2018年5月11日の読売新聞 朝刊の 「編集手帳」に興味深い内容があった。
「編集手帳」
明治生まれの文学者、辰野隆に『記憶ちがい』という小編がある。
数え63歳の小学校の旧友同士が電車でばったり再会し、
思い出話は一気に50年さかのぼる。
「雪ちゃんというお嬢ちゃんを忘れたかい?」
「覚えているとも、雨の日の事だろう」。
雪ちゃんは夏、なぜか一人だけ白足袋をはいていた。
それを脱がすと彼女は泣き出した。
左足の小指の先が二つに分かれていたのだ。
のちに手術で治ると知ったものの、悔恨に苦しんだ。
自分はなぜあんなことをしたのか・・・。
すると、もう一人が言う。
脱がせたのは君じゃないよ、Oだ、心にとりつく自責の念が
記憶ちがいをさせたのだと。
数え63歳の小学校の旧友同士が電車でばったり再会し、
思い出話は一気に50年さかのぼる。
「雪ちゃんというお嬢ちゃんを忘れたかい?」
「覚えているとも、雨の日の事だろう」。
雪ちゃんは夏、なぜか一人だけ白足袋をはいていた。
それを脱がすと彼女は泣き出した。
左足の小指の先が二つに分かれていたのだ。
のちに手術で治ると知ったものの、悔恨に苦しんだ。
自分はなぜあんなことをしたのか・・・。
すると、もう一人が言う。
脱がせたのは君じゃないよ、Oだ、心にとりつく自責の念が
記憶ちがいをさせたのだと。
* * * * * *
辰野隆の「記憶ちがい」は、検索すると、全文がネットに出るので、お読みいただける。
「・・・君は、その時の見てはいけないものを見たという
強い自責の念が、
何時の間にか、自分が下手人だったという想像に変り、
それが癖になって、ついに自分が手を下したと思い込み、
俺まで仲間に引き入れてしまったのだ。
とにかく、記憶ってものは変なものだな。」
とNは、また呑気に笑って、盃を重ねた。
強い自責の念が、
何時の間にか、自分が下手人だったという想像に変り、
それが癖になって、ついに自分が手を下したと思い込み、
俺まで仲間に引き入れてしまったのだ。
とにかく、記憶ってものは変なものだな。」
とNは、また呑気に笑って、盃を重ねた。
* * * * * *
という記述で終わるのだ。
人間の記憶は、不確かなものだ。
確信していたことが違ったりするのだ。
こういうこともあるだろうなと思った。
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