毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
THE POLICE
THE POLICE の東京ドームで2月13日に行われたライブを WOWOW で見た。見たというか聞いた。ずいぶん前から THE POLICE が復活して日本で公演するのは知っていたので、WOWOW でその模様が放送されるのを知った時からずっと心待ちにしていた。土曜の夜の放送塾の授業があって見られないため、録画したものを見たのだが、ボーカル兼ベースのスティングとギターのアンディ・サマーズ、ドラムのスチュワート・コープランドの3人ですべての曲をまかない、バックコーラスや伴奏がまったくいないのには驚いた。コンサートと名の付くものには行ったことない私であるから、果たしてこんなステージがよくあるものかどうか明らかではないが、シンプルでありながら重層的な響きを奏でる3人の音楽的クオリティーの高さには驚いた。スティングののびのある歌声は、容姿に多少の老いは隠せないものの、かつて私が親しんだ頃とほとんど変わっていない。ギターのアンディ・サマーズが中年太りした印象と比べれば、筋骨隆々としたスティングは56才とは思えないほどのマッチョでかっこよかった。
「Message in a Bottle」から始まったコンサートは、東京ドームに行かなかったことを後悔させるのに十分な迫力があった。よりによって私が一番忙しい時期に来日しなくてもいいのに・・、と少しばかり恨めしく思ったが、こうやってTVで見られたのだからまだ幸運だ、とあきらめることにした。次々と演奏される曲すべてが口ずさむことのできる曲ばかりで嬉しくなる。私が一番好きな「Wrapped around Your Finger」がステュワートの見事なアレンジで流れ始めたときには全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。すごい・・・。その後はもう、3人の奏でる魔力に身を任せているだけで、あっという間に最後の「Every Breath You Take」までたどり着いてしまった。東京ドームに詰め掛けた多くの聴衆たちもの過ごした濃密な時間を思うと、またまた羨ましくなったが、TVで見ても十分満足できた。
私とTHE POLICE との因縁は彼らが初来日した1980年まで遡る。彼らは2月20日になんと京大西部講堂でコンサートを開いた。当時学生で、西部講堂付近のクラブボックスを根城に毎日その近辺を彷徨していた私は、その日ついぞ見かけたことのない長蛇の列ができているのに驚いた記憶がある。白塗りの怪しげな舞台芸術家たちが跋扈するのは日常見慣れていたが、ロッカーと思しき人たちが列を成す光景は珍しくて今でも鮮明な記憶として残っている。西部講堂自体がかなり怪しげな建物であるから、どうしてあんな音響設備が整っていない所で天下の THE POLICE がコンサートを開いたものかいまだに理解できないが、クラブボックスでマージャンをしながら彼らの楽曲を小耳に挟むことができたなんて、今となっては歴史的な体験であり、数少ない私の自慢話の一つとなっている。
これが現在の西部講堂の雄姿のようだが、私が学生だった頃とほとんど変わっていない。ただ屋根瓦に描かれた3つの星が目立たなくなっている。私が学生の頃は、時計台の「竹本処分粉砕」という意味不明な文字とともに学生運動の名残として象徴的な存在であったが、そんなことを知る学生は今ではほとんどいないだろう。西部界隈に出入りしている我が娘が、親の薫陶よろしくかつての歴史を紡ぐ細々とした縁であるくらいだから、さほど経たないうちに忘れ去られてしまうことであろう。
THE POLICE の西部講堂でのコンサートは宵闇迫る頃から始まった記憶がある。クラブボックスに集まった雀友たちも見慣れぬ多くの人出に興奮したのか、雀卓をはさんで激しい攻防が繰り広げられたように思うが、それも今となっては懐かしい思い出の一つとなってしまった。
「Message in a Bottle」から始まったコンサートは、東京ドームに行かなかったことを後悔させるのに十分な迫力があった。よりによって私が一番忙しい時期に来日しなくてもいいのに・・、と少しばかり恨めしく思ったが、こうやってTVで見られたのだからまだ幸運だ、とあきらめることにした。次々と演奏される曲すべてが口ずさむことのできる曲ばかりで嬉しくなる。私が一番好きな「Wrapped around Your Finger」がステュワートの見事なアレンジで流れ始めたときには全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。すごい・・・。その後はもう、3人の奏でる魔力に身を任せているだけで、あっという間に最後の「Every Breath You Take」までたどり着いてしまった。東京ドームに詰め掛けた多くの聴衆たちもの過ごした濃密な時間を思うと、またまた羨ましくなったが、TVで見ても十分満足できた。
私とTHE POLICE との因縁は彼らが初来日した1980年まで遡る。彼らは2月20日になんと京大西部講堂でコンサートを開いた。当時学生で、西部講堂付近のクラブボックスを根城に毎日その近辺を彷徨していた私は、その日ついぞ見かけたことのない長蛇の列ができているのに驚いた記憶がある。白塗りの怪しげな舞台芸術家たちが跋扈するのは日常見慣れていたが、ロッカーと思しき人たちが列を成す光景は珍しくて今でも鮮明な記憶として残っている。西部講堂自体がかなり怪しげな建物であるから、どうしてあんな音響設備が整っていない所で天下の THE POLICE がコンサートを開いたものかいまだに理解できないが、クラブボックスでマージャンをしながら彼らの楽曲を小耳に挟むことができたなんて、今となっては歴史的な体験であり、数少ない私の自慢話の一つとなっている。
これが現在の西部講堂の雄姿のようだが、私が学生だった頃とほとんど変わっていない。ただ屋根瓦に描かれた3つの星が目立たなくなっている。私が学生の頃は、時計台の「竹本処分粉砕」という意味不明な文字とともに学生運動の名残として象徴的な存在であったが、そんなことを知る学生は今ではほとんどいないだろう。西部界隈に出入りしている我が娘が、親の薫陶よろしくかつての歴史を紡ぐ細々とした縁であるくらいだから、さほど経たないうちに忘れ去られてしまうことであろう。
THE POLICE の西部講堂でのコンサートは宵闇迫る頃から始まった記憶がある。クラブボックスに集まった雀友たちも見慣れぬ多くの人出に興奮したのか、雀卓をはさんで激しい攻防が繰り広げられたように思うが、それも今となっては懐かしい思い出の一つとなってしまった。
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