「21世紀はアジアとの時代」 (Jtiro🔴Jpn) SDGs.Webサイト(Editor: K.Yamada)

●Copyright © 2024.All rights reserved.●Since2008.
  

■タイの国防とクーデター

2017-01-20 | ●タイのクーデター

■■■■■■「タイの国防と国軍とクーデター■■■■■■

■「タイの国境問題
[シャムとビルマ(いまのミヤンマー)は 16世紀初めより仇敵
である」タイの著名な歴史学者ドンチャイウイ・ニッチレクンクン
・ウイスコンシン大学東南アジアセンター教授は自著「地図が作
たタイ」(石井米雄訳、明石書店)の第3章、国境編の冒頭で
こう
述べている。

タイは四方を隣国と接して、古くから激しい国境紛争を抱えながら、
したたかな外交の駆け引きで、 国を守ってきた歴史がある。

■「タイはなぜアジアで独立を保てたか
●海に囲まれた日本と違って 周囲を全て陸の国境線に囲まれたタイ
が、18世紀以降の欧米列強による アジア植民地支配の中にあって、
いかにして国を守リ抜いてきたか。 その巧みな国防の経緯をたど

みたい。
 
19世紀のアジアの欧米による植民地支配地図
まず上の地図を見ていただきたい。
欧米列強の英国、フランス、オランダ、米国によるアジア植民地支
配で、食い物にされず残ることができたのは、わずかにタイと日本
2国のみだった。

時あたかか日本は、幕末の黒船襲来の頃。その当時のタイの領土は、
少なくとも日本の約2倍近くあったと想定されるる

●タイの属領ルアンパパーン王国(今のラオス)で起きた、フランス
による紛争事件は、当時のシャム王国にとって欧米列強による最初
の植民地紛争だった。
カンボジアそしてベトナムを保護国にしたフランスは、タイの属国
ラオスの種族紛争を仕掛けたが、タイは 自国を守るのが精いっぱい
で、ことごとく敗退する。その結果タイはラオスをフランスの保護
区に割譲することで 戦争を回避したと言う。いわゆるパークナム事
件である。



(19世紀のタイ(シャム王国)のラオスなど失地地) 
 (出所:週刊東洋経済) 
後にタイ(ラーマ五世)は、ビルマを植民地化した英国とベトナム
やカンボジアを植民地化したフランスの政治的な中間的な 緩衝地帯
としての役割を果す事に徹して、うまく難を逃れた。

そして英国が攻め込んで来れば、フランスに近寄るという具合にし
て英仏の中間にあって大国を翻弄しながら、したたかに生き残って
来た。


(イ王国の名君ラーマ5世像
その後にはタイは、アジアへ進出したロシアとまた近世では共産
主義化阻止で始まったベトナム戦争の西側陣営に加担する。
●そして多くの戦傷兵の受け入れで病院兵站的な役割を果たした。
そして、
後のメデイカルツーリズムの基盤と背景を作ったとされる。

また多くの帰休兵の休息地を提供することで、チェンマイやパタヤ
都市は、戦後の欧米向け大型リゾート開発の糸口をつかむ事にな
る。

それは、ちょうど日本の明治天皇のころで、欧米列強を相手に国
存亡を救った ラーマ五世の名君外交は、タイ王国の伝統的で  し
かも
したたかな平和外交の規範として、いまも語り継がれているの
である。




■「タイの平和外交力と軍事抑止力
一見おとなしく見える国民性のタイの人たちが、何故孤高を保っ
て、
まで、厳然と独立を守る事ができたのか、今もって  世界の不思
議話
の一つになっている。 しかも 西側陣営の列強に次ぐ軍事力を有
しな
がら18世紀以来一度も その武力を行使をしたことがないという。

●振り返れば第2次世界大戦のときもタイは日本と友好的な軍事同盟
を提携していたが、日本の敗色が濃厚とみるや終戦前日になって対
宣戦布告を行い、一日にして戦勝国となった。

機を見て敏、変わり身の早さは まさに伝統的なものと言えないだろ
  
 
(軍事
暫定内閣プラユット首相
去る2014年にはタイ国軍による奇襲的なクーデターがあった。
その経緯は、ご存知の通りである。
国軍なかんずくタイ陸軍は ASEAN
のハブといわれるタイ国の政治と
経済
を掌握、今や新しいタイをめざして、暫定内閣を進めつつある



■「タイ国軍によるクーデター
タイの国軍は,19万人の精鋭陸軍を長い国境警備に投入してきた。
そのほかにタイ国軍は、タイの政治にも大きく関わってきたと言わ
れている。
タイの政治を大きく転換してきた、国軍によるクーデタ
ーである。
タイでは1900年以降、近世になってから軍事クデターがたびた
び起きている。

