1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 今日も臨時法話にて。安倍元総理の1周忌に対し、昭恵夫人に誹謗中傷が。安倍さん本人に言うならまだしも。

2023-07-11 18:46:08 | 法話
【この法話は、昨年11月19日に投稿したものです。「それはそれ、これはこれ」の考え方が欠乏気味の昨今、自らを振り返るには良き法話と、再投稿を希望されるお話です 】

美空ひばりさんの最後のステージは、平成元年2月7日、北九州小倉の九州厚生年金会館。実は、拙僧夫婦、ひばりさん最期のステージの1年前、3月13日にそこで結婚式を。肝硬変で立つもやっとの状態で20曲を熱唱。『川の流れのように』が最後の曲に。ステージ終了後、そのまま入院。4ヶ月後、52歳という若さで他界を。43年間の歌手生活に終止符を打たれたと。

【追伸】
ひばりさんは最期の最期まで、歌い切って人生を終えられましたね。先日も、その最後のステージの追悼番組が。博多でのステージの後、ヘリコプターで小倉に。初めてヘリに乗られたとの事。80キロ(博多、小倉間)の車移動が出来ずに。小倉の会場では、僅か2段のステージ脇階段も、人に支えられないと足が上がらない状態。それでもステージに立ったら、その体調を全く観客に悟られる事なく熱唱を。が、歌い終わった直後、マイクを置く瞬間に口を一文字にさせて、首を傾げた表情(納得のいく歌をお客さんに届けられてない)を見せたを、この追悼番組は捉えていました。それでも、命を削って頑張ったは、息子(ひばりさんの弟の息子を養子に)を一流のプロデューサー(息子さん本人の希望)に育て上げる為と。息子さんは当時、若干17歳。

ひばりさんは、様々色々言われた人ですが、私達一般庶民にとっては、ひばりさんの実生活がどうであろうと、何の関係もないこと。人にはそれぞれ事情が。事情の塊が人間にて。氷山の一角(表面)だけを見て「この人は、こんな人間」と個人的主観で決め付け、誹謗中傷するは、如何なものか。どれだけの人達が、ひばりさんの歌で心を癒されてきた事か。それ(歌)だけで十分でしょ、ゴシップなど必要ないでしょ、と思いますよね。

政治家さん達も、これに同じかな。人間社会は、上に立てば立つほど、風当たりは強くなるもの。政治(まつりごと)というは、人間のドロドロした欲を相手にしての仕事にて。どちらかを持ち上げれば、どちらかが下がるは、仕方のない事。つまり政治とは、シーソーみたいなもの。笑ってもらえる時もあれば、泣いてもらわにゃならん時も。それを上手にバランスを取るが、政治家さん達の仕事にて。日本を取り巻く状況を考えると政治家さんは、品行方正で仕事の出来ない人よりも、少々ヤンチャでも、仕事の出来る人の方が。あくまでも、拙僧の個人的意見ですが。

因みに、余談ですが、嘗て石川啄木さんが『たはむれに、母を背負ひて、そのあまり軽きに、泣きて三歩あゆまず』と詠んだ事に対し、身内の方々が「啄木は、そんな親思いの子ではありませんでした」と暴露を。これを聞いた時に拙僧『啄木さんのこの情報は、一般市民にはいらん情報だったな。私達がそれを知ったからとて、だからどうなんだ、という話にて。叩いて埃の出ない人間など、誰1人もいない。関係者の間だけで、収めておればよいものを』と。テレビ、新聞、週刊誌、SNS  などでは、この様な三面記事みたいな情報が、取り上げられる事が多いですよね。それが本当の話なのかも確かめず、一般庶民は寄ってたかって、その人を袋叩きに。特に、有名人の方々は、その袋叩きの対象に。

美空ひばりさんの最期のステージの話を聞いた時に拙僧、東近江へ講演に伺った時の事が思いだされました。京都駅地下のポルタで食べたピザで、アナフィラキシィ(小麦粉アレルギー)に。会場には観客が400人も。症状悪化で目の前は真っ白、脈拍200以上の状態で、1時間半法話を。初めて講演で、椅子に座って話をしました。講演終了直前にやっと視界が開けてきて、講演途中「救急車を呼んでもらおうかな」と何度思った事か。ひばりさんの最期のステージは、こんなものじゃなかったでしょうね。九州に帰って主治医にその事(アナフィラキシー)を話すと「無理しおって。下手したら、死ぬぞ」と。

