贄川塾を過ぎること約3.8kmほどの19号線沿いに県道254号線に入る道があります。
辰野へ抜けるみちです。
19号から右折してすぐラブホがあります。
さらに登ること2-3km。道幅は極端に狭く車一台通る幅しかありません。
右側の川が、左側に移り再び右に変った少し上に道路のすぐそばを清流が流れます。
車を停める場所はごくわずかしかありません。
その清流が、素晴らしかった。私は、またマイナビがマニアックな道を通しているんだ、
細道を早く抜けなくてはと、先を急いでしまいました。すれ違いは困難なので余計急ぎました。
峠の頂上の標識を見て驚きました。
この道は初期 中山道だったのです。
途中の景色の素晴らしさを思い起こしました。
時すでに遅し。
この道を歩いたであろう旅人、坂上田村麻呂、そして捕虜を潔しとした阿弖流為。
北畠顕家。500年の差はあっても、多分この道を歩き、ここから辰野を振り返ったのでは。
当時と風景はさほど変わってはいないと思っている。
そして諏訪大社へ
初期 中山道の写真をとれなかったのが、また気づかなかったのが残念でならない。
次回行くチャンスがあったら撮ってきたいと思っています。
9月19日に行く予定にはなっているのですが、この道は車が大きくて通れないと思います。
辰野へ抜けるみちです。
19号から右折してすぐラブホがあります。
さらに登ること2-3km。道幅は極端に狭く車一台通る幅しかありません。
右側の川が、左側に移り再び右に変った少し上に道路のすぐそばを清流が流れます。
車を停める場所はごくわずかしかありません。
その清流が、素晴らしかった。私は、またマイナビがマニアックな道を通しているんだ、
細道を早く抜けなくてはと、先を急いでしまいました。すれ違いは困難なので余計急ぎました。
峠の頂上の標識を見て驚きました。
この道は初期 中山道だったのです。
途中の景色の素晴らしさを思い起こしました。
時すでに遅し。
この道を歩いたであろう旅人、坂上田村麻呂、そして捕虜を潔しとした阿弖流為。
北畠顕家。500年の差はあっても、多分この道を歩き、ここから辰野を振り返ったのでは。
当時と風景はさほど変わってはいないと思っている。
そして諏訪大社へ
初期 中山道の写真をとれなかったのが、また気づかなかったのが残念でならない。
次回行くチャンスがあったら撮ってきたいと思っています。
9月19日に行く予定にはなっているのですが、この道は車が大きくて通れないと思います。