2014.10.26 故郷の横須賀

2014-10-27 10:39:25 | 写真
昨日横須賀に行ってきました。

ベース入口の左側にあったアメリカ水兵専用バー街は影も形もなくなっていました。

汐入駅の道路を挟んで反対側、昔あったスター座の手前の路地を入ったバー街も鉄筋コンクリートの建物に替わっていました。

汐入駅の裏側、通称「どぶいた通り」と言われるバー街の汐入駅側の一画も既に面影はなくなっていました。

「どぶ板通り」はシャッターが下りていましたが、通りとしては存在していました。

小学生のころこの通りを真昼間、自転車で通り抜け(子供にとって最大の冒険)酔った水兵と衝突した。

バーの叔父さんに「逃げろ!全速力で逃げろ!」と叫ばれ、さいかやの通りまで夢中で逃げたあの光景は

全くありませんでした。

当時体が小さかったからでしょうか大きな水兵は怖かった記憶があります。

たまに、下町(さいかや近辺)に食事に出かけたとき(ごく極たまにです。一年に数度だったように思います。)

EMクラブ(現在ホテルになっている)からガントリッククレーン(現在のダイエー)、臨海公園(ヴェルニィー公園というらしい)

辺りは檻を曳いた車のMPが徘徊していて怖いところだった。

15年ほど前、中学3年の同窓会が、ヨゼフの下の飲み屋で行われたが、このあたりも日本人が出入りできるようになったんだ

と感慨新たにした記憶があります。

たった53年で、横須賀の街は、すっかりかわってきれいな街になったみたいです。

汐入交番を左に折れて中央に抜けるトンネルを右に登って行き、佐野にでました。

柏木田を見に行ったのですが、なんにもありませんでした。昔ここが遊郭だったなどとほとんどの住人は知らないかのごとく

毎日の生活の場となっていました。

佐野郵便局の角を曲がったところが柏木田です。

山口瞳の「血族」に登場します。

鶴久保小学校の横を通って不入斗に抜け、坂中、入中(山口百恵)を抜けて坂本坂上に出た。

ここに古い横須賀を発見した。私の親戚筋の「突貫団子」がそのまま存在していた。

小学生の頃既に古いと感じていた建物なので、電話で問い合わせたところ、関東大震災の後の昭和2~3年の建築とのことでした。

看板は「突貫」ですが、多分坂本に居る古くから住人は「突貫」と言ったことは、いちどもないと思います。

「突貫団子」がその名称です。

御主人(同級生)とおそらく、50年ぶり位に話をして、お互い歳をとりましたが、一目で誰であるかわかりました。

弟さんのはなしでは、ネットを見て電話をしてくる方もいらっしゃるとのことです。

「突貫団子」の2、3軒先にやはりいい建物とご主人を撮ってきました。

「京染物のいさわ」です。生憎日曜日なのでシャッターが閉まっていましたが、趣のある看板と、年期の入ったご主人をとりました。

いずれも許可は事後承諾ではありますが、確認してあります。

長々となりましたが、昭和9年の建物が残っていましたので撮影してきました。

その家の庭に咲く、「紫式部」と「ホトトギス」とともに



いさわ京染店とご主人



突貫団子の看板と、わが友であり同級生であり、親類のご主人



昭和9年当時のままの玄関横の羽目板と消火用水



同じく昭和9年製の下駄箱



杜鵑(ホトトギス)前の家の土堤に自生しています。



紫式部がきれいに実をつけていました



今回は生まれ故郷「横須賀坂本町」の古い建物探索になってしまいました。

写真としては、自分としてはかなり好きな部類ですが、単なるルポであることも否めません。

しかし自分の記憶に残るルーツとしてアップしました。

坂本小学校は老人ホームになり、坂本中学校の裏にあった、桜台中学は坂本中学校と名を換えていました。

怪しげなカップル(中学)の潜んでいた中学校の裏山は住宅地になっていました。

今回は佐野でUターンしてしまい。公郷にある高等学校はパスしてしまいました。

多分横須賀四中時代の遺構は無くなっているものと思われます。