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■戦後昭和の確証

2021-04-30 | ●山田語録

■■■■■■■■■■■戦後昭和の確証■■■■■■■■■■■


■■「昭和の日
4月29日は「昭和の日」の祝日である。
本来4月29日の祝日は、昭和天皇の誕生日に因んで「天皇の誕生日」と決
まったが、
陛下の没後「みどりの日」に変わり, その後  2007年からは
世界に類を見ない 戦後日本の再興の実態を、何時迄も忘れないようにと
「昭和の日」になつた経緯がある。
特に日本が敗戦によってどのように変わったか、戦後昭和を軸足に いか
再興したか「昭和の日」に因んでその実態を詳しく検証したい。

敗戦当時、少年時代だった私ども90日かい後期高齢者は、昭和30年
頃に社会人デビューし、戦争生き残りの
先輩たちと共に、まさに手探り
の企業活動を通じて日本経済の再建に取り組むことになる。
その渦中の一人として当時を振り返ると「戦後昭和」は、まさに最高に
誇らしい時代だったと実感している

ところが 4月29日の「日経新聞本紙」は、40頁にも及ぶ何処を探れど、
1行一字
も「昭和」の記事が見当たらなかった。これは かってない事で、
コロナパンデミックのせいと思いたいが、残念でたまらない。

大新聞も見落とす[昭和」については、その当時、仕事で実体験を持
つ世代が、
すでに日本の人口の1割を割り込んでいる事からすれば、致し
方ない側面もある。

しかし戦後僅か76年にも拘らず「世界的に類を見ないと言われる戦後日
本の輝かしい再興の実証」は、戦禍で崩壊した日本が、戦後僅か40年で
世界
第2位の経済大国に昇りつめた国民努力の素晴らしい実績を、ただ
昭和は遠くなりにけりで かたずけて
いいものか。迷っている。
私は「戦後昭和」があったから、今の平和な日本があると確信している。


                         (出典:ニッセイ経済研究所)
■■戦後昭和の足跡
「戦後昭和」の当初の主役と言えば、戦後の日本経済や戦後企業を牽引
した大正世代と
昭和一桁の戦争生き残り(当時の40歳代から20歳代)の
人達だった。
戦後10年の日本」(戦争後の10年
・昭和20年(1945年)敗戦 米軍による占領が始まる ●財閥解体
・昭和21年(1946年)日本国憲法公布ハィパーインフレによる金融封鎖
  
終戦の翌年、日本の全家庭をおそったディフォルト(金融封鎖)

・昭和22年(1947年)●吉田内閣総辞職●片山哲、社会党首班連立内閣
・昭和23年(1948年)極東国際軍事裁判物価倍々の高騰
・昭和24年(1949年)●第3次吉田内閣1ドル360円単一為替レート実施
・昭和25年(1950年)朝鮮戦争始まる警察予備隊発足●平均寿命男58歳
・昭和26年(1951年)●赤痢流行、死者1,5万人サンフランシスコ講和
・昭和27年(1952年)対日平和条約、日米安全保障条約発効正式に独立
・昭和28年(1953年)朝鮮戦争休戦●街頭テレビが人気●初のスーパー青山開店
・昭和29年(1954年)●防衛庁自衛隊発足●電気洗濯機,冷蔵庫,掃除機3種の神器
・昭和30年(1955年)●保守合同神武景気始まる●家庭電化時代の到来


                                        (出典:内閣府)
現在88歳の人の新卒(大卒)当時昭和30年の公務員初任給は、8,700
円、
その後、神武景気の超インフレで、5年後の昭和36年には公務員初任給は
約3倍の10,800
円にはね上がった。
ラーメン40円が50円に、喫茶店のコーヒー50円が60円に、映画館130円が
180円に 新聞購読料330円が390円に。給与や物価の上昇が景気を拡大した。


・昭和31年(1956年)高度経済成長期
・昭和34年(1959年)皇太子ご成婚
・昭和35年(1960年)池田内閣の所得倍増計画●安保闘争もはや戦後ではない」宣言
・昭和39年(1964年)東京オリンピック ●東京新幹線開通 ●海外旅行解禁
・昭和40年(1965年)●初の証券不況
・昭和41年(1966年) ●初の赤字国債の発行
・昭和45年(1970年)大阪、日本万国博 団塊世代」の社会人デビュー

● 戦後経済が、軌道に乗った後に登場した戦後生まれの「団塊世代」は、
終戦
後、兵役から帰郷した若者たちが、結婚後生まれた、全く戦争を知ら
ない戦後
生まれ第1期(1947~49年生)のひとたちだ。しかもその
数700万人、
3年間で700万人の子供が生まれたのだから,政府も役場
もさぞかし大変だっただろう。

団塊世代」の命名者は、当時、経済企画庁官僚の堺屋太一氏だった。
彼らの親世代は、戦争被害で生活に余裕がなく、若者たちは、自分で生計
立てることを迫られていた。

その団塊世代を会社の直接上司として指揮したのが、戦後昭和30
年代に
社会人デビューした昭和一桁生まれの人達だった。この世代はいま
既に90歳
に、そして団塊世代は75歳になる。


                                (出典:日本経済新聞)
しかしながら、右肩上がりで急成長する戦後高度経済の中で、仕事は増え
続け
頑張れば報われる」という実感がみなぎり始めた。新しい仕事につ
いても自から
開拓したという自負心が旺盛だった。
振り返れば、この世代は、子供たちの事は、全て女房任せ、それが当時の
日本では、常識とするところだった。

