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レンブラント展

 名古屋市美術館で開かれている「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」を見に行ってきた。


 レンブラントと言えば、かつてこのブログで何枚もある彼の自画像を集めたことがある。その時以来、もしレンブラント展が日本で開かれたら、ぜひ行きたいものだと思っていただけに、やっとその思いが叶ったことになる。
 今さっき美術館のHPを見たら、この展覧会の概要が次のように説明されていた。

 『レンブラントの魅力―それは何といっても光と闇の圧倒的な表現力です。この展覧会は、天才レンブラントが極めた明暗表現のすばらしさを伝えるべく企画されました。レンブラントは生涯を通じて、白と黒の芸術である銅版画に取り組み、明暗表現の可能性を追求しました。代表作である《病人たちを癒すキリスト》の高い完成度は、もはや版画の限界を超えた神業の域に達していると言ってよいでしょう。展覧会には93点の版画が展示され、中には、当時まだオランダに輸入されたばかりの貴重な和紙に刷られた作品が含まれています。そして、レンブラントが得意とする肖像画を中心に、11点の油彩画が展示されます。像主の威厳や憂いまでも表現する、光と影の巧みな演出は、静かな感動を呼び起こします』

 これを先に読んでおくべきだった・・。展示室に入って出るまで、その9割以上が銅版画だった。レンブラントがこれほどまでに銅版画の名手であったことをまるで知らなかった私は、少々面食らってしまった・・。黒と白ばかり・・。日本の浮世絵のように多色刷りではなく、モノトーンの版画であるため、如何に余白を明るい面として使うかに心を砕いたかが、見ていくうちに伝わってきた。光の魔術師とも呼ばれるレンブラントは、こうやって光を自分のものとしていったのかな、と分かったような感想をもてたのも自分としては嬉しかった。
 しかし、全体としての印象は、「これくらいだったらわざわざ見に行くまでもなかったのかな、向かいの科学館で開催されている恐竜展見に行った方が良かったかな・・」、という実も蓋もないものだった・・。でも、せっかくだから記念品を一つくらいは買っておこうと、自画像がプリントしてある葉書を買った。


 「私は恐竜の方がいいって言っていったのに・・」
 「絵はやっぱりダメだわ、私・・」
 美術館を出て、ブツブツ言う妻に、「じゃあ、来週の日曜は恐竜展だな」
と言ってみたら、
 「でも、『大鹿村』も見に行きたいんだけどなあ・・」
 「8月になるからお千代保さんにも行かなきゃねぇ・・」

 さあ、どうする?
 1週間ゆっくり考えよう!!

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若冲の水墨画

 「若冲ミラクルワールド」という番組が、昨日15日の正午から6時までNHK・BSプレミアムで放送された。これは4月25日から4夜にわたって放送されたもののアンコール放送だったが、私は、本放送も再放送も放送時間を知らずに録画することができなかった。その内容は、
 第1回:「色と光の魔術師~“奇跡の黄金”の秘密に迫る~」
 第2回:「カタチに命を吹き込む~細密表現と視覚のトリック~」
 第3回:「“国際人”JAKUCHU~千年先を見つめた絵師」
 第4回:「黒の革命~水墨画の挑戦者~」
とのことだが、昨日は塾があったため、第2回の始めと3回の終わり、それと4回目の半分くらいしか見ることができなかった。しっかり予約しておけば何も心配なかったのに、後回しにして結局録画できなかったのだから、大失敗だった・・。
 しかし、ほんの少しだけでも見られたのは、よかった。特に4回目の中で、TV初公開の、鹿苑寺大書院障壁画・五十面を見られたのは本当に幸せだった。折しも 3月19日から5月10日まで相国寺承天閣美術館で、『若冲水墨画の世界』が開かれていて、大書院障壁画・五十面が一挙に公開されていたのは知っていたが、とても見に行くことができず、涙を飲んでいただけに格別の喜びがあった。
 番組では、CGを使って、墨で描かれた襖絵50枚が実際にたてられた様を再現していたが、極彩色の鳥獣を描いた絵師というイメージの強い若冲が、水墨画にも秀でていたことがよく分かり、溢れんばかりの才能で多くの傑作を生み出したんだなあと、痛感した。
 と同時に、このブログにその障壁画を再現できないだろうか、と欲張った気持ちが起こってきた。いつでも鑑賞できればいいのに・・。そこで、試しに承天閣美術館のHPに行ってみたところ、なんと全ての襖絵の画像があった。ラッキーと思いながら、借りてきたので、以下に展示してみる。



