・・・・・

メバーン:「え~・・・それは何だか怖いわね・・・」

そりゃそうだ、逆の立場で考えれば知り合い程度の外人に名義を貸すなんてありえないよな。

そんなやり取りをしているところにアパートの管理室のスタッフ(大家のオバサマではない)が通りがかった。

「会社設立するから名義を貸して欲しいって言われてるんだけど・・・何だか怖くって」

すると管理人の男性は「借金の保証人じゃないんだから大丈夫だよ。会社設立でしょ、何も心配要らないよ」・・と、言ってくれた。

間を置かずに「勿論お礼はするから、、、お願い!」と言いながら指二本出した。

それならばということでOKして頂いた・・・・良かった~

更に「旦那にも聞いてあげるよ」と言い部屋の中に入っていった。

少しして戻ってくると「旦那もOKだって」・・・やった~!!!

気が変わらないうちにとIDカードとタビアンバーンを借りるとすぐにアパートの管理室のコピー機を使わせてもらいコピーした。

コピーにサインも貰いこれで完了。

お礼にと4000Bを渡すと驚いた表情だ。どうやら指2本は200Bと思っていたらしい。

こちらとしては法律事務所に名義使用料を毎月支払うことを考えれば安いものだ。

それに法律事務所では名義を貸すのは1年位までと期限がある。

本当に助かった。

そしてホームプレイス社に明日本契約に行く旨のアポをとり、この日は終了。

 

 

 

 

 

 

 

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☆★2000年5月某日・・・テナント契約そして会社設立手続きを開始!!

2015-02-19 20:44:01 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

 

 

前回からの続き・・・・

 

ホームプレイス社のオフィスに入ると応接室に通された。

 

ピヤワンさんがファイルから1枚の紙を取り出した。

 

その紙に賃料が記載してある。1階、2階とそれぞれのテナントの賃料が記載されていた。

 

先程内部を見た店舗は500B/㎡と記載してある。

 

37平米だと18500Bということになる。場所を考えれば高くはない。

 

しかしそのような思いとは裏腹に口からは「ペーン!(高い)」という言葉が咄嗟に出てしまうのはこの頃からだったのだろう。

 

「ロットダイマイ?(マケテ)」と続けて言ってしまうのもこの頃からだったのだな・・・(いや、親父が亡くなって仏壇買う時にも値切ってお袋さんが呆れてたな。)

 

・・・・するとピヤワンさんは450B/㎡ではどうかと言ってきた。

 

えっ、値切れるの???自分で値切っておいてなんだがダメ元で言ったのに・・・・これはもっと値切れるな

 

400B/平米なら今すぐ契約するのだけどなあ・・・・と言うと

 

ピヤワンさんは450B/㎡より下げるのは無理と言う

 

じゃあ他の場所も見てから決めるよと言うと、ピヤワンさんは少し考えて400B/㎡でOKと・・・・

 

保証金2ヶ月、フリーレント期間1ヶ月ということで話がまとまった。賃料は14800B+VATで16000B弱ということだ。

 

内装工事があるのでフリーレント期間1ヶ月というのは大変ありがたい。

 

手持ちの数千Bを内金として支払い、明日以降に本契約することにした。

 

それまでに正式な契約書を作成しておくとのことだ。

 

これで店舗は決まった。アパートの時もそうだがアッサリと決まってしまうものだな。

 

 

 

さて翌日、今度は会社設立のための手続きを始めなければならない。

 

これは個人で行うのは困難というか不可能なので法律事務所に依頼することになる。

 

当時フリーペーパーなどで盛んに宣伝していた「アナカリ」という会社に依頼することにした。

 

ここを選択した理由は日本人スタッフ常駐ということと会社設立、労働許可証取得の料金が広告に記載されていたからだった。

 

日本人スタッフにアポを取りラチャダーの事務所に向かった。

 

日本人スタッフはO氏という。他にも日本人女性スタッフが居たがこちらは最後まで話す機会はなかった。

 

まずは会社設立までの流れを説明してもらった。

 

細かいことは記憶に無いが一番困ったのは7名以上の発起人が必要なことだ。

 

7名のうち日本人3名、タイ人4名とする必要があった。

 

日本人は問題ないがタイ人4名をどうするか・・・・・・・

 

アナカリでも名義貸しは行っているそうだが1人あたり1000B/月だったかな・・・500B/月だったかも

 

