![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/15/1e248d1b700643cfc30abca5e3e1a22b.png)
■■■■■■■■■■■光陰礼讃■■■■■■■■■■■
、の
北條俊彦
経営コンサルタント・前 住友電工タイ社長
■■「伝承の美と心」(泉屋博古館)
⚫️「泉屋博古館(せんおくはくこかん)」は、京都東山の麓左京区
鹿ヶ谷[住友有芳園(ゆうほうえん)]の向かいに位置し,住友家が収集
した美術品,工芸品を収蔵展示する美術館である。
世界有数の青銅器コレクションとしても広く世に知られている。
東京都港区六本木にも泉屋博古館東京があり,絵画(西洋・日本)など
美術工芸品が多く収蔵されている。
また住友有芳園は,元々住友家の別邸であったが,現在住友グループで
維持管理されている。一般に公開はされていないが, 住友社員であっ
たことから私は何回か拝観させて頂いている。
JICA研修プログラムでも7カ国の研修員を案内し,新緑の庭園を楽し
んで頂いたこともあり,東山を借景とした庭園は実に美しい。
写真撮影は自由なのだが,SNSへの私用掲載は許されておらず紹介で
きないのは残念である。機会があればご案内したい。但し、現在有芳
園は耐震化改修中で、2023年5月7日迄閉館になっているようだ。
⚫️「泉屋博古館]の名は、中国宋代の古銅器の図録「博古図録」
に由来し,住友家の屋号「泉屋」を冠することで住友家収蔵の青銅器
類を展示する施設であることを示している。
コレクションの一つ一つから歴史の息遣いを感じることができ,我々
を雄大な太古の世界へと誘ってくれるのである。実に素晴らしいコ
レクションである。
■■[家祖業祖,泉屋住友家の偉業」
⚫️住友家は桓武天皇の曾孫高望王22代目,室町将軍家に仕えた 住友
忠重を始祖とする。以来,住友家は足利義晴,今川義忠,中川清秀,柴田
勝家,結城秀康などの武将に仕え戦国時代の武家興亡の激しさの中を
生き抜いてきた。
しかし,住友長行の時代にその子供達に武家から足を洗わせることに
なるが,長行の二男政友は日本の涅槃宗の開祖空源に従って仏門に入
り、「文殊院空禅」と称している。
寛永年間、涅槃宗が天台宗に吸収されたのを機に,政友は野に下った。
仏道は貫きつつも,書籍と医薬品“友魂丹”を商う「富士屋」を開業す
るのである。これが「町人・住友家」の興りと云われる。
⚫️前稿でも住友家には「家祖」と「業祖」の二人がいることを述
べさせて頂いたが,家祖は住友政友、業祖は蘇我理右衛門である。
業祖蘇我理右衛門とは政友の妹婿で「泉屋」の屋号を用いる銅師で
あった。政友の涅槃宗時代の檀家でもあり,政友の「富士屋」開業で
は物心ともにおおいに支援をしている。
後に政友は,娘婿として蘇我理右衛門の長子理右衛門友以を迎えた。
この住友友以が「泉屋住友家」を起こし,水運に適した大坂に進出
し、以後代々,大坂で銅商を営むことになる。
住友家が精銅を生業とすることになる端緒は,蘇我理右衛門が1591年
に泉州堺を訪れた明人の白水から「南蛮吹き」と称される 精錬法を
学んだことに始まる。
粗銅には金や銀が含まれていることは, 当時の日本では知られておら
ず,分離する精錬技術も未知のものであった。白水から学んだ精錬技
術は金や銀に分離できるものであり,住友家はその精錬技術を習得し
秘伝とした。南蛮吹きで粗銅から取り出した金や銀によって 住友家
は莫大な富を得る事になるのである。
⚫️友以の孫、友芳の代には1691年伊予の国別子銅山の開掘に着手し、
世界最大級の産出量を誇る銅山に成長させるのである。以来,銅事業
