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追儺

 森鴎外に「追儺」という、節分の豆まき(本編では「豆打ち」)をモチーフにした短編がある。随筆と呼ぶべきものかもしれないが、昨日の節分に改めて読んでみた。今の私と同じ年頃に書かれたもののようで、その内容もなぜだか近しい思いがして、別格とばかり思っていた鴎外が初めて身近に感じられ、思わず「なんだ、鴎外も同じようなものじゃないか・・」などと少々不遜なことを呟いてしまった。その終わりに、次のような一節がある。

 「追儺は昔から有つたが、豆打は鎌倉より後の事であらう。面白いのは羅馬に似寄つた風俗のあつた事である。羅馬人は死霊を lemur と云つて、それを追ひ退ける祭を、五月頃真夜なかにした。その式に黒豆を背後へ投げる事があつた。我国の豆打も初は背後へ打つたのだが、後に前へ打つことになつたさうだ」

 昨日は弟家族がやってきて、双子の姪と甥が豆まきをしてくれた。毎年塾の授業で豆まきができない私に代わって、今までずっと息子が豆まきをしていたのが、今年は東京にいるからできない。どうしようかと妻と話していたところ、運良く弟家族が私の父の誕生日祝いにやってきたので、子供たちに豆まきを頼んだ。


 紙製の鬼の面を大人しくかぶるはずもない甥っ子に豆の入った枡を渡したのが失敗だった。「鬼は外、福は内!」という私の掛け声などまるで聞こえないようで、開け放したサッシから、ざーっと枡いっぱいの豆をすべてひっくり返してしまった。それには苦笑いするしかなかったが、意表をつく子供は面白い。枡の中にもう一度豆を満たしてやったが、キャッキャと嬉しがって同じことを繰り返す。まったくもう・・、とは言いながらも私の頬は緩みっぱなしだった。
 節分と言えば、ここ数年盛んになってきた「恵方寿司」も、弟が道すがら買ってきた。その後で、伯母から「巻き寿司を作ったから持っていく」と電話があって少々慌てたのだが、テーブルが巻き寿司だらけになったのはおかしかった。


 私はビールばかり飲んでいて、ほとんど何も食べなかったが、今年の恵方と言われる南南東を向いて、巻き寿司を黙々と食べていた妻の顔はおかしかった。土曜には地元の神社に厄除けのお祓いをしに行ってきたようで、お下がりの鰯を食べさせてもらった。これで旧年の災いが離れて行ってくれればいいが・・。
 父は戸籍上は2月6日が誕生日だが、本当は3日が誕生日だとずっと言い続けている。ここまで生きてこれたら、そんな1日2日のことなどどうでもいいから、私たちはただ、はいはいと聞いているのだが、今年は3日がうまく日曜と重なった。お祝いに買ってきた長~いケーキにろうそくを立て、双子が「Happy Birthday!」を合唱してくれた。なかなか上手に歌った後で、二人息を合わせてふーっとろうそくを消した。


 さすがに小さな孫に祝ってもらえるのは嬉しいらしく、父の相好はくずれっぱなしだったが、幼い二人が一生けんめい歌う姿をみていたら、私でさえ胸が熱くなった。そんな父を見ながら、来年は数えで喜寿を迎えるから盛大にお祝いしようと皆で話し合った。
 それにしても、父に誕生祝いのプレゼントを買っておきながら、家に忘れてきたという弟夫婦のおとぼけぶりにには、「何しに来たんだ?」と思わず腰が折れそう
になった。ちゃんと落ちをつけるのも心憎い気配りではある・・。
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