ここで4人全員の名義を借りるのは金銭的な問題と「乗っ取り」というリスクがある。

 

そういうわけでタイ人のうち2人はこちらで用意したかった。

 

さあ、どうしよう・・・・・と、この時アパートのメバーンの顔が頭に浮かんだ。

 

そうだ、メバーンに頼んでみよう。

 

・・・ってわけでこの日は帰宅することに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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☆★2000年5月某日・・・治療院開業のためのテナント探し

2015-02-18 20:06:52 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年5月某日・・・

バンコク週報に広告を掲載してから出張施術は1週間で数件の依頼があった。

数件とは少ないようだが日本でやってた時よりは多いペースだ。

日本ではこれを1年以上続けて毎日コンスタントに仕事が入るようになり本業の病院勤務の収入を上回ることができた。

広告を出してすぐに施術の依頼が殺到するなんていうのは名のあるカリスマ治療家以外にはありえない。

俺のような名もない平凡な治療師はリピートして頂いて時間をかけて顧客を増やしていかなければならない。

誰でも広告を出せば依頼は来るけど、要するにリピートが無ければダメということだな。

 

最初の1週間で数件依頼があったことで治療院を開業してもやっていけるのでは・・・と思った。

・・・・というわけで、早速店舗探しを開始した。

この時、来タイして約7ヶ月。日本人が多く住んでいる地域がスクンビットということは分かっていた。

日本人相手に開業するのであればアソークからトンローの間だろうと考えていた。

店舗探しを開始して最初に訪れたのは帝国リサーチ。

ここに訪れた理由は記憶に無いのだが、店舗の紹介もやっていたからなのだろう。

帝国リサーチのオフィスに入ると2人の日本人スタッフとタイ人マネージャーのUさんが出迎えてくれた。

日本人スタッフは2人ともSさんというイニシャルで2人とも元駐在員だったそうだ・・・・・・・だったそうだ、ということで2人とも既にリタイヤされた方々だ。

この時の帝国リサーチでのやり取りは記憶に無いが、帰り道モトサイでトンロー通りまで出てから店舗探しのため歩いた。

炎天下の中散々歩いて涼もうと思って入ったオフィスビル。

 

 

ホームプレイスオフィスビル。

1,2階がテナントで上部階はオフィスフロア。

近代的な建物だ。

 

 

↑1階この部分が空き店舗だった。

ドアに貼られていた電話番号に電話をかけた。

出たのは女性だった。

「今ホームプレイスの1階の空き店舗の前に居る。この店舗の中を見たい・・・」

・・・・と、英語で言ったかタイ語で言ったか記憶にないが、この位は話せたってことだな。

「今からそちらに行きますから少々お待ち下さい・・・・」

数分後、タイ人女性が鍵を持ってきた。

「ピヤワンです。よろしくお願いします・・・」と挨拶しながら名刺を渡された。

鍵を開けてもらい中を見せてもらった。

広さは35平米。10坪強って所だ。

小さな待合室を作ってもベッド4台は置ける。

労働許可証を取得するのにタイ人スタッフを4人雇わなければならないから本当はベッド5台置けるスペースの所が良かったのだが

4台でもいいか!って即座に妥協した。

あとは賃料次第だな・・・・・ということで、ホームプレイス社のオフィスへ向かった。

 

 

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☆★2000年4月下旬・・・バンコク週報に広告掲載・・・出張施術開始 その2

