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野草を食べる会

 今日、3年ぶりに、『京大野草を食べる会』の同窓会(?)が開かれるとの案内状が送られてきた。今年の正月に頂いた先輩からの年賀状に、今年の夏当たりにどうですか、とコメントが書かれていたので、ある程度心積もりはしていたのだが、7月になっても案内が来なかったので、今年は開かれないものだと思っていた矢先だった。3年前は諸先輩がほとんど参加され、末席を汚した私も楽しいときを過ごさせていただいた。なにせ、私の世代が卒業した後、程なく自然消滅してしまったサークルなので、私が一番若い参加者だったのには笑ってしまった。私より若い会員も何人かいるにはいたが、彼らまで声をかけなくてもいいだろうと先輩達が判断して、私達世代が最年少参加者になったのだった。
 前回は、ちょうどお盆休みと重なり、私もうまく塾の休みと調節できたので参加することができた。その時は、ちょうどSMAPの広島ライブと日程が重なったため、妻は娘と息子を連れて広島まで行き、私は一人で京都へと家族総出の旅という形にはなった。京都までは新幹線で一緒だったので、ちょっとした家族旅行の浮かれた気分を味わったため、一人で京都で下車し、一人でホテルにチェックインしたときは少しばかり寂寥感に襲われた。まあ、それも同窓会の会場で懐かしい顔に会えた瞬間に、吹き飛んだのだけど。
 前回は、20年以上お会いしていなかった先輩も多数みえたので、久しぶりの挨拶を交わすときには、突然老けた顔がいくつも現れたような印象を受け、竜宮城から戻った浦島太郎もさもありなん、といった感慨にふけった。今回は、間に3年はさんだだけだから、さほどの変化は見られないかもしれないが、大部分の先輩が50才台に突入されているから、一層倍老けた顔が集まることは間違いないだろう。
 確かに、この3年で変わったことは、私の身の回りでも多数ある。高校生だった娘が大学生となり、京都で一人暮らしをしているし、息子は高校生となり、大分しっかりした言動が見受けられるようになってきた。子供達にとっての3年はかくも大きな変化をもたらしたのだが、振り返って、私は?と自分に問うてみても、はかばかしい答えは浮かんでこない。やはり、容姿はそれなりに衰えてきているだろうが、さて中身はどうだろうか。
 来月、京都で先輩達に再会するまでに、自分に対する答えぐらい見つけておきたいものである。
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