 

 

 

 



①狭屋之間 竹図襖絵
②四之間 秋海棠図襖絵
③四之間貼付 双鶏図
④四之間 菊鶏図襖絵
⑤三之間 芭蕉叭々鳥図襖絵
⑥三之間 月夜芭蕉図
⑦三之間 芭蕉叭々鳥図襖絵
⑧二之間 松鶴図襖絵
⑨二之間 松鶴図襖絵
⑩一之間 葡萄図襖絵
⑪一之間 葡萄小禽図

 あ~あ、実物が見たい!!!
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宝石画

 妻の母親は、4月で80歳になった。私の家から車で10分足らずの所に独りで暮らしているのだが、ここ最近とみに体が弱くなり、このまま独り暮らしを続けさせてもいいか、妻の妹夫婦を呼んで義母も交えて話し合った。あれこれ話すうちに、火を使わずに暮らせるよう、配食サービスを受けることなどを決めたが、義母も自分の心身が弱まったことを自覚してるのか、形見分けのようなことをいくつか口にした。今までだったら私たちの忠告など聞く耳を持たなかった義母が、私たちの意見を素直に聞いた上、己の身の始末をつけるようなことを言うので、反って心配になったが、くれるという物はもらっておこう、といくつか家に持ち帰った。その中の一つが、これ・・。「花」という題がついている。


 美術品と見れば、何らの価値もないような凡庸な構図だが、宝石を使って表現したものだと知ると見方が違ってくる。「虎目石」「赤メノー」「クリソ」「紅水晶」「アメジスト」「ガーネット」「トパーズ」「ソーダライト」「十勝石」が使ってあると説明書きにはある。どれがどの宝石なのか、皆目検討がつかないが、美術的な価値は云々せずにもらうことにした・・。
  

 妙な成金趣味が漂っていて、どこに飾ったらいいのか迷う。しかもかなり大きくて重い物なので、飾る場所が限られる。とりあえず、私の部屋に置くことになったが、このまま人の目にふれずに埋もれてしまうかもしれない。
 さすがにそうなっては、義母にも申し訳ないので、せめて少しでも多くの人に鑑賞してもらえるよう、このブログに写真を載せることにした。

 あくまでも私の趣味ではないので、そのあたりはよろしく・・。
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ポンペイ展

 15日の日曜に、名古屋市博物館で開催されている「ポンペイ展」に行ってきた。 


 少し前から妻が「行きたい」と繰り返していたので、付き合った形になるのだが、私としてはあまり気乗りがしなかった。もっと他にいい展覧会はないものかと、美術館をいくつか調べてみたが、誘われるようなイベントは開催されておらず、仕方なく出かけてみた。
 何故気乗りがしなかったのかは、会場に入っていくつかの展示物を見たらすぐに分かった。
「西暦79年、ヴェスヴィオ山の大噴火によって、厚い火山灰の下に埋没したポンペイ。このポンペイからの出土品を中心に、日本初公開を含む壁画・彫刻などおよそ250点を紹介。奇跡の街がここに甦ります」
と、パンフレットには書かれているものの、2000年ほど前のイタリアの都市に暮らしていた人たちの生活の様子など、余りに時空が離れ過ぎていて、どの展示物を見ても心に訴えかけてくるものがまるでなかった。確かに歴史的には価値あるものばかりなのだろうが、自分とつながるものをどこにも発見できなかったから、面白くないのも当然のように思えた。彼の地で展示されたものを見るのなら、それなりの感興は浮かぶかもしれないが、なにせ真夏の名古屋ではどうにもならない。いくら想像力の豊かな人でも、ここまでかけ離れていると、些かのシンパシーも持てにのではないだろうか・・。しかも思ったほど展示物が多くなく、あっという間に見学が終わってしまった。
「つまらなかった・・」
と私が素直な感想を述べたら、妻も「まあ、そうだね・・」と同意した。
「釈迦堂の方が何倍もよかったよなあ」
「何倍もってのは言い過ぎな気がするけど、縄文土器や土偶の方が見ごたえがあった気がするわねえ・・」
やはり縄文人の生活ぶりの方が、ポンペイの人々の暮らしぶりよりも興味が湧く。昔は西洋かぶれなところがあって、ヨーロッパ文化の優越性を認めていた私ではあるが、この年になると己と繋がりが感じられないものには、観賞する気さえ起らなくなってきたようだ・・。