2015-02-17 20:57:25 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

前回からの続き・・・・・

出張施術の広告が掲載されたバンコク週報が発行された。

確か金曜日だったと思う・・・バンコク週報の発行日が毎週金曜なのだから間違いない。

バンコクの日本人社会に受け入れて頂けるかどうか不安だった。

そんな不安に反して依頼の電話が鳴り止まなかった・・・・・

・・・・・・・と、書きたいところだが世の中そんなに甘くないことは十分に分かっていた。

それでも夕方までに1件依頼の電話があった。

ご自宅はスクンビットだが少々分かりづらいので近所のホテルまで迎えに来ていただけるとのことだった。

指定されたホテルのロビーで待っていると、ジョニーさんですか?と声をかけられた。

電話で依頼していただいたHさんだった。

エントランスにBMWが停めてあり後部座席を勧められた。車は眩しいくらいに光り輝いて見えた。

助手席には奥様であろう女性が座っていた。

スクンビットの路地を数分走ると大きな門の前で停止した。

クラクションを鳴らすと若い女性が出てきて門を開けた・・・・奥様の遠縁で住み込みでメバーン(メイド)をしているとのことだ。

庭には大型犬が3頭いた。スクンビットの庭付き1戸建て・・・・豪邸。

このような所に住んでいる日本人がいる事に驚いた。

家にお邪魔し早速部屋で施術開始した。

Hさんは在住10年とのことだった。

在タイ年数を尋ねられた時、在タイ年数長い方の殆どが「恥ずかしながら・・・・」と頭に付けて言う。

Hさんも、やはり「恥ずかしながら・・・」と仰ってた。

駐在員として来タイし現在の奥様と結婚して帰国命令が下った時に退職して独立したとのことだ。

色々な話をしているうちに1時間の施術が終了した。

タイに来て初めての施術だったので緊張した・・・ってことは全く無かったが、

久々に施術したので、ぎこちなさが出ていなかったか心配だった。

帰りは車でBTSの駅まで送って頂いた。

その後、俺がHさん宅に訪問することはなかったが治療院開院後やマッサージ店開業後に何度も来店して頂いた。

 

・・・・・・・以上バンコクで初めて収入を得た時の話。

 

 

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☆★2000年4月下旬・・・バンコク週報に広告掲載・・・出張施術開始

2015-02-17 11:08:26 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

2000年4月下旬・・・

就職斡旋会社に登録したので、あとは就職先を紹介されるのを待つだけとなった。

但し紹介されるまで数日から数ヶ月と幅があり気長に待つ必要がある。

この時はタイ語学校にも行っていなかったので日中ブラブラして夜飲みに出かけるという生活だった。

こんな生活を送っていたら堕落するのは目に見えているし、金も続かない。

何かしなければということで鍼・指圧の出張をすることにした。

することにした・・・・と、この時思いついたわけではなく

現地採用で会社で働きながら終業後に副業でやろうということを来タイする時から考えていた。

出張施術は日本で資格を取った直後の21歳から本業の病院勤務の傍ら行ってきたことだ。

日本では新聞の地域版に3行広告を掲載していた。

3行広告でも結構反響があり本業の収入を上回る月もあった。

同じことをバンコクでもやろうというわけだ。

就職斡旋会社での面接以降、治療院開業に半分以上は心が傾いていたので、

日本の鍼・指圧の需要がどの程度あるのか計る意味でもこれはやらなければと思った。

この出張施術がダメなら治療院開業してもやっていくことは困難だろう。

日本でやった時と同じく広告を掲載しようと思った時に真っ先に頭に浮かんだのはバンコク週報だった。

早速バンコク週報にアポを取りオフィスに向かった。

オフィスで出迎えてくれたのはH氏だった。H氏は同世代で感じの良い話しやすい方という印象だ。

広告は一番小さなマスで1500Bとのことだ・・・1200Bだったかな?

バンコク週報はその名の通り週刊なのだが、毎週載せるのは金銭的な問題もあったので2週に一度掲載してもらうことにした。

翌週発行の新聞に掲載されるとのことなので、あとは待つのみだ・・・・

 

さて、どうなるか・・・・・・・

 

 

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☆★2000年4月某日・・・就職斡旋会社の面接を受ける・・・これが人生のターニングポイントか