【以下の話は、昨日、読者女性と対話したものです】

先日の安倍元総理1周期に対し、読者女性が拙僧に「奥様の昭恵夫人に対し、SNS 内で誹謗中傷が横行してましたよね。文句を言う方向が間違ってますよね。日本人が言ってるとは、限りませんが」と。「確かに、昨今は、傷に塩を塗る人達の何と多い事か、ですね。安倍さんご本人に言うのならまだしも、伴侶を、それもテロで、失われて傷心されておられる奥様に、浴びせ掛ける言葉ではないですよね。だいたい、そんな事を言って、何になるんだろ。自分の憂さ晴らしを、ぶつけ易い人がそこにいるから、ぶつけたれ、なのかな。誹謗中傷も文句も言い過ぎると、自分から世間に向かって『私はこんな人間である』と、自らで暴露してるに同じなのにね」「何か、ほんと、情けないですよね、住職」と、この読者女性が。





【住職の法話。ほんの少し考え方を変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 出会う人には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし。人に限らず、縁というものは、そんなものにて。

2023-07-07 17:46:12 | 法話
【7月10日投稿分】

今月(7月)の8日は、父(金剛寺2世)の祥月命日(平成15年、行年73歳、立ち日)にて。平成14年の9月、腹痛を訴え、主治医の診察を受けに。その年の10月18日、大腸、膀胱、腹膜、肝臓、肺にまで転移している癌の応急手術(確認出来た病巣だけ摘出)を。既に、手遅れ状態。術後、父が「俺はあと、どのくらい生きるんだ」と。対し、拙僧「あと半年かな」と即答。暫くの間、父は無言で目を瞑ったあと「半年なら、やる事があるな」と残りの数ヶ月で拙僧に、お寺の運営の仕方を様々伝授。その間、好きな時代劇を見ながら、安らかな日常を。

病床の父に拙僧「父さん、えろうリラックスしとるが、死ぬのが怖くないんかい」と尋ねると「お前から『あと半年』と聞かされた時は、そりゃ、怖かったくさ。初めて体験する事は、何にしても不安なもんだ。が、何故か、一瞬の内に、その不安が消えた。『生きてる内に、お前にお寺の全てを伝授しとかにゃ』と思ったからかな。いいか、親が死んだくらいで、お寺の業務を滞る事はならんぞ。わしの命乞いの祈願もするな。人間、ジタバタしたって、死ぬ時は、死ぬ。死にとうても、死ねん。人間は病気じゃ、死なん。必ず寿命だ」と。数百人の葬式に携わり、その何倍もの人の『生き死に』に関わってきた、父の納得の言葉だった。

父の祥月命日の7月8日といえば、昨年(令和4年)他界された、安倍晋三元総理の祥月命日。今年が1周忌。思えば、演説を急遽奈良に変更した為に命を。あの時、奈良に行かなければ、とも思ったが、これもまた、寿命だったのかな。納得の出来る事ではないが。檀家のご主人は、家を出て、数十メートル先の横断歩道で車から突っ込まれて、絶命を。家を出る時、奥さんが「ちょっと、あなた」「なんや」の数秒があったら、ご主人をひいた車は通り過ぎていたはず。何故、ピンポイントで、そこにいなければならなかったのか。そう思える事例は、檀家、知人の中には、少なからずあります。なりゃこそ、人は『1日一生』と、この命は『今日1日の命』と思って、悔いのない生き方を。

安倍さんの命日に読者男性から、次の様なメールが。「7月8日は、安倍元総理の1周忌でしたね。住職が法話の中で偶に使われる言葉、映画『仁義なき戦い』で菅原文太さんが松方弘樹さんに『狙われるもんより、狙うもんの方が強いんじゃ』と放った言葉。安倍さんがテロに遭った時、この言葉が私の脳裏に。日本はこの事件を今後において、教訓に出来るのだろうか、住職」と。「映画『ゴットファーザーで、アルパチーノさんが『この世でただ1つ、確かな事は、人は殺せる』と。恐ろしい言葉ではあるが、この言葉は真実。狙われる(攻撃される)を前提に、対応策を講じておくしかないかな。人間は1度死んだら、2度と生き返れないですもんね。

話を戻しまして、実を申しまして父は、お寺の息子ではなく、俗人から住職に。新日本八幡製鐵所に勤務の20代の頃、心臓の病になり、医師から見捨てられ、ただ死を待つ状態に。その時、今のお寺(金剛寺)に縁があり、精神面を癒された事が、免疫向上に繋がったのか、奇跡的に心臓病が回復を。これが縁で、父は仏門に。初代住職(父の師僧)は息子、娘が数人いたにも関わらず、何の仏教知識もない、経験もない父に『このお寺は、お前が継げ』と。その頃、父には製鐵所本社(東京)栄転の話が。が、父は、お寺との両立の道を選択する為に、転勤しなくてもよい様に、レントゲン技師の免許を取り、八幡製鉄病院に残った。

