☆★プロボクサーに憧れて・・・その1 草加有沢ボクシングジムに入門
☆★プロボクサーに憧れて・・・その2 初めてのスパーリング
☆★プロボクサーに憧れて・・・その3 1989年の草加有沢ボクシングジム
☆★プロボクサーに憧れて・・・その4 双子の有沢兄弟を目にして驚愕した17歳のあの日
☆★プロボクサーに憧れて・・・その5 スパーリング恐怖症でジムからランナウェイ!!
☆★プロボクサーに憧れて・・・その6 宮田ボクシングジムに入門!!
☆★プロボクサーに憧れて・・・その7 1990年の宮田ボクシングジム・・・
☆★プロボクサーに憧れて・・・その8 プロテスト受験が決まる・・・
こんにちは、酔っぱらいです。
1991年9月
プロテストの数日前に指定病院に健康診断を受けに行った。
日大病院と大同病院が指定されていた。
日大病院で受けようと、板橋だったと思うが直接向かった。
病院の受付でボクシングのプロテストのための健康診断を受けたいと伝えると
すぐに理解してもらえたが、CT検査があるので事前の予約が必要だとのことだった。
今日この場で予約しても早くて1週間後と言われた。
テストに間に合わないな~・・・今だったら、事前に予約が必要か?とか予め問い合わせるのだが
この頃はそんなことにも気が回らなかったのだな。
困ってしまい、プロテストの主催団体の日本ボクシングコミッションに電話を掛けた。
電話口の女性の職員が、大同病院なら空いていれば即日受けてくれると教えてくれた。
そのまま高田馬場の大同病院へ・・・CT検査も完了し、無事終了。
プロテスト当日
宮田ジムに集合と指示されていた。
会長の車に同乗し連れて行ってもらった。
この当時、会長は真っ赤なセリカに乗っていた。
T川君が同行してくれた。会長が誘ったようだ。
T川君もプロ志望だったからね。
俺より強かったT川君はこの数か月前に病気になったらしく、暫くジムには来ていなかった。
それで、本来だったら俺と同時期にプロテストを受けるはずだったが、少し遅れることとなった。
後楽園ホールに到着した。
実はホールに来るのは初めてだった。
初めての後楽園ホール・・・意外と狭いのだな~というのが第一印象だ。
リングに上がって感触を確かめてみな、、と、会長に言われ、初めてホールのリングに上がった。
フカフカではないが、リングのフロアーは少し柔らかい感じがした。
プロテストは筆記試験の後でスパーリングを2ラウンド行うという内容だった。
受験者は何人居たか覚えていない。
筆記試験はルールに関するもので、これで落ちる人は居ない程度の内容だ。
受験者の中で満点が一人だけ・・・俺ですよ
ジムの壁の隅に貼ってあったパンチの絵と名称が共に記載していたものだけど・・・
それをタマタマ目にしていたわけですよ。
皆が正答できなかったパンチの名称・・・「スイング」
ジャブ、ストレート、フック、アッパー・・・これは皆分かるが、「スイング」はあの張り紙を目にした人じゃないと名称が出てこないだろうね。
次に体重の軽い順にスパーリングを行った。
俺は軽い方なので早い順番だった。
会長とT川君にグローブを着けてもらった。
グローブを着けてもらっている間に心臓がバクバクしてきた。
後にも先にも人生で一番緊張した時だ。この後のデビュー戦なんか問題にならないくらい緊張した。
本当に人生で一番だよ。
名前を呼ばれてリングに上がった。
2ラウンドのスパーリングが開始された。
スパーリングが始まっても心臓はバクバクしていた。
緊張しながらも俺の方が優勢だった。
1ラウンド終了しインターバル。リング下の会長が何かアドバイスくれたはずだが、何を言われたのか記憶が無い。
2ラウンド開始・・・最後の30秒くらい相手に一方的に攻め込まれ亀状態だった。
スパーリング終了しレフェリーに挨拶しリングを降りた。
降りるときに会長に「大丈夫ですかね?」と尋ねた。
会長は何も言わない。
リングを完全に降りて、リングから離れてから初めて会長が「大丈夫だよ、合格だよ」と言ってくれた。
「最後はどうしたの?スタミナ切れたの?」とも言っていた。
俺が尋ねた時にすぐに答えなかったのは、審査員が近くに居たからのようだ。
俺自身は合格と思えるほど優勢ではなかった印象だ。
最後に一方的に攻められて亀になっていたこともある。
この日は夜にボクシングの試合があり、その試合を観戦させてもらえることになった。
つづく
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