2015-02-16 20:25:04 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

人生2度目の就職面接は空振りに終わった。

とにかく就職しなければならない。

日本から持参した金も限りがある。

所持金が尽きる前に毎月収入を得られるようにしなければタイ生活も強制終了となる。

・・・・そういうわけで就職斡旋会社に面接に行くことにした。

ここに登録しておけば、こちらと先方の会社の条件が一致するところを紹介してくれるというわけだ。

その就職斡旋会社はアソークにオフィスを構えていた。

オフィスに訪問すると日本人スタッフが応対してくれた。

日本人スタッフの「こんな格好ですみません」という第一声が印象に残っているのだが、何故だったかな・・・

先日の日系企業の面接と同じような感じだった。

やはりここでもタイ語のテスト・・・というよりタイ語のレベルの確認があった。

タイ人スタッフと会話をするのだが初級、中級、上級どれにしますかと始めに聞かれる。

初級でお願いしますと答えるとそれに合わせてタイ人スタッフが質問形式で話してくるというものだ。

初級は難なくクリアできたので中級(ビジネスレベル)でもチャレンジすることに・・・・

しかし中級は難しかったというより聞いたことの無い単語が出てきたので意味が分からず。

結果、俺のタイ語レベルは初級(日常会話レベル)ということだ。

タイ語のテストが終わると再び日本人スタッフと面接があった。

これも堅苦しい面接ではなく・・・面接というより雑談だった。

「ジョニーさん、日本で治療師の経験があるのだったら就職なんかしないでバンコクで開業すればいいのに」

「確か日本人でやっている人いたと思いますよ・・・・○○整体って日本人経営ですよ」

「会社設立すれば労働許可証も取れるし・・・・うちの会社でもそういう手続きのサポートもしていますから(笑)」

「就職のほうは条件の合う会社があったら連絡します。数日で見つかる場合もあるし数ヶ月かかることもありますので、そのつもりでお待ち下さい・・・」

・・・・ということで面接は終了した。

 

バンコクで治療院を開業・・・・・それまで考えたこともなかった。

面接で日本人スタッフが話した文にすればたった3行の言葉。

しかし今思えばこの3行の言葉で、この後のタイ生活が決まったのかもしれないな。

 

この日からしばらく考える日が続く・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

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☆★2000年4月某日・・・日系企業の面接を受ける

2015-02-15 08:44:46 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

少し進んで2000年4月某日・・・

シリパタナ・タイ語学校を終えるとビジネスレベルには程遠かったが日常会話レベルでのタイ語が可能になった。

半年タイ語学校へ通ってから現地採用で就職するというのが当初の予定だった。

4月になり当初の予定を実現するために就職活動を開始した。

タイミング良くタニヤプラザにオフィスを構える某日系一部上場企業が求人していた。

条件はタイ語日常会話可だけだったと思う・・・・

電話でアポを取り早速面接に行った。

バイトの面接を除けば正社員としては生まれてから2度目の面接だった。

日本語の履歴書を持参していたのだが、英文でも書くように用紙を渡された。

用紙の内容に沿って欄を埋めていくのだが、書いてある英単語が分からず空欄が多くなってしまった。

まずは日本人社員との面接だ。特に内容は覚えていないが堅苦しい雰囲気ではなく雑談交じりのラフな感じだった。

そしてタイ語のテストがあった。

これはタイ人社員を相手に会話するというものだ。

タイ語をテストされると言うのは初めての経験だったので凄く緊張した。

その割には話した内容は良く覚えている。

 

「今日はどうやって来ましたか?」

俺: タクシーを運転してきました。

「タクシーを運転?」

俺: いや、タクシーに乗って来ました。

「タイに来てどのくらい経ちますか?」

俺: 28年経ちます。

「えっ、28年?」

俺: いや、6ヶ月です。

「タイ人をどのように思いますか?」

俺: 真面目で働き者で性格の良い人が多いと思います。

「えっ、本当にそう思いますか?」

俺: いや、、、、そうでない人もいますが、それは日本でも同じことです。

 

こんな内容でグダグダだった。

一部始終を隣で見ていた日本人社員は笑いを堪えているような気がしたのは気のせいだろう・・・・

そして再び日本人との面接。

「来タイ半年の割には良く話せますね~」・・・とありがたいお言葉を頂いた。

「勤務地なのですが・・・・レムチャパンなのですが大丈夫ですか?」

えっ、ここじゃなかったの?レムチャパン・・・・無理!

前にも書いたが犬がいるから簡単に引っ越すことが出来ない。

レムチャパンで犬の飼えるアパートが簡単に見つかるとは思えなかった。

「募集要項に勤務地記載してなかったからな~・・・・・記載しておくんだったな~」

 

・・・・・・・・・面接修了。

後日ご丁寧に不採用の連絡を頂いた。

 

しかし、貴重な体験をさせて頂いたと思っている。

もし、ここで採用だったらまた違うタイ生活になっていただろう・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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☆★1999年12月某日・・・シリパタナタイ語学校へ入学!!!

