ベネズエラからデトロイトのお姉さんのピアの家に縄文心導の勉強に来ているリサも、日に日に元気になっていて、毎日二人でヒーリングのやりあいをしているそうです。
MSという病名をもらうと、治療のしょうがないという、厄介な病気だそうですが、フィンランド人のエーバ、リーサはMSの体験を、私の著書、倉富式縄文ストレッチ「愛の法則」に症例としてエバから送られてきたものを、紹介してみます。
多発性硬化症(MS)
エーバ、リーサ 55歳 フィンランド
はじめて心導を体験したとき、心と身体がとても感動しました。
今までやってきたことの積み重ねで、こころと身体が一つになっていくように感じました。
私は55歳になります。
実は27歳の時はじめて多発症硬化症の症状が出ました。その症状とは、まず両目が動かなくなり、視野が少しずつ狭くなっていくのです。そのため、美しい世界が私の目の前から少しずつ消えていく怖さを味わいました。
それから3年間は、だんだん他の症状が現れました。手から力が抜けて行き、歩くこともにも不自由さを感じるようになりました。
とてもつかれやすくなり、まるで身体が故障して、さび付いたロボットのようになっていくようでした。
そして30歳の時に、実際に右半分が麻痺してしまいました。
ある程度、覚悟はしていましたが、実際に起こってみる戸、真っ暗闇の地獄に落とされたようでした。
私はこのために仕事を辞めなければならなくなりました。
何の希望も見出せず、身の心もぼろぼろになりました。
思うように身体を動かせない苛立ちと死に対する恐怖から、身近な人に理由もないのに不平不満を言ったりして、現実から逃避しょうとしていました。
しかし一方では自分の心の中で「この現実を受け入れて、今は自分の人生を深く考える機会だ」という声が聞こえてくるのです。
明日に続く
MSという病名をもらうと、治療のしょうがないという、厄介な病気だそうですが、フィンランド人のエーバ、リーサはMSの体験を、私の著書、倉富式縄文ストレッチ「愛の法則」に症例としてエバから送られてきたものを、紹介してみます。
多発性硬化症(MS)
エーバ、リーサ 55歳 フィンランド
はじめて心導を体験したとき、心と身体がとても感動しました。
今までやってきたことの積み重ねで、こころと身体が一つになっていくように感じました。
私は55歳になります。
実は27歳の時はじめて多発症硬化症の症状が出ました。その症状とは、まず両目が動かなくなり、視野が少しずつ狭くなっていくのです。そのため、美しい世界が私の目の前から少しずつ消えていく怖さを味わいました。
それから3年間は、だんだん他の症状が現れました。手から力が抜けて行き、歩くこともにも不自由さを感じるようになりました。
とてもつかれやすくなり、まるで身体が故障して、さび付いたロボットのようになっていくようでした。
そして30歳の時に、実際に右半分が麻痺してしまいました。
ある程度、覚悟はしていましたが、実際に起こってみる戸、真っ暗闇の地獄に落とされたようでした。
私はこのために仕事を辞めなければならなくなりました。
何の希望も見出せず、身の心もぼろぼろになりました。
思うように身体を動かせない苛立ちと死に対する恐怖から、身近な人に理由もないのに不平不満を言ったりして、現実から逃避しょうとしていました。
しかし一方では自分の心の中で「この現実を受け入れて、今は自分の人生を深く考える機会だ」という声が聞こえてくるのです。
明日に続く