中学1年のとき、父は神奈川県の郊外に家を建て、私たちは東京から引っ越してきた。
学校は中学2年の4月から転校した。
新興住宅地だったので、転入生は多かった。
2年から3年になるときは、学年に1クラス増えたほどだった。
転入した直後、転校生は周囲の興味の目にさらされる。
お弁当の時間、男子のほとんどは、新聞紙に包んだお弁当をかばんから出した。
男子は、黒い革の学生カバンではなく、木綿の白い肩掛けかばんで通学していた。
ちょっとしたカルチャーショックだった。
ある日、私は、三色そぼろ弁当の日があり、おかずがポロポロするので、スプーンを持たせてもらっていた。
スプーンで食べていると、周囲の視線を感じた。
都会から来た転入生の私は、どうもお箸を使えなくてスプーンで食べていると同級生に思われていたようだった。
それで、興味深く注視されていたらしい。
転校してきた中学校は、もと田舎の地域でも、先生たちは熱心だった。
私は、この学校の授業は東京にいたときより合っていた。
英語の授業のノートのまとめ方は、指導された通りまじめに記録していたし、教わった理科の実験のレポートの書き方は、大学の実験のレポートや卒論の実験ノートのまとめ方に生かして良い評価を頂いた。
中学校の先生は、生徒のその後の人生にも影響を与えると大学のときに思った。
卒業するときは、ほかのどこの場合もそうなのだが、今のここの人間関係から離れられる、そして、高校という新生活に行けるという嬉しさでせいせいしたが、中学校は振り返りたくないような時期でもなかった気がする。