 だが、唯一「いいな」と思ったのがこれ。


 イルカをモザイクで表したもの。実物はかなり大きなものであったが、絵葉書になって売っていたので買ってみた。それと、シールも。これはPCに貼ってみた。


 クピドの絵。可愛らしいのかよく分からないが、4cm四方の小さなもので、これでなんと500円!!ちょっと高すぎない?
 まあ、買ってしまうバカがいるから商売も成り立つのだろうが・・。

 
 
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『絵心教室DS』

 任天堂DSを久しぶりにひっぱりだしている。「絵心教室」というソフトで遊ぶためだ。遊ぶといっても、結構本格的に絵の描き方を学べるようで、ゲームという枠を超えてしまっているような気さえする。

『絵心教室DS』は、デッサンの基本から、遠近法などの応用テクニックまで学ぶことができる絵画レッスンソフト。本作には風景画や静物画、デッサンで様々なモチーフを描くといったバリエーション豊かな10種のレッスンを収録。レッスンでは、先生の説明と手本によって、少しずつステップを踏みながら進んでいくことができる。説明に関しては、難しい専門用語を使わずに簡単な表現で絵を描くためのポイントを分かりやすく解説してくれるので、初心者にもやさしい作りとなっている。

との解説を読んでもその奥深さが伝わってくる。
 私は絵を描くことが得意ではない。小学校の通知表で唯一3をとったことがあるのは図工で、どうにも苦手意識を払拭できなかった。長じても、私の描く絵など何が描いてあるのか他人には伝わらず、そのたびにもう二度と絵など描くものかと思ったものだ。そんな私でも、上手く描けたらいいなと思わないでもない。元々絵は嫌いではないから、できればうまく描きたい。塾にも上手に絵を描く生徒が何人かいるが、彼らがささっと描くのを目にすると、羨ましくて仕方ない。
「俺だって!」
と意地をはってみたって結果は笑われるだけだから、生徒たちの目の前では、畢生の名作「おばけのQ太郎」くらいしか描いたことがない。だが、密かに「絵心があったらなあ・・」とは思い続けてきた。
 そんな私が『絵心教室DS』のテレビCMを見て、自分にもフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の絵が描けるようになるかもしれない、と思ったら、どうしたって試してみたくなる。何の躊躇いもなく、すぐにソフトを買ってきた。

 だが、なかなかレッスンが進まなかった。と言うのは、『絵心教室DS』と一緒に妻が『トモダチコレクション』を買って、ずっとそれで遊んでいて、一台しかないDSをなかなか使わせてくれなかったのだ。それでもなんとか、間隙をぬって、今までに4つのレッスンを終了することができた。レッスンが終わるたびに、完成した作品を展示するコーナー(マイギャラリー)があって、今までに4枚の絵がそこに飾られている。それを写真に撮って、以下に載せてみる。自分で言うのもおこがましいが、なかなかの出来栄えだと自負してる・・。
 
レッスン1:基本Part1「絵心教室DSの入門レッスンです。簡単な鉛筆画を行います」


レッスン2:基本Part2「絵具や鉛筆に慣れるための簡単なレッスンを行います」


レッスン3:木「鉛筆と水彩セットで絵を描きます。モチーフの線の動きをとらえましょう」


レッスン4:洋梨「静物画を描きましょう。シンプルな線からはじめて、ディテールをつけていくという少し高度な鉛筆画の技法を習いましょう」



 「真珠の耳飾りの少女」が描けるようになるまでには、かなりの修行が必要なようだが、なんとか頑張ってみたい。

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ルーヴルキューブ

 娘が卒業旅行で買ってきてくれたお土産が送られてきた。ルーヴル美物館で買ってきてくれたルービックキューブ(私は勝手に「ルーヴルキューブ」と名付けた)。とは言っても、ただの昔懐かしいものではない。キューブの6面にルーブルが所蔵する美術品の写真が貼られていて、遊び道具というよりは飾っておきたくなる代物だ。たぶんルーヴルを訪れることなく朽ち果てるであろう私には宝物となるであろうこのルーヴルキューブがどんな美術品で彩られているのか、写真を撮って紹介したいと思う。