父が他界した後に、初代住職(弘中和尚)の娘さん2人が「山本學(拙僧父の俗名)さんが後継を了承してくれたお陰で、ボロボロだった金剛寺が、今の様なお寺に。私達(初代住職の子供)が継いでいたら、間違いなくお寺を潰していたでしょうね。父(初代住職)はそれを、見抜いていたんだと思います」と。この娘さん2人は長年、月に1度は必ず、お寺の方に参拝を。が、2年前から全くお姿を。無理が出来ない年齢に、恐らく、もうお体が。

これは余談ですが、初代住職といえば、次の様な不思議な話が。拙僧の祖父が、83歳で他界した時、通夜も葬儀もお寺の本堂で。葬儀が終わり、出棺となった時、130石段の下の山門に霊柩車が横付けを。拙僧が爺様の位牌を持ち、運転席の隣に座ると、運転手さんが「ここのお寺の初代住職は、弘中、って言いませんでしたか」と。「そうですよ」と答えると「実は私、その弘中住職の孫なんです」と。これには驚いた。その男性曰く「5歳の頃まで、爺ちゃんのお寺(わが寺)には、度々遊びに来ておりましたが、今日は、かれこれ50年振りです。この石段を見て思い出しました。実は今日、私は非番で家で寝ていたところ、会社から『運転手が足らん』と電話があり、急遽こちら(わが寺)へ。偶然とはいえ、何という縁なんでしょうね。爺ちゃん(弘中住職)が『お前が迎えに行け』という事だったのかな、と。この時、拙僧「縁というものは、凡人には、計り知れんものだな」と、このご縁に不思議さと、感謝を。

次回の投稿法話は、7月15日です。







【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 この度は、臨時法話を。東北地方に仕事に行って、思いもかけず、よか拾い物(棟方志功さんの言葉)を。

2023-07-06 18:59:16 | 法話
この法話は、昨年11月17日に投稿したものです。この度の再投稿は、お墓、仏壇、人、の存在意義を尋ねてこられる読者が多いので、数多の考え方がある中、次の様な視点も、と。

令和4年11月、東北地方に仕事で赴いた折に、新婚旅行で参拝した平泉の中尊寺へ、35年振りに家内と。当時、金色堂内で阿弥陀三尊の下に900年前の、初代藤原清衡高、二代基衡公、三代秀衡公の亡骸と、四代泰衡公の首級が安置と放送が。堂内で掃除をされていた若い僧侶さんに拙僧「見せて」と。すると僧侶さんが「罰当たりな」と顔色を変えて。返して拙僧「罰が当たってもいいから見せて」と。つい昨日のように、思えます。毎年、年末に参拝させて頂く高野山奥之院、20万の供養塔の中に、名だたる武将(武田信玄、上杉謙信、明智光秀、石田三成、織田信長、など)が何人も。「本当に存在されていたんだな」と歴史のロマンを。各家のお墓も、スケールこそ違えど、これに同じ。

因みに、源義経公を助けた武将が、三代の藤原秀衡公。義経公を討伐したのが、四代の泰衡公。この藤原四代の亡骸は1度、世に出た事が。この投稿には、恐れ多くて載せませんが、ググってみて下さい。ほんとに、おらっしゃったんですね。こんな遠い土地まで、頼朝公は奥州討伐に。義経公、奥州藤原氏を捨て置くは、安心(鎌村幕府安泰の為)出来なかったんでしょうね。徳川家康公も世継ぎの秀忠公に「天下を取るは、至難の業。が、天下を守り続けるは、もっと難しい」と。武士の時代は、弱肉強食ですもんね。如何に時代が移り変わろうと、人間に欲がある限り、争い事が絶える事はないでしょうね。石川五右衛門さんが辞世で「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は付きまじ」は真理。人間関係は全て、自分の心と如何に折り合いを付けるか、だけ。

さて、この時には拙僧夫婦、青森県にも仕事に。来たついでに、と言っては失礼ですが、棟方志功さんのミュージアムへ。家内の希望で。このミュージアムは老朽の為、もうすぐ閉館になると聞いておりましたので。館内では、棟方さんのビデオが放映されており、次のような言葉を志功さんが言われておりました。

「人間が個人で責任を持てる仕事など、人間が個人で背負う事が出来る荷物など、高が知れている」と。

確かに、高が知れてますよね、人間1人の力なんて、ほんと、高が知れている。だからこそ、協調性(みんなで力を合わせる)が大事なんですけどね。が、昨今は、個人主義が横行し、協調という言葉が、死語の状態になりつつあります。人間は産まれてくる時も、第三者の手を借りないと、この世に出てこれない。死んだ後も、第三者の手を借りないと、この身の始末も出来ない。人は、人の支えがないと、絶対に生きてはいけないんですが。