が住友家の重要な事業の柱となり友芳は「住友中興の祖]と云われる。
御一新では,明治政府による別子銅山取り上げの危機に瀕したことも
あったが住友財閥として 近代国家日本の興隆を根底から支え続ける
事になる。
住友財閥において住友家(特に 15代目吉左衛門友純以降)は,
「君臨すれども統治せず」 の立場をとり, 個々の事業には口を
差し挟むことをしなかった。
住友本社(住友合資会社)総理事が財閥経営の最高権力者として手
腕を振るったが,初代住友総理人広瀨宰平(近江出身) 二代住友総理事
の伊庭貞剛(別子銅山中興の祖、企業の
社会的責任の先駆者、近江出身),六代目小倉正恆など錚々たる名経
営者に恵まれ,住友家は確実に家業を発展させてゆくのである。
⚫️歴代の住友吉左衛門は「家長さま」と呼ばれ,総理事から一般社員
に至るまで広く敬愛されている。また 歴代吉左衛門も文化事業を通
じて住友の名を高め,家長・財閥本社社長として企業倫理の引き締め
を任としている。
大東亜戦争敗戦後,三井,三菱などと同じくGHQにより 財閥解体の憂
き目にあうが,以降現代日本に至る住友グループの活躍の歴史につい
ては皆さん良くご承知のことでありここでは敢えて割愛させて頂き
たい。因みに,住友家十八代目当主は,住友電工に勤めておられる。
今年65歳を迎え,最近ほんの少し昔を振り返る事があるが,実に“良
き会社、良き仲間”に恵まれたものと、今,改めて思う。
住友電工において,座学や企業活動において教えられてきた住友の事
業精神や経営理念は,今も鮮やかに心の記憶として残っているのであ
る。
■■「住友の社訓」
⚫️住友の社員,或はそうであった方々ならば以下の言葉は確実に記憶
されているものと思う。“企業人としての矜持を正し,保ち”そして,国
家国民のためにしっかりと “経営の王道を歩め”との 先達からの
戒めの言葉である。
(1)「萬事入精(ばんじにっせい)」
(2)「人材(財)の尊重」
(3)「信用確実」
(4)「不趨浮利(ふすうふり)」
(5)「自利利他、公私一如」
(6)「企画の遠大性」
(1)「萬事入精」とは,初代政友(家祖)が商人の心得を示した書簡
「文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)」の前文「商事は不及
言候へ共、万事情(精)に可被入候」を典拠としており,
「何よりも先ず人間を磨き,人格豊かに成熟させ一人の人間として何事
にも誠心誠意を尽くす人であれ.」と教えられた。
(2)また「人材(財)の尊重」は, 住友家の伝統的精神である「事
業は人なりの精神」により,優秀な人財の発掘と育成こそが歴代経営
の最重要事項として継承されてきているのである。
(3)(4)は「文殊院旨意書」を基に住友の先人達が何代にも亘り
磨き続けられてきたものを,近代に入り制定された「住友家家法」
の中でその要諦を「営業の要旨」として二箇条に纏め,住友の事業精
神として今日まで確実に継承されてきている。
それは下記の通りである。
「営業の要旨」
第一条:「信用確実」 即ち,常に相手の信頼に応えること。
第二条:「不趨浮利」 即ち,社会の変化に迅速,的確に対応し 常に事
業の興廃を図る積極進取の重要性を意味する。また 常に公共の利益
との一致を求め, 道義にもとる不当な利益を求めて 軽率, 粗略に行動
する事を厳に戒めている。
(5)その他「自利利他、公私一如(じりりたこうしいちにょ)」
とは、二代目総理事伊庭貞剛の「住友の事業は住友自身を利すると
ともに、国家を利し社会を利する底の事業でなければならぬ.」との
言葉に代表されるように 常に,公益との調和を図る経営姿勢は、近江