2015-02-14 19:59:35 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

1999年12月某日・・・

ニサ・タイ語学校が修了すると簡単な日常会話は可能なレベルになった。

しかし、就職するのにはビジネスレベルで話せる必要がある。

・・・というわけで自宅からこれまた近かったYWCA内にあるシリパタナ・タイ語学校へ入学した。

ここはプライベートレッスンでレッスン料も安かった。

午前中3時間、午後1時間というスケジュールで通った。

広い教室に机が10個ほど置いてあり、それぞれで個人レッスンが行われていた。

仕切りも何も無いので隣の会話は筒抜けだ。

ベテランから新人まで大勢の先生が居たが、最初の頃は全ての先生に当たったが後半は新人の(若い)先生ばかりだった。

ここでもテキストはあるのだが、俺がニサで使用していたものと殆ど同じレベルだったので

先生との会話の中で分からないところを教えてもらうようにした。

先生との雑談の中で昨日の夜遊びでの出来事を全て報告するのだが、

その中で言おうとしていることで分からない時に話の流れから何を言おうとしているのか察してもらい

それを教えてもらうという方法をとった。

・・・・まっ、ただの雑談で終わることが多かったけどね(笑)

それでもここを終えた頃にはビジネスレベルまでには到達しないが日常会話レベルでは上達したかな。

 

この学校も日本人率は高かった。

休憩時間になると外階段の踊り場に喫煙者は集まるのだが、ここでは生徒同士仲良かった。

特にM氏は先頭に立ち今夜の遊びの仲間を募っていた。

M氏は商社の社員なのだが、会社がタイに拠点を作るための先遣隊として長期出張で来ているとのことだった。

M氏が夜遊びに誘うのはタニヤだった。

アキラ氏ともタニヤに行きM氏ともタニヤに行き・・・・・本当に飽きたよ。

ここの学校には3ヶ月近く通っただろうか。

先生も生徒も皆フレンドリーで居心地が良かった。

今思い返すと、タイ生活ではこの頃が一番楽しかったのかもしれないな・・・・・

 

 

 

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☆★1999年11月某日・・・「にしむら」の社長の思い出

2015-02-13 20:28:58 | 1999年バンコクで起業した回想記

 

印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。

 

 

1999年11月某日

 

アキラ氏に誘われてフジスーパー界隈の「にしむら」という日本食レストランに行くことにした。

夜はそれ相応の値段だが、ランチ時間帯だと定食が150B程で食べられた。

アキラ氏は俺と知り合う前から何度か来ていたらしく社長とも顔見知りだった。

店内に入ると社長が出迎えてくれた。

「社長!今日は友達を連れてきたよ!!」・・・とアキラ氏が言うと社長は満面の笑みだった。

食事が終わる頃、社長が席にやって来た。ビールの入ったジョッキを手にしていた。

一通り俺の自己紹介が済むと今度は社長が自分のことを話し始めた。

色々と話して頂いたのだが記憶に残ってることは・・・・・・・・・・

腕にはめている金無垢のロレックスとダイアの指輪で350万円、愛車のショートのパジェロは日本から輸入して800万円かかった等々・・・

社長は元プロボクサーだったとのことで世界チャンピオンのスパーリングパートナーを務めていた事もあったそうだ。

タイに来てからも一度試合をやったとのことで、その時の写真を見せてもらった。

アフロの社長がガッツポーズしている足元にタイ人ボクサーが倒れている画だった・・・腹が出ていたのは突っ込まないでおいたよ。

社長の話は面白かった。

それから時々「にしむら」に食事に行った。

最初に行って数ヶ月経ったある日、社長が図面を手にして席へ来た。

「これはまだ秘密なんだけど・・・」と前置きして話し始めた。

「日本村の先に新たに日本料理店を出そうと思っているんだ・・・」と言いながら図面を広げた。

一目でかなり大規模な店だとわかった。「タイで一番の日本食屋ですね~」と俺が言うと

「いや、東洋一だよ」と仰ってた。

後日、完成した店にお邪魔したが確かに東洋一の店というだけある規模の店だった・・・・・タイ以外の日本食レストラン知らないけどね

 

俺が治療院を開業する前に社長のところに食事に行きその旨話すと「宣伝するよ!」とありがたいお言葉をいただいた。

その言葉通り実際にお客様を紹介して頂いた。

その後、疎遠になったが、しばらく振りに見かけた社長は杖を付いていた。

さすがにご本人に聞けなかったが脳卒中を患ったのだろう。

昨年訪タイした際、久々に「にしむら」に行ったが社長はいなかった。

ジョッキを片手に笑顔で近寄ってくる社長を思い出しながらビールを飲んだ・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

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