暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

平日、週末、祝祭日

2022-08-20 15:58:12 | 日記

土曜日にも郵便配達がなくなって、週末は2日間、郵便がない。私は郵便が大好きなので、配達がないのは寂しい。



ゴミ出しのカレンダーでも、土日は収集が何もない。



夕刊は土曜日の配達はあるが、それだけのためにエントランスの郵便受けに行かなくても良い、と夫が言うので、用事がない週末は、土日の2日間、まったく部屋を出ないこともたまにある。



それに、今は、コロナ禍で、外出自粛を最重視して、買い物の回数を極力減らし、部屋で過ごしていることが多い。



いつもと違うテレビ番組を観ながら、早く平日にならないかなぁと思いながら土日が過ぎると、月曜の朝が来て、あー、やっと日常に戻った、と思う。

ところが、その平日もあっという間に5日間が経ち、また週末になってしまう。

このブログにも何度も何度も書いてきたことを書くので、ご迷惑な話だが、本当に、時間が過ぎるのが速い。

2020年の初めにコロナが感染拡大し始め、もう3年目の夏を過ごしている。

中学生、高校生は、コロナの中、入学し、もう来春は卒業する生徒さんもいるはずだ。

青春時代は、いつの年代の時も、振り返ると懐かしい思い出が蘇るし、未だに 50年前の高校の仲間とよく集まっている。

そんな貴重な年月をコロナで失った若者が気の毒だ。

私たち、高齢者は、感染予防のために、極力 外出自粛して巣ごもり生活だが、1週間、1か月がどんどん過ぎていく。

外部との接触もあまりなく、LINEで、親戚、友人と連絡を取り合うことが、交信手段で、電話で話すこともあまりない。

夫と、いることに 困っていないので、私はこの生活も怠惰で、まあそれなりに毎日を過ごしているが、
友人には、夫と1日中二人というのはとても居られない、必ず外出はしたい、という女性もいる。

あと何年、コロナが続くのだろうか、映画も観に行きたいのになぁ、と思う。

旅行も、この状況では行きたくない。

人によって、外出についての意識が、万人それぞれなので、感覚が違うが、私は、人ごみには行くべきではないと思っている。

夫が、基礎疾患があるせいがもちろん大きい。

でも、コロナの病気自体を軽視している感覚は、少々理解しがたい。

コロナでなくても、時が、ビュンビュン過ぎていくのだ。

氷河期が来てしまって、建物の中だけで暮らしているドラマを去年だったか観たが、外気に触れないように地下生活をしている話とか、なんかSFでそういう未来の図を見た気がする。

だがパンデミックのこの生活も、世界史に残るような、恐ろしい年月だ。

年金暮らしで、ありがたく暮らさせてもらっているが、若い人は、この環境の中、働かなくてはいけないので、ご同情申し上げる。

以前のジョージアのCMであった「世界は誰かの仕事でできている」というコピーが、本当にそうだな、と思う。

高齢者になって、過去の労働の見返りに、働かなくても生活できるように社会が回ってくれている。

残りの年月を、漫然と生きない努力をもう少ししてみよう。


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