昨年、秋から11月にかけて、山崎豊子の「大地の子」(文庫版 全4巻)を読んだ。
ちょうど NHKBSでも毎週土曜の夜再放送していた。
本は、ブックオフオンラインで中古本を安く入手した。
若いころ、中国の残留孤児の帰国で親探しがさかんにテレビで放送された。
当時私とは年齢もかなり離れていることもあって、身近には感じられておらず、ずっと年下の私たちには遠い話のように思っていた。
満州に残された日本人のこどもたちが、悲惨な苦しい人生を歩んでいたことは見聞きしてはいた。
だが「大地の子」を読んでさらに現実を知ることになった。
私が社会人になったと同じ昭和50年代に、残留孤児は辛い身の上がまだ延々と続いていたのだ。
当時、私は水処理のプラントの会社の、工場用水や工場排水の水の分析をする部門で働いていた。
「大地の子」では、名称は変えているが、日本の新日本製鉄の多大な協力・支援のもと、国家的事業で宝山製鉄所を建設していたことを伝えている。
私の部署にも、宝山製鉄所から、たくさんの水のサンプルが送られてきて、分析をしていた。
男性社員も宝山へ出張していた。
その後、勤めていた会社がプラントを受注したかどうかは知らないが、私が働いていた年齢のころでも、残留孤児の方々は苦しい生活や待遇を強いられていたのだ。
そして、宝山製鉄所は、幾年月も掛けてさまざまな障害に遭いながらも完成し、中国の発展に寄与していったのだった。
中国に友人がいることを、以前ブログに書いた。
日本に1988年ごろ留学していた人たちだ。
その一人が、文化大革命の頃は怖かった、と語っていた。
インテリ階層の人たちは、民衆につるし上げられて、地方に送られ、過酷な年月を過ごしたと聞く。
「大地の子」にも詳しく書かれている。
友人が「怖かった」と話したことはこのようなことかと知った。
結婚してから、市営団地に住んでいた頃、その団地にも中国からの帰国者が家族で住んでいた。
連れてきた小学生の男の子は、きかん坊だった。
ことばが通じず、辛かっただろうと思う。
昨年末、韓国と慰安婦問題について、突然の合意となった。
だが、中国の残留孤児は、結局のところ、棄民となってしまったのだ。
4巻読み終えて、ためいきをついた。
ちょうど NHKBSでも毎週土曜の夜再放送していた。
本は、ブックオフオンラインで中古本を安く入手した。
若いころ、中国の残留孤児の帰国で親探しがさかんにテレビで放送された。
当時私とは年齢もかなり離れていることもあって、身近には感じられておらず、ずっと年下の私たちには遠い話のように思っていた。
満州に残された日本人のこどもたちが、悲惨な苦しい人生を歩んでいたことは見聞きしてはいた。
だが「大地の子」を読んでさらに現実を知ることになった。
私が社会人になったと同じ昭和50年代に、残留孤児は辛い身の上がまだ延々と続いていたのだ。
当時、私は水処理のプラントの会社の、工場用水や工場排水の水の分析をする部門で働いていた。
「大地の子」では、名称は変えているが、日本の新日本製鉄の多大な協力・支援のもと、国家的事業で宝山製鉄所を建設していたことを伝えている。
私の部署にも、宝山製鉄所から、たくさんの水のサンプルが送られてきて、分析をしていた。
男性社員も宝山へ出張していた。
その後、勤めていた会社がプラントを受注したかどうかは知らないが、私が働いていた年齢のころでも、残留孤児の方々は苦しい生活や待遇を強いられていたのだ。
そして、宝山製鉄所は、幾年月も掛けてさまざまな障害に遭いながらも完成し、中国の発展に寄与していったのだった。
中国に友人がいることを、以前ブログに書いた。
日本に1988年ごろ留学していた人たちだ。
その一人が、文化大革命の頃は怖かった、と語っていた。
インテリ階層の人たちは、民衆につるし上げられて、地方に送られ、過酷な年月を過ごしたと聞く。
「大地の子」にも詳しく書かれている。
友人が「怖かった」と話したことはこのようなことかと知った。
結婚してから、市営団地に住んでいた頃、その団地にも中国からの帰国者が家族で住んでいた。
連れてきた小学生の男の子は、きかん坊だった。
ことばが通じず、辛かっただろうと思う。
昨年末、韓国と慰安婦問題について、突然の合意となった。
だが、中国の残留孤児は、結局のところ、棄民となってしまったのだ。
4巻読み終えて、ためいきをついた。