幼児のとき、海で迷子になった記憶がある。
たぶん4歳のときだ。
母のきょうだいとそのこどもたち、つまりいとこたちと大勢で海水浴に行った。
親戚一同、都内に住んでいたが、叔父が神奈川県の逗子に転居していたので、逗子の海に皆で行ったのだ。
母は7人きょうだいだったので、いとこたちの数も多かった。
海岸でパラソルの上に印はこれで、迷子になったら行くところはあそこだよ、と説明してくれた。
こどもたちで海に入って、波に浮き輪で浮かんで楽しんでいたが、私は泳げなかったので、自分で行きたい方向へはいけない。
そのうち、波に連れて行かれて、みんなからは離れてしまい、押し寄せられて砂浜に打ち上げられたが、流されて見たこともない場所だった。
波が陸へ押し寄せるだけでなく、左右にも運んでしまうので、出発した浜辺の位置からは違うほうへ波に連れて行かれたのだ。
初めに説明を受けた風景などどこにもない。
浮き輪を腰にひたすら歩いた。
キョロキョロしてみても、みんながいたパラソルなんてないのだ。
救護センターもわからない。
そのうち、うしろから声を掛けられた。
母だった。
とたんに、ワッと泣いた。
母は笑っていたし、パラソルまで連れて行かれたら、親戚一同笑っていた。
これが目印だと言ったでしょう、とか、救護センターはあそこなのに、行かなかったの? とか、大人のセリフだ。
だいたい、流されたのが、少し離れたとはいえ、浜辺だったからよかったものの、沖に流されていたらどうなっていたか、お気楽な親戚だ。
海の中に付き添っていた大人はいなかったのだろうか。
なんか、テレビの迷子の報道を見ていたら、思い出して腹が立った。
たぶん4歳のときだ。
母のきょうだいとそのこどもたち、つまりいとこたちと大勢で海水浴に行った。
親戚一同、都内に住んでいたが、叔父が神奈川県の逗子に転居していたので、逗子の海に皆で行ったのだ。
母は7人きょうだいだったので、いとこたちの数も多かった。
海岸でパラソルの上に印はこれで、迷子になったら行くところはあそこだよ、と説明してくれた。
こどもたちで海に入って、波に浮き輪で浮かんで楽しんでいたが、私は泳げなかったので、自分で行きたい方向へはいけない。
そのうち、波に連れて行かれて、みんなからは離れてしまい、押し寄せられて砂浜に打ち上げられたが、流されて見たこともない場所だった。
波が陸へ押し寄せるだけでなく、左右にも運んでしまうので、出発した浜辺の位置からは違うほうへ波に連れて行かれたのだ。
初めに説明を受けた風景などどこにもない。
浮き輪を腰にひたすら歩いた。
キョロキョロしてみても、みんながいたパラソルなんてないのだ。
救護センターもわからない。
そのうち、うしろから声を掛けられた。
母だった。
とたんに、ワッと泣いた。
母は笑っていたし、パラソルまで連れて行かれたら、親戚一同笑っていた。
これが目印だと言ったでしょう、とか、救護センターはあそこなのに、行かなかったの? とか、大人のセリフだ。
だいたい、流されたのが、少し離れたとはいえ、浜辺だったからよかったものの、沖に流されていたらどうなっていたか、お気楽な親戚だ。
海の中に付き添っていた大人はいなかったのだろうか。
なんか、テレビの迷子の報道を見ていたら、思い出して腹が立った。