商人の流れを汲む住友の伝統であり、その根底には「社会への報恩」
の精神が宿っている。
(6)最後の「企画の遠大性」とは 将来を見据えた長期的な視点、
国家・社会全体の利益という大所高所の視点で 経営を計るべきだと
歴代経営者に一貫して受け継がれてきたところである。
⚫️是らは,正に国家経営の基本でもある。
住友家がそうであったように江戸期以降、我が国の企業家達が日本
人としての品格と矜持を持ち,常に経営の王道を歩みつつ国家の興隆
と国民の安寧を支えてきたことは明確な事実である。
現代においても、我が国の企業経営の本分は,「ヒトは財(たから)
であり,ヒトの善なる性により本業を通じて世の中(社会)に役立つ事。
即ち,社会的価値を創造し提供する事で、世の中(社会)を良くする
こと(世直し)」だと信じる。
しかし,戦後80年長きに亘る時代の経過と変化により企業人の価値
観が良くも悪くも大きく変化してきたようだ。
⚫️ユーモアあふれる“サラリーマン物小説”を多数発表し「サラリー
マン小説の第一人者」と言われた“源氏鶏太”は,住友合資会社 (1937
年に住友本社に改組)に入社、経理課長代理にまで昇進されている。
戦後の財閥解体では住友本社の精算事務(財閥解体)を担当し 爾来
サラリーマン時代は経理畑を歩んで来られた。
彼の作品では「三等重役」が私は好きである。映画化(東宝)され
森繁久彌が浦島人事課長を演じている。戦後GHQによる公職追放で
一流の経営者が全て追放され、三流社員が昇格してなった(無能な)
経営者を三等重役と表現している。
三等重役である社長に翻弄される 人事課長の苦労を通して,GHQの思
惑通り“小人, 道を知らずして迷走する”が如き三等経営に堕落した日
本の企業の実態をユーモア溢れる表現で描いているのだ。
“小人割拠し国将に滅びんとする“今も政治家の堕落と腐敗は続いてい
るようだが,企業の方が少しマシであろうか?
「この国,本当に大丈夫なの?」家内の言葉である(笑)。
“温故知新”、新しき価値の創造を求めて後半の我が人生、心豊かに
生きて行きたいものである。
■■■■■■■■■■関連資料■■■■■■■■■■
■■「戦後,日本の歩み」1)(戦後の財閥系企業)
⚫️戦後の3大改革とは、経済民主化のための
・「財閥の解体」
・「農地の改革]
・「労働改革]だった。
戦前までは、日本の財閥が日本経済の大きな推進力となっていたが、
戦争推進の国家権力に加担したとして,戦後の「4大財閥解体」に
なった経緯がある。
当時の日本の財閥は、日本の巨大な企業グループと見ていい。
戦後の財閥解体後も、これらの日本の巨大な企業グループは、戦後
日本経済の推進力として、大きな役割を担ってきた。
⚫️ここで日本の4大財閥と所縁ある主な関連企業について触れたい。
1)住友財閥系の主な関連企業)
・住友商事
・住友電工
・住友化学
・日本板硝子
・日本電気
・明電舎
・東海ゴム工業 など
2)三井財閥系の主な関連企業)
・三井住友銀行
・トヨタ自動車
・東芝
・東レ
・サッポロ
・三越 など
3)三菱財閥系の主な関連企業)
・三菱UFJ銀行
・三菱商事
・キリンホールディングス
・ニコン
・日本郵船 など
4)芙蓉財閥系の主な関連企業)
・みずほ銀行
・明治安田生命
・帝国繊維
・安田不動産など
■■「戦後,日本の歩み」2)株価の推移)
■■「戦後,日本の歩み」3) GDPの推移)
■■「戦後,日本の歩み」4) 経済の推移)
■■[戦後,日本の歩み」 5) 人口の推移)
(図説の出典:1)日興アセット、3)ニッセイ基礎研究所)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます