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■華開く日本のスポーツ文化

2021-01-17 | ●日本のスポーツ文化

■■■■■■■■■■和魂洋才の知恵■■■■■■■■■■

■「平和とスポーツ]
戦後昭和の象徴は、平和とスポーツだと言われる。
特に戦後の日本が、2度の夏季オリンピック開催の機会に恵まれた
は、世界的に見て稀有な事と言える
過去に夏季オリンピックを2度以上開催した都市(国)は, 世界で僅か
5都市しかない。その全てが  伝統的な大都市ばかりである。

因みに戦後76年間、戦争をしなかった国は、世界193国
の中で8ケ国
しかない。アジアでは日本とブータンだけである
2度のオリンピックの開催、そして戦争と無縁の国、まさに世界に誇る
スポーツと平和の国」と言っていい

戦後 夏季オリンピックを2度以上開催中での世界都市
東京     (1964年)(2021年
・アテネ    (1896年)   (2004年)
・パリ     (1900年) (1948年)  (2912年)
・ロンドン   (1908年)   (1948年)(2012年)
・ロスアンゼルス(1932年) (1984年)

戦後世界で戦争をしなかった名誉ある8ヶ国
(国名)    (地域) (総人口)千人
・日本      アジア    127,202
・ブータン      アジア    754
フィンランド      北欧               5,523
‣スェ-デン   北欧               9,972
・ノールウェー  北欧               5,338
・デンマーク   北欧               5,752
・アイスランド  北欧                  337
・スイス     欧州               8,526



私は前回の東京オリンピックの事を、今も如実に覚えている。
1964年というと、戦後19年、日本はようやく敗戦から立ち上がり、
戦後の復興を経て
カメラやトランジスタラジオなど独創的な商品
で世界市
場への
進出を果たしかけた時だった

  私事で恐縮だが、当時31歳の若いサラリーマンだった私は、月に
2回ほど仕事で片道約6時間半の東京主張をこなしていた。折しも
1964年東京オリンピック開催に合わせて 東京新幹線が開通した。

 
特急「こだま」は最高速度210キロ、4時間半で大阪東京を結んだ。
まさに夢の超特急だった。お陰で日帰り出張も可能になった。あの
当時のサラリーマンはよく働いたものだ。土曜日はどの会社も
半ド
ンが常だったが、終日勤務が多かったように記憶する。

さて余談はさておき、この前のオリンピックの成功で日本のスポ
ーツ
の風潮は大きく変わった。私の年代は小学、中学の頃が戦争中
だったため、スポーツとは全く無縁で育った。いわゆる典型的な
スポ
ーツ出遅れ世代、スポーツ劣等世代」と言っていい。
だから予想だにしなかった1964年東京オリンピックの開催と、その
華麗な成果
は、私どもスポーツ出遅れ世代にスポーツの素晴らしさ
を衝撃的に教えてくれた。
瞬く間に、この世代が「見るスポーツ」に傾斜する事になる.

         

俗にスポーツには「するスポーツ」と「見るスポーツ」がある。
戦後の日本では、戦後生まれの団塊の世代(現在約76歳)を境に、
殆ど
の人々が、何らかの形で「するスポーツ」を実体験するように
なった。
国も企業も家庭も豊かになり、人々の健康志向のために手段として、
国が
スポーツを推奨したことが、スポーツの振興に寄与したと言わ
れる。
こうして開花したのがスポーツビジネスである。



見るスポーツ」では、サッカーやプロ野球の様に魅力あるチーム
が全国に展開する典型的なスポーツビジネスの
形態が造成された。
そして観戦して応援する楽しみや、ファンの交流など、幅広いフアン
を形成していった。自由に観戦できるテレビネットワークの出現も
おおきい。加えてサッカーや野球
など海外の超ド級の大物選手の来日
で、スポーツの市場は限りなく拡大した。

世界における主なスポーツ競技の市場占拠率
        出典:AT Kearney「Winning in the Business of Sports」


経済が発展するにつれ新しい市場が形成されると、消費者が生活者
代わり、企業の目線もユーザー志向に大きく変わって行った。
そして生活者ニーズを先取りして、夢を育む商品開発が先行した。
流行もトレンドに変わり、生活者と企業が提携し、それにメディアが
相乗して、
夢ある付加価値商品を市場に送り出して行った。
それをメジャースポーツが大きく
牽引した。世界のサッカーやテニス
のトッププレィヤーのロゴをつけたスポーツウエアが、
爆発的に売れ
た。
それに関連して米国から導入された新しいマーケティング戦略が
ナイキ、アディダス、プーマなどスポーツブランドを、瞬く間に市場
の勇者に仕立て上げ、
一世を風靡した。

一方するスポーツ」では、野球はもとよりサッカー、ラグビー、
ゴルフなど 
アマチュアの少年育成分野から 中、高、大学、そして
社会人まで
、プロの領域では 日本は世界の中でも先進の部類に位置
すると言われる。
中でも、少青年期の精神的な育成を意図した学生スポーツの振興は、
社会教育の一環として極めて大きな役割を果たしてきた。
政府は2013年の東京オリンピック開催決定を契機に2015年スポーツ
を創設、
日本再興戦略の中で2025年までにスポーツ市場規模を15兆円
に拡大する事
を決めた。

      
そして名目GDP600兆円を目指す鍵として ,スポーツが持つ経済的な
価値に着目し
スポーツを成長産業に大きく転換させる政策を本格的に
始動させた。それ
でも欧米先進国に比べ、まだ遅れているというが、
今後の開花が待たれる。
目前に東京オリンピックを控え、コロナパンデミックが目に余る。
来る3月から始まる日本でのワクチン投与に期待をかけたい。

     
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