しかしそれを不満とも思わず受け入れ、社畜の如く働き続けた人的パワー
の集積
が、戦後日本の再興を早めたと言われる。いみじくも当時一世を風
靡したコマー
シャルのフレーズは「オー猛烈!」だった。

・昭和46年(1971年)ニクソンショック
・昭和48年(1973年)田中内閣の列島改造計
・昭和50年(1975年)初のサミット開催 赤字国債の発行の常套化

⚫️日本経済が急速に回復する中、団塊を引き継いだのが 「新人類世代
(1950年後半から1964年生まれ)である。ちなみにこの世代は、いま65歳
をこえる。

経済が成長し家庭の所得が大きく伸びる過程で、雇用や消費や教育が急速
改善し一時期、憂慮された学生運動は影を潜め、政治的に無関心な若者
「新
人類世代」が増えていった。
・昭和55年(1980年)バブル景気始ま 為替235円から120円に(円高)
・昭和56年(1981年)政府3公社(JT,JR,NTT)の民営化
・昭和60年(1985年) ●プラザ合意

  

やがて「新人類世代」の彼らが活躍する頃には、日本は 「ジャパンアズ
ナンバー1.
の評価が世界的に広まり、国際的な地位を築いていった。
ビジネスの仕組みも、いち早くPDCA(計画、実行、評価、改善)と言う科
学的な
方策を 取り入れ「猛烈からビューテイフル」に変容していった。
戦後から僅か30年の間で、いろいろ思考錯誤しながら、世界の新しい兆候
をつ
かみつつ、日本経済を世界経済の潮流の中にオンラインしたことが
功の要因だった。


                  (出典:日本経営合理化協会)

■■大変な時代
⚫️こうして戦後の日本を一瞥すると、昭和の後半は「昭和一桁世代」次い
で「団塊世代」[新人類世代」と日本経済を構築してきた。

再建成功の要因は、まず平和だった事。1度も戦争に見舞われなかったこと
が大きい
戦後世界で、戦禍に遭わなかった国は、世界193国のなかで、わ
ずか8ヶ国と言われる
から、これは快挙と言っていい。

戦後76年「戦後昭和」を皮切りに、日本を世界の最前線に位置づけたの
は、このような日本人のひたむきの
努力と新しい開発の取り組みだった。
ただ世界は経済の危機をのり超えるたびに、先進国も後進国も、新しい生
き残りをかけての、猛烈な挑戦が
始まる。
企業では[仕事は会社から与えられるのではなく自分で生み出すもの」と
いう意識の
変化が定着した。そして在籍年数に関わらず、能力あるものが、
昇進する制度が定着しつつある。

何もかも世界基準という事で、ボーダレスな世界市場での公正な挑戦が、
常識になりつつある。「戦後昭和」を牽引してきたとはいえ、こんなに至近
に高度な
市場経済社会が到来するとは、思いもよらなかったと言うのが実感
である。

(出典:NHK世論調査2018)

今にしておもえば「昭和」は確かに遠い存在になりつつある。しかし
いささかでも昭和を知る世代は、今もなお昭和を懐かしみ支持する。
一方 平和を目指して協調を模索する世界は、時として大国の覇権に揺れる。
それを未然に防ぐには、貧困や格差の是正は当然の事、世界全体による地
球規模の協働が求められている
世界を同時に襲った今回のコロナパンデミックは、まさに天が、地球人に
垂れた尊い教訓と思いたい。世界の明日は、なお不透明感はぬぐえないが、
改めて地球規模の協働の大切さを教えてくれた。

最初の大阪万博を企画した評論家の堺屋太一さんは、昭和が終わり平成
を迎えた1995
年に著書「大変な時代」を上梓して、経済や政治の世界で、
従来の知識
や経験では測れない常識破壊の時代がやってくると警告した。
そしてそれによって「大変な時代」から「おもしろい世の中」へと変って
ゆくと予言した。
あれからほぼ30年がたつ。ご本人は既に他界したが、デジタル化の台頭
で、産業分野はもとより社会生活でも極度の情報化が進み、面白いほど世
の中は変容した。
余りにも早い変化のせいで古くて近い過去も、つい忘れがちである。
世界経済はGAFAが牛耳じ、政治は脱炭素を標榜してグリーン社会の実現
を目
指すという。世界市場では政治を排して貿易の一元化が進みつつある。

■「戦後の日本経済の動向日本のGDP成長率の推移


                      (出典:ニッセイ経済研究所)

宗教学者の磯前順一さんは 著書「昭和平成精神史」講談社刊)の中で
次のように戦後昭和を分析している。
敗戦から70年以上がすぎ 元号も2度改まって、いよいよ昭和も遠く
なりつつある。もはや「戦後」ではないという宣言からかぞえても既に
60
年以上が経った。しかし私たちが生きているのは、今なお「戦後」な
ではないだろうか。
毎年 戦後何年になるかを数え、ことあれば「戦後初」をうたう。私たち
が生きている時間は,つねに戦後を起点とし「戦後」に規定されている。
これはいったい何を意味しているのだろうか。令和の時代を迎えても加速
する一方の「息苦しさ」「生きずらさ」は、実はこの「終わりなき戦後」
終わらなさにこそ 原因があるのではないか。ーーーー」
日本の戦後史に詳しい磯崎さんのこの発言は「日本は未だ「戦後昭和」を
超えていない。否、超えようとしていないのではないか」との厳しい忠告
に写る。
「戦後昭和」が、戦後の新しい日本の歴史の素晴らしい起点だったと、語り
草になる日が来ることを 期待してやまない。                                 (Yama)

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