 ②

 ④
  
 ⑥


 箱の中に入っていたフランス語の小さな説明書と、ネット検索によって調べたところによると、①は言わずと知れたレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」。②はサンドロ・ボッティチエリの「三美神を伴うヴィーナスから贈り物を授かる若い婦人」。③はギリシア神話で勝利の女神の彫像である「サモトラケのニケ」。④はアントニオ・カノーヴァ作「アモールとプシケー」 。⑤はフラ・アンジェリコの「受胎告知」。そして⑥がイポリット・フランドランの「海辺に座る裸体の青年」。
 この6作品を眺めていると、時代もモチーフもばらばらな気がするが、こんな一部分だけではなく全体像を見てみたくなるのはすべて共通している。そのためにはルーヴル美術館を訪れるのが何よりだろうが、そんな暇とお金のない私のような者はルーヴルのHPを逍遥してみるのが一番手っ取り早くい方法だ。それだけでも結構堪能できる・・。

 ルービックキューブが得意だと自負する高校生に、この「ルーヴルキューブ」を見せてやったところ、「色でどうすればいいか判断していくから、これはちょっとやりにくいかもしれない」と言ったので、もし万一元通りにならないと困ってしまうので、彼に試してもらうかどうか、今のところ踏ん切りがつかないでいる。
 やっぱり娘からもらった宝物として保管しておくべきだな・・。
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小林かいち

 日曜日の朝、何気なくNHK教育TVにチャンネルを合わせたら、「日曜美術館」が終わりかけていて、展覧会の案内をしているところだった。いつもならすぐに違う番組にチャンネルを変えてしまうが、その時は画面に映し出された絵に思わず見入ってしまった。


 ニューオータニ美術館で8月23日まで開かれている「謎のデザイナー 小林かいちの世界」の案内だった。「謎の」という言葉が妖しく目に留まったが、私は「小林かいち」なる人物はまるで知らなかった。だが、初めて見た彼の絵は一瞬で私の心を捉えた。竹久夢二を髣髴とさせるが、より現代的・都会的な印象を受ける。女性には顔の造作が描かれていないため、謎めいた雰囲気が漂い、彼女に関して様々な憶測が広がる・・。刺激的な絵だ。
 今回の展示は、『大正時代の後期から昭和初期にかけて、絵はがきや絵封筒のデザインを数多く手がけた京都のデザイナー、小林かいち(本名:嘉一郎、1896~1968年)の、謎に包まれた生涯と作品を大々的に紹介する、東京では初の展覧会となる』のだそうだ。少し調べてみたが、小林かいちは、近年その存在が注目され始めたばかりで、未だに経歴や作品の全貌は明らかになっていないという。また、かいちは画家ではなかったため、今回の会場に展示される作品も、当時実際に販売されていた絵封筒や絵葉書、木版画が中心となっているとのことで、調べるうちに私も美術館まで見に行きたい思いが募ってきた。
 だが、開催期間が夏休み中ではどう考えても無理な話だ。残念で仕方ないが、こればかりはどうしようもない。潔く諦めるしかない。ただ、その無念さを少しばかり晴らすために、ネット上で彼の手になるデザイン画を何枚か集めてきて、このブログに貼っておくことにしようと思う。

  


 


   


 


 名古屋で展覧会が開かれればいいのに・・。
 でも、どうして惹かれるのかなあ。
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レンブラントの自画像

 10月6日、NHKハイビジョンで『特集 天才画家の肖像「レンブラント 自画像が語る光と影」』という番組が午前9時から放送された。たまたまチャンネルを合わせたら始まったところで、レンブラントが描いたといわれる自画像が次々と画面に現れて、さながら彼の生涯を早送りで見たような思いがした。HPを見たら、番組の趣旨が次のように書かれていた。

