【11月5日投稿分】
今日は10時から、わが寺では鬼子母神法要が営まれ、多くの参拝者が御礼報謝で足を運んでまいります。鬼子母神を祀られている寺院では、インドの神様という事で、お接待はカレーライスにしている所も多く、わが寺でも毎年、カレーに。何故、カレーか、といえば、深い意味はなく、インドだからカレー、の単なるこじつけです。ところが、このこじつけが「お寺でカレーが食べられる」と、喜んで多くの子供達が参拝を。鬼子母神さんには、如来型と鬼神型の2種類があり、わが寺の鬼子母神さんは、如来型にて。一方、鬼神型は、主に日蓮宗の守護神として祀られている事が多く、因みに、東京都台東区入谷にある法華宗(日蓮宗とは親戚筋、詳細はググって下さい)真源寺の『恐れ入り屋の鬼子母神(どうも恐れ入りや(入谷)した、の洒落言葉)』は、あまりにも有名ですよね。
さて、鬼子母神さんは、お釈迦さんの時代に本当にいた女性(人間)で、その名を『訶梨帝母(かりていぼ)』と言います。500人の子供がいた、と言われていますが、それ程に『子沢山だった』という事でしょうね。人の子供を食べていた、と言われていますが、そんな訳はないですわな。母親特有の自分の子供を溺愛するあまり、人の子供を蹴散らしていたんでしょうね。その諸行があまりに目に付いた為、お釈迦さんに怒られ、諭され、改心して、お釈迦さんに帰依(信じる心)し、その後、お釈迦さんを守る守護神『鬼子母神』になったと、まあ、こういう流れですわな、簡単に説明しますと。
鬼子母神さんは、子供に関わる神さんという事で、わが寺でも『子授け祈願』に足を運ばれる人も非常に多く『その願いが、叶った』という人も少なからず。但し『本当に鬼子母神さんの功徳があったのか』と問われれば、甚だ疑問にて、全てが憶測の世界だもんね。『願った、後ろ盾を頂けた』という安心感(信じる心)から、免疫が向上し、子供の授かり易い心身になっていった、というが、本当のところじゃないでしょうかね。
これは、数年前の話ですが「住職さん。何年間も鬼子母神さんにお願いに来ているのに、一向に娘に子供が出来ん。どうなっとんじゃ」と文句を言ってきた母親が。対し、拙僧「お母さん、あなたが産むんですかい。何故、当の本人の娘さんが来ないの。神であれ、仏であれ、人であれ、子授け願いに限らず、願い事を他人任せで頼んでくる者に、力を貸そうなんてのは、いないと思いますよ。『本当に子供を授かりたいなら、自分で足を運んで来な』と、住職がその様に言ってた、と娘さんに言っといてくだされや」と。
続けて拙僧「それと、お母さん。これは余談ですが、過去(拙僧父の時代の話)に、こんなご夫婦がいました。そのご夫婦に父(先代)が『子供を授かりたいなら2人して、あなた(神様)の子供(授かりもの)を私達に育てさせて下さい、と氏神(八幡様)さんに、何度も、何度も、お願いに行ってきなさい。その土地を縁に、人は生まれてくるんだから。奥さんだけが足を運んでも駄目だよ、ご主人も一緒に』と指導を。だが、このご夫婦、1度も氏神詣でには。晩年になって、拙僧にこのご夫婦が『もし、先代住職(拙僧の父)に言われた通り、真剣に氏神詣でをしていたら、もしかしたら、と、この頃いつもそれを考えます。氏神詣でをして授からなかったとしても、あれだけ願っても授からなかったんだもの、私達には子供の縁がなかったんだろうね、と納得出来ていたんじゃないか、と思います』と悔やんでましたよね。何でもがそうですが、例え、同じ結果(残念な)になったとしても、動いた人間に、努力した人間に、後悔は少ない。動かなかった人間に、努力しなかった人間に、後悔はやって来ますもんね」と。
拙僧のこの一連の話を、母親から聞いたその娘さんは早速に、ご主人と一緒にわが寺の鬼子母神さんへ、度々願いを掛けに。その半年後、お腹に子供が。「こんな不思議な事ってあるんですね、住職」と、若夫婦が驚きと喜びで、お寺へ御礼報謝に。対し拙僧、この若夫婦に「そりゃ、知らん。ただの偶然かもしれんよ。が、拙僧にとっては、ただの偶然でもいいが、あなた達にとっては、偶然と簡単に片付けない方がいいかもしれないね。これから先、子供を育てていく上においても、老いた親を世話していく上においても、命の流れというものをこの際、しっかりと真剣に、見つめ直していく事が大事だろうね」と。
結婚したい、子供が欲しい、という若者達に対してだけ拙僧、次の言葉を彼らに。『結婚も、子供も、必要ない』という若者達には、次の様な言葉は掛けない。その言葉とは「結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳にはいかんよ。拙僧の経験範疇(数百の相談)での事だが、計画出産(何年か2人で楽しく過ごして、その後に)は、どうも、あかん様な気がする。結婚と同時に、子供を授かる、という縁も来ている様な気がしてね。その縁(子宝)を、そうする事で逃したのかな、と。ほんとこの話は憶測の範疇だが、そう思える夫婦が、そう思っている夫婦が、檀家の中には何組かおらっしゃる。勿論、子供が欲しくてたまらないのに、子供との縁が薄いのかな、と思われるご夫婦も」と。
さてさて、昨今では、若い時に精子と卵子を保存し、自分がやりたい事をやった後、受精させてわが子を授かる、という選択が出来る時代に。が、その成功率は、50%と言われてますよね。赤子においては、親の若い時の精子、卵子だから、老いた親の精子、卵子じゃないから、受精が成功すれば、身体が丈夫で生まれてくる可能性は高いだろうが、親の方といえば、そうはいかない。40歳を過ぎて、初の子供を授かった夫婦が、お寺にも何組かおられるが、皆、異口同音に「住職さん、40歳過ぎからの初の子育ては、肉体的にも、精神的にも、とても大変です。2人目、3人目だったら、経験も加わって多少は」と。この方式(精子、卵子保存)を親に習って、同じ事を子供までもがすれば、80歳(仮に)で初孫の世話をする事に。色々、様々、研究、解明され、手立てが講じられる様になっていっても、時間軸(老い)に逆らったら、それなりのリスクを背負うを、覚悟する必要も。
因みに、11月15日は『七五三』ですよね。1年で最良の日といわれているから、この日に『七五三詣で』をもってきたのかな。何の為に『詣で』に伺うのかといえば、子供は神さんからの授かりものだから『3歳まで、5歳まで、7歳まで、この様に育てました。ご覧ください』と神さんに見せに行く為にて。その披露の最後が成人式。その成人式の様子を神さんが見て『この親に預けて、正解だったのかな』と思われん様にせにゃ、ですね。
最後になりますが、昔の高僧が「この世の中、縁で繋がってないものは、何1つない。偶然という言葉は、人間が作った言葉である」と。その言葉に波状して「出会う人(物、病気、仕事、事故、縁は全て)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし」と。その縁について「縁に出会って、縁に気づかず。縁に気づいても、その縁を活かせず」という言葉が。こうした識者の方々の言葉から拙僧「出会うは、運命。出会ってからは、努力。最後には、感謝」という境地に。
次回の投稿法話は、11月10日になります。投稿写真は、わが寺の如来型鬼子母神(中央奥)、と、前佛は、聖徳太子稚児像。