【この法話は、昨年11月19日に投稿したものです。「それはそれ、これはこれ」の考え方が欠乏気味の昨今、自らを振り返るには良き法話と、再投稿を希望されるお話です 】
美空ひばりさんの最後のステージは、平成元年2月7日、北九州小倉の九州厚生年金会館。実は、拙僧夫婦、ひばりさん最期のステージの1年前、3月13日にそこで結婚式を。肝硬変で立つもやっとの状態で20曲を熱唱。『川の流れのように』が最後の曲に。ステージ終了後、そのまま入院。4ヶ月後、52歳という若さで他界を。43年間の歌手生活に終止符を打たれたと。
【追伸】
ひばりさんは最期の最期まで、歌い切って人生を終えられましたね。先日も、その最後のステージの追悼番組が。博多でのステージの後、ヘリコプターで小倉に。初めてヘリに乗られたとの事。80キロ(博多、小倉間)の車移動が出来ずに。小倉の会場では、僅か2段のステージ脇階段も、人に支えられないと足が上がらない状態。それでもステージに立ったら、その体調を全く観客に悟られる事なく熱唱を。が、歌い終わった直後、マイクを置く瞬間に口を一文字にさせて、首を傾げた表情(納得のいく歌をお客さんに届けられてない)を見せたを、この追悼番組は捉えていました。それでも、命を削って頑張ったは、息子(ひばりさんの弟の息子を養子に)を一流のプロデューサー(息子さん本人の希望)に育て上げる為と。息子さんは当時、若干17歳。
ひばりさんは、様々色々言われた人ですが、私達一般庶民にとっては、ひばりさんの実生活がどうであろうと、何の関係もないこと。人にはそれぞれ事情が。事情の塊が人間にて。氷山の一角(表面)だけを見て「この人は、こんな人間」と個人的主観で決め付け、誹謗中傷するは、如何なものか。どれだけの人達が、ひばりさんの歌で心を癒されてきた事か。それ(歌)だけで十分でしょ、ゴシップなど必要ないでしょ、と思いますよね。
政治家さん達も、これに同じかな。人間社会は、上に立てば立つほど、風当たりは強くなるもの。政治(まつりごと)というは、人間のドロドロした欲を相手にしての仕事にて。どちらかを持ち上げれば、どちらかが下がるは、仕方のない事。つまり政治とは、シーソーみたいなもの。笑ってもらえる時もあれば、泣いてもらわにゃならん時も。それを上手にバランスを取るが、政治家さん達の仕事にて。日本を取り巻く状況を考えると政治家さんは、品行方正で仕事の出来ない人よりも、少々ヤンチャでも、仕事の出来る人の方が。あくまでも、拙僧の個人的意見ですが。
因みに、余談ですが、嘗て石川啄木さんが『たはむれに、母を背負ひて、そのあまり軽きに、泣きて三歩あゆまず』と詠んだ事に対し、身内の方々が「啄木は、そんな親思いの子ではありませんでした」と暴露を。これを聞いた時に拙僧『啄木さんのこの情報は、一般市民にはいらん情報だったな。私達がそれを知ったからとて、だからどうなんだ、という話にて。叩いて埃の出ない人間など、誰1人もいない。関係者の間だけで、収めておればよいものを』と。テレビ、新聞、週刊誌、SNS などでは、この様な三面記事みたいな情報が、取り上げられる事が多いですよね。それが本当の話なのかも確かめず、一般庶民は寄ってたかって、その人を袋叩きに。特に、有名人の方々は、その袋叩きの対象に。
美空ひばりさんの最期のステージの話を聞いた時に拙僧、東近江へ講演に伺った時の事が思いだされました。京都駅地下のポルタで食べたピザで、アナフィラキシィ(小麦粉アレルギー)に。会場には観客が400人も。症状悪化で目の前は真っ白、脈拍200以上の状態で、1時間半法話を。初めて講演で、椅子に座って話をしました。講演終了直前にやっと視界が開けてきて、講演途中「救急車を呼んでもらおうかな」と何度思った事か。ひばりさんの最期のステージは、こんなものじゃなかったでしょうね。九州に帰って主治医にその事(アナフィラキシー)を話すと「無理しおって。下手したら、死ぬぞ」と。
【以下の話は、昨日、読者女性と対話したものです】
先日の安倍元総理1周期に対し、読者女性が拙僧に「奥様の昭恵夫人に対し、SNS 内で誹謗中傷が横行してましたよね。文句を言う方向が間違ってますよね。日本人が言ってるとは、限りませんが」と。「確かに、昨今は、傷に塩を塗る人達の何と多い事か、ですね。安倍さんご本人に言うのならまだしも、伴侶を、それもテロで、失われて傷心されておられる奥様に、浴びせ掛ける言葉ではないですよね。だいたい、そんな事を言って、何になるんだろ。自分の憂さ晴らしを、ぶつけ易い人がそこにいるから、ぶつけたれ、なのかな。誹謗中傷も文句も言い過ぎると、自分から世間に向かって『私はこんな人間である』と、自らで暴露してるに同じなのにね」「何か、ほんと、情けないですよね、住職」と、この読者女性が。