 2006年は、レンブラント生誕400年の記念すべき年だ。オランダの至宝といわれる「夜警」をはじめ、光と影によるドラマティックな絵で名をはせる巨匠レンブラントは、生涯に驚くほど多くの自画像を描いた。番組では、これら自画像をはじめとする代表作を中心に紹介しながら、レンブラントの最大の特徴である明暗法の秘密や、独特の荒描きの描写手法など、さまざまな角度からレンブラント作品の魅力に迫る。

 一年ほど前、娘がオランダへ旅行に行ったとき、レンブラントの「夜警」を見たいと言っていたのをこのブログでも書いた記憶がある。その時はフェルメールがマイブームだったため、娘に「フェルメールの絵画を一点でも見てこいよ」と言ったものだが、レンブラントも気になる画家であった。彼の作品も一度はこの目で見たいなと思っていたから、あれこれ検索してみたら熱海のMOA美術館に自画像が一枚展示されているのを知った。それなら、光琳の紅白梅図屏風と合わせていつかはぜひ見学に行きたいと思ったものの、いったいいつになるやら・・。それまでは、ネット上で見つけることのできるレンブラントの自画像を集めてきて、鑑賞眼を少しでも磨いておこうと思う。

  

  

  
 
  

 1段目左から、23才、23才、24才  2段目左から27才、28才、34才
 3段目左から、52才、53才、55才  4段目左から56才、60才、63才
 これ以外にも近年真作だと認定された次の自画像もあるが、何歳の頃のものなのだろう。

 
 
 レンブラントは63年の生涯で60枚近くも自画像を描いたと言われるが、どうしてそんなに多くの自画像を描いたのだろう。私などもう自分の顔を鏡で見るのがいやになってきて、滅多に見なくなってしまったが、年老いた己の姿を克明に描いているその心象はいったいどんなものだったんだろう・・。若い頃ならナルシストとも言えるかもしれないが、老醜を隠せない己からはアイロニーしか思い描けないような気もするが・・。
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オブジェ

 塾の横にある珪砂工場の倉庫、そこのちょっとした空き地に琉球朝顔が咲き始めた。

 

 これだけ見ているなら鮮やかな濃紺の大きな花弁が見事で、なかなかの景観ではあるが、昨年塾舎の玄関口に父が植えた琉球朝顔が夏を過ぎ、秋を過ぎても毎日咲き誇って、寒気を感じ始めた頃でも相変わらずの勢いを保っていたのを見て、その生命力の強さに少しばかり不気味なものを感じて、根こそぎ抜いてしまった。もう二度と琉球朝顔は植えないでくれ、と父に頼んでおいたので、今年は昔ながらの朝顔を鉢に植えて育てている。種を蒔いてしばらくしても芽が出てこなかったため、心配していたが、このところ次々と芽が出始め、今までの鬱憤を晴らすようにぐんぐん成長を始めたので、父が竹で支えを作ってくれた。


 この朝顔なら、夏の風物詩として季節感を味あわせてくれる。しかし、いつまでも枯れずにいる琉球朝顔は、風流心を解さない花のように思えて、本当は上の写真の琉球朝顔も抜いてしまいたいぐらいだが、他所の土地に生えているものであり、そんな酷いことをしたなら逆に私こそ「モノノアハレ」が分からない鈍物になってしまうので、我慢している・・。
 景観として琉球朝顔をどう評価するかは人によるだろうが、最近橋を渡ったところにあるタイル工場に面白いオブジェ(?)が並べられて、近所でちょっとした話題になっている。この工場では、多くの南米人が働いている。一週間ほど前、その中の一人が、工場の敷地と道路の境界にレンガを並べて高さ30~50cmほどの壁を10mほど作った。タイル工場で働いている人にしては、専門家のような腕前でなかなかの出来栄えだ。


 やはり赤レンガというのはいい。大学の校舎を思い出したりして、なぜか郷愁を誘う。よく見れば薄汚いレンガだが、まっすぐに並べられていると颯爽とした感じがしていい。普段は粉塵や騒音を撒き散らす公害企業だが、たまには洒落たこともするものだ、と私なりに高評価を与えていたこのレンガの壁に、2、3日前一風変わった物が並べられた。遠目で見ては何なのかよく分からなかったので、近づいてみた。

  

