2018年5月31日の読売新聞 朝刊に 東京大会「子供100万人観戦」 という記事が載っていた。
東京五輪・パラリンピックの入場券に関する有識者会議を開き、チケット価格の大枠を固めたという中で、「学校観戦連携プログラム」が提案され、子供たち向けにチケット100万枚を用意するという。
私は、Jリーグのサッカー観戦に何度か行って、スポーツを会場で観るその臨場感の迫力は、楽しく良い経験だと思っている。
だが、自分自身が、1964年の東京オリンピックのときのことを思い出すと、会場観戦の話とは別物ではあるが、小さい子にオリンピックってどうなの、と思うところもあるのだ。
最近は、一流のアスリートは小さいころからスポーツを始め、世界で通用する選手に成長していたり、一般の子供たちにも、さまざまなスポーツに接する機会がまわりにある環境が整ってきている。
62歳の私が子供の頃には、スポーツを習っている友達というと、あまり知らない。
道場もきっとそばになかったのだろうし、聞いたことがあるとすれば、バレエを習っている女の子と、ボーイスカウトに入っている子を一人知っている。
塾とか、ピアノ、習字、絵など習いに行っている話は聞いていた。
で、昔の東京オリンピックのとき、小学校では、期間中、3クラスある学年の児童をひとつの教室に集めて、ぎゅうぎゅうに座らせて、ブラウン管の小さなテレビで、授業をしないで、毎日テレビを何時間も見せられた。
ぎゅうぎゅうでも3人掛けで座れればまだましで、後ろの黒板の前に、ずっと終わりまで立って観ていたこともある。
小学3年生が、水泳の長距離の予選や、延々続く何かの種目の予選を見て、しかも小さな画面で何が起きているかよく見えないテレビで、楽しいだろうかと思う。
先生たちは、おそらく子供たちが生きている間に、一度しかないであろう日本で行われるオリンピックを昼間学校で見せてあげようという親心だったろうが、私は苦痛以外の何物でもなかった。
早くオリンピックが終わらないかなと思っていた。
会場で、スポーツの迫力を見たら、きっとよい思い出になったり、スポーツへの強い興味、関心を持つようになり、ということで100万人のチケット用意、とのことなのだろう。
大人の考え方ではないだろうか、それは。
私自身にスポーツに対する関心がないからかとも思うが、大人になってからは、海外で行われるオリンピックやパラリンピックは長時間テレビにかじりついて観ている。
どうも、新聞記事を見て、「子供に、観戦ねえ」 と ふと思ってしまった。
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