某番組で司会者が、北野武(ビートたけし)さんに「人生の終わりを迎えた時、何を1番認めて貰いたいですか」と。たけしさんは考え込んでいたが、その質問ですが、拙僧だったら『何を』ではなく『誰に』ですかね。そう考えると、やはり、父かな。父亡き今は、やはり家内ですかね。が、この家内に褒めてもらうは、容易な事ではない。結婚して35年、未だ嘗て1度も家内から褒めてもらった、認めてもらった事がない。せめて目を閉じる時には「長い間、お疲れ様でしたね」と、送ってもらえる様な生き方をしなければ、と62歳の拙僧「よし、これからが、勝負じゃ」と、そう思っております。

さて、亡くなった後に故人は、仏壇を通して、手を合わせてもらう立場になるのですが、檀家の子供ちゃんが以前、こんな質問を拙僧に。「仏壇に向かって唱えるお経は、何が1番いいの」と。対し拙僧「そうだね。南無阿弥陀仏でも、南妙法蓮華経でも、般若心経でも、まあ、何でもいいが、そんな難しいお経よりも、爺ちゃん、婆ちゃんに『ありがとう』と心を込めて、手を合わせ、声を掛けるが、最も喜んでくれるかもな」「そうか『ありがとう』だね。それなら僕にも毎日、出来ると思う」と。

これは余談になりますが、以前、全く勉強しない小学2年の男の子を持つ檀家の母親が「何とか言ってやって下さい」と拙僧に泣きついてきた。拙僧、その子に「勉強がそんなに嫌いか」と尋ねると「勉強が好きな子供なんて、いるのかよ」と。「まあ、そうだよな。だが、少しなっとしないと、字が読み書き出来にゃ、漫画も読めんぞ。じゃ、こうしようや。1日、1字でいいから、漢字を覚えようや。1日1字で、1年に365文字も覚えられるよ。たった5分だ。これで手を打たんか」と言うと「まあ、それなら、やってもいいよ」「よし、決まりだ」と。

その日より、それだけは真面目にやり続けていた時、学校で漢字のテストがあった。1日1字とはいえ、結構真面目にやっていたので、漢字だけは自信があったようだが、にも関わらず、結果は95点。この子は、握り拳を握って、悔し涙を。真剣にやっていたからこそ、悔しい思いを。それ以後は、人に言われなくとも、本腰を入れて、自ら勉強に取り組む様に。『人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん』ですもんね。この小学生の男子、その後、県下でもトップクラスの進学校(高校)に。

人間は、どこで化けるか、何がきっかけで化けるか、いつ化けるか、わからんですもんな。親といわれる存在の人達(両親、先生、師匠、会社の上司など)は、成長を待つ、が仕事にて。短所を抑え付ければ、長所までも萎む。短所も、長所も、癖も、天がその人に与えたもうた、生きるための道具にて。如何にそれを工夫して使うかが、大事。

投稿写真は、平泉の中尊寺金色堂。

次の投稿法話は、通常投稿の7月10日になります。




【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 この度は、臨時法話です。受験を控える子供さんのおられる親御さんからの要望で、以前投稿の法話を再度。

2023-07-01 21:18:47 | 法話
【この法話は、昨年11月1日に投稿したものです。この法話も、息子さんのおられる読者の親御さん達から「子供に読んでもらいたいから、再度、投稿して下さい」の要望を受けて】

11月は、末の息子の29歳の誕生日。彼は人見知りが酷く、4歳まで殆ど言葉を。が、しっかり会話(挨拶なども)を交わす生活をさせる事で、小学1年までには、小声だが普通に会話も出来る様に。この息子が大学に入学した時「父さん。俺、何のバイトをしたらいいかな」と。「そうだね。人間の幅を広げたいと思うなら、自分が不得意とする分野の職種を選んだらどうだ。自分にとって居心地が良いと思える場所よりも、居心地が悪いと思える場所の方が、新たな発見に出会える確率は高いと思うよ」と。

そこで、息子が選んだが、銀座アスター。その中華料理店の接客係を。6年間(東京理科大、同大学院在学中)勤め続け、奨学金とバイト代だけで、学費、生活費、下宿代を。親(拙僧)からの仕送りを貰わずに。親が子供を育てるは、やはり限界があります。可愛いからね、どうしても、最後の最後は厳しさが欠如を。バイトとはいえ、随分と社会に育ててもらいましたね。因みに、この息子は今、情報、設計分野で仕事をしながら、時間の許す限り、