 魚だ。魚の形をしたタイルだ。黒、白、茶の3種類の魚がずらっと並べられている。特別綺麗なものでもなく、形に工夫がされているわけでもないが、どことなく可愛らしい。何でこんなものを、と思いながら触ってみたら、持ち上げることができた。接着剤などで貼り付けられているのではなく、ただそこに乗せられているだけだ。これじゃあ、道行く人が持っていってしまうかも、と思ったが、持って行って使い道などあまりないだろうし、飾るにもさほど魅力的なものでもないから、そんな心配などしなくてもいいかもしれない・・。
 
 それでも、ちょっと面白い。

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鑑定団

 「開運!なんでも鑑定団」というTV番組がある。普段の放送は塾の授業中であるため見られないが、東海地区で日曜正午から放送されている「傑作選」は時々見る。個人が所有する「お宝」を持ち寄っては、その現代的価値をお金に換算して鑑定していくというお馴染みの番組だ。石坂浩二と島田紳介の絶妙な組み合わせも番組を支えているが、やはり最大の関心事は、出場者の「お宝」が専門家によっていくらくらいの価値があるものと鑑定されるのか、だろう。本人評価額と専門家の鑑定額との開き具合によって出場者と一緒になって驚いたり、失笑したり、いつ見てもなかなか楽しい番組である。何でもお金に換算するのはよくない、などと目くじら立てたりしないで、依頼者になった気持ちでドキドキしながら見ているのも一興である。
 だが、そうしたバラエティー的要素ばかりではなく、美術の紹介という役割も担っているように思う。さほど人口に膾炙していない画家の作品が鑑定に出された際には、その画家について簡単にまとめた映像が流されて、美術に関して知識の乏しい私には、ためになることも多く、私にはちょっとした啓蒙番組だ。ちょうど1週間前に見た「傑作選」でも、古茂田守介という画家の作品が鑑定に出されて、彼の生涯・人となりをコンパクトにまとめたものが流された。それまで全く知らない画家だったが、鑑定に出された絵に興味を引かれた私は、思わず最後まで見入ってしまった。
 彼の短くも絵画に捧げた一生を年表にまとめてみた。

 1918年 愛媛県生まれ。
 1936年 画家への道を進む兄の影響で絵を描き始める。
 1937年 上京し、中央大学法科に入学。兄の紹介で猪熊弦一郎に会う。まもなく猪熊の新制作田園純粋美術研究所に通い始める。
 1939年 中央大学を中退。隣人の紹介で大蔵省に勤める。
 1940年 第5回新制作派協会展に「裸婦」が初入選。
 1941年 日本以外の絵を描くために北京大使館に大蔵省外務書記生として赴任。
 1943年 喘息の悪化のために帰国。
 1946年 大蔵省を退職、画業に専念する。第10回新制作派協会展で新作家賞 を受賞。以後制作を重ねる。
 1950年 新制作派協会の会員となる。日本アンデパンダン展秀作美術展、国際具象派美術展などに出品。
 1954年 結核にかかり、生来の喘息の心配もあり、アトリエにベッドを運び込んでの制作となる。
 1960年 東京、目黒区にて42歳で死去。新制作葬が執り行われた。

 病気がちであったため、室内で静物画を描くことが多くなり、ものの存在感を重厚に描いた。「セザンヌのようになりたい」が彼の口ぐせであったというが、鑑定に出された絵以外にも何枚かの作品が番組で紹介された。その中で、私の目を引いたのが、自分の娘・杏子さんを描いた絵だった。一瞬のうちに画面が変わってしまったので、はっきりとしたことは言えないのだが、一風変わった印象深い絵だった。ネット上にその絵がないかと方々探してみたが、どうしても見つからなかった。その代わりといってはなんだが、古茂田が妻を描いた絵なら一枚見つかった。それが私の印象に残った杏子さんの顔つきとよく似ていたから載せておく。


 私が調べた限りでは、決して歴史の中に埋もれた画家ではないようだ。しかし、こうやってTVが取り上げてくれなかったら、私が鑑賞する機会はきっと訪れなかっただろう。NHK・BSにも「迷宮美術館」という親しみやすい美術番組があり、時々見ているが、楽しみながら勉強になるというのは嬉しい。美術館まで出かける時間がなかなか取れない私には、こうした番組が少しでも増えるといいと思っている。
 
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