1932年(立憲クデター)を皮切りに成功したものを列挙すると、
1933年

1947年
1951年
1957年
1958年
1971年
1976年
1077年
1091年
そして
2006年
2014
   

その経緯を見ると、
そのほとんどは国軍が主導し、政権を替える手段として クデターを
おしほぼ成功している。 そのクデターは、時の政権への不満が、原
因とされる、
そしてそのほとんどのクデターには、 必ず決まった形
があり、国軍とはいえ、その主力をなしたのは、陸、海、空の中の 
陸軍である。
まずクーデターの主な手順は、ーーーーー
・政府機関と放送局を占拠し
・次いで首相と内閣を更迭、
・国会を解散し、

・憲法を破棄、
国王の裁可
をえて、
・公式に陸軍の長が軍事政権を作り 首相に就任している。
その手際のよさは、抜群で
ある。
その後、
文民による暫定政権を作り、
・それにゆだねて憲法を起草し、
総選挙を行う
その結果、民意によって
新しい指導者が選ばれ、新政権が発足する。
   
ところが2014年に起きた今回のクデターは従来と異なり、民政
移管がないまま国軍による暫定軍事政権がいまも続く。既に2年半を
超えた。今回のクーデターの背景には、国民を2分したタクシン派掃
討という 極めて難しいタイ独自の政治課題が潜む。

●本来 国防にあたるべき国軍が、軍事政権として政治に介入するのは、
新興国に多いケースだが 
中進国タイで常套化しているのは、全く特
異なケースと言える。
そして、国民もまた平然とその成り行きを見守っている節があるし 国
内の治安は何ら問題ない。経済もそこそこに動いているから不思議で
ある。
但し、70年間平和な環境にある日本人からすると、武力抗争のイメ
ージはやはり恐怖に映り、安全安心を前提にするロングスティなどは、
どうしても後退する事になる。


米国は、昨年5月のクデターの際には、この暫定政経政権にいち早く
化を要求して、軍事援助凍結の制裁を表明した
にもかかわらず今年春には、暫定政府は、タイ米共同軍事訓練を再開
し日本の自
衛隊も参加した、そのタイ暫定政府の変わり身の早さと手
際のよさに、周辺諸
国は驚いたものだ。
 
     タイ&米国共同軍事演習)

19世紀の英仏2国を翻弄したあの外交の再来を想わす、したたかな
タイの外交手腕は、いまも綿々と受け継がれているようだ。

●そのタイ軍事暫定政権は、バンコク、チェンマイ間のタイの動脈と
言える新幹線建設構想を、日本政府と 日タイ共同で進めようとして
いる。

●また最近では、中国が中北部タイの鉄道路線の建設計画について協
議を
進展中と伝えらたばかり、また暫定政権が中国から潜水艦を3隻
を購入す
る仮契約をしたという報道が流れ、またまた米国との間は、
硬直化が危惧されるが、
暫定政権側は、全方位外交の証と全く意に介
していない。
東西大国を相手にしての伝統的な外交巧者ぶりは、さすがである。

2015年 ASEAN設立40年にして ようやく念願の経済統合が実
現したが、
その6億人という巨大市場は、日本にとってもタイにとっ
ても当面する魅力
市場と言える。
しかしそのASEANでは、中国の南沙諸島の不法海洋進出問題など覇
権トラブルが後を絶たない。
果たしてタイを初めアジア諸国の軍事
力が、抑止力として機能するのか。
タイにとっても、ASEANにとっても、アジアにとっても日本に
とっても覇権
国家中国の台頭は、新しい共通の課題である事に変わ
りは
ない。果たしてメコンの盟主タイ国は今後どう動くのか、興味
深々である。



■「タイの国軍の現況(2012年現在)国連資料
 (項目)       (タイ王国
●人口          6813万人
●GDP名目     3457億 ドル
●軍事予算     1685億 バ―ツ 
●兵役                     2年
●総兵力        30,5万人
●陸軍戦力         19万人
●戦車             283両
●海軍戦力     4,6万人
●総隻数    119隻 
●航空母艦     1隻保有
●空軍戦力   4,6万人
●作戦機       165機
●海軍機     39機

●因みに
日本の2017年度の国防(防衛)予算と自衛隊の兵力は
●予算は、          5兆1251兆円

●総兵力       22万7339千人 
●うち陸上兵力                    19万人
●戦闘機                   347機 
●戦車                  690両
●護衛艦                  47隻
●女性自衛官    1万3476人
         
である。

思うに、タイという国は、不思議な国である
軍事クーデター後の軍事暫定政権という政情にも関わらず、タイを
訪れる世界からの観光客は、さして衰えることはない。
そして、この20年間のタイの経済的な進展は、目を見張るばかり。 

まさにASEANのハブにふさわしい中進国の趣きである。
とはいえ 戦後70年間、戦いのない平穏な環境ですごしてきた 日本
人にとって、いくら住みやすい環境とはいえ、軍事クデター直後の
不穏なところへ わざわざ出向いて生活滞在(ロングスティ)すると
いう事は考えにくい。  魅力的なタイ・ロングスティが、このところ
低迷する大きな理由ではなかろうか。
一日も早い民生移管による安心イメージへの復活が望まれてならない。


 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■Head Line News Jan. | トップ | ■タイの新潮流 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