【 段々と日本の風習が消えていく。『コンプライアンス』という、今流行りの儀式の様なものによって。自分達の足を自らが止めて、くそ面白くもない社会を現在、構築中。『コンプライアンス』と言われるものの中には、自分の心の中で十分、対応出来るものも少なからず。例題、子供達に見せたくないテレビ番組。「子供達が真似をするでしょ」と。いやいや「親が、子供達に真似をさせないで下さいね(経験、教育、指導、免疫)」で済む話にて。社会に出れば、子供達に見せたくない物などは山ほど。テレビ番組だけに噛みついて、どうなる物でも。それよりも考えなくちゃならんは、人間界の理不尽(嘘、誤魔化し、喧嘩、押し付け、ルーズなど)を子供は生まれて後、まず最初に目にするは、親の言動から、ですもんね。他に噛み付くより前に、親はする事がありそうですよ 】
読者男性から「祖父母、父母から『もうすぐ〇〇ちゃん、初誕生だね。1升餅を背負わせにゃならんね』と。この風習って実際、どういう意味があるんですか。実は今月(1月)、私の娘が1歳に」と。対し「拙僧の祖父母から聞いていた話では、誕生日を祝う風習って、本来、日本にはなかったらしいよ。外(特に欧米)から入ってきたものじゃないか、と。そんな事(ハロウィンなど)って、この日本には多いよね。但し、1歳の誕生日を祝う行事はあったんだと。無事に1歳を迎えられる事って、昔は大変難しかったんだって。縄文、弥生時代から、室町時代まで日本は、平均寿命は20歳前後、江戸時代に入って30代、昭和に入ってやっと50代、80代になったは、平成になってから、だもんね」と。
この読者男性に「因みに1升餅とは、1升の餅米から作られた餅で、お祭りやお祝いなどで、縁起物として用いられてきたと。『1升と1生』を掛け言葉にして、餅の形状を丸く、平たいものにして『一生(1升)、食べられる様に。一生(1升)、健やかに、円満である様に』と願ったのだと。で、実際に1升(約2キロの重さ)餅を背負わせて『立ち上がれたら将来、身を立てられる。座り込んだら将来、家にいてくれる、家を継いでくれる。転んだら、厄落としになる』と、どの様な結果になっても子供の将来に幸あれ、との思いから。檀家の婆様が言うには『男の子は家から出ない様に、無理矢理倒す、転ばす。女の子はいつまでも家に居座らない様に、手を添えてまでも、立たせて歩かせるんじゃ』と言ってたよね。その事から『ぶっ倒し餅』なる別称もあるとか。昔は餅をおんぶ紐の様な物で、1歳児に結んでいたが、昨今は、リュックに餅を入れて、背負わせる事が多いそうだよ」と、この読者男性に。
最後にこの男性が「そういう意味合いがあっての、1升餅だったんですね。私は『親が子供の事を思う、素晴らしい風習だな』と思うけど、コンプライアンス過激時代の昨今『子供に対する虐待だ』と騒ぐ者も出てきそうですね」「それがくさ、もうそんな風に騒ぎ立てる人達が出てきてるんだよな。方々の分野に、いちゃもんを付けて、自己主張を押し付けて、社会の足を止めてる人達が、ね」と。
次回の投稿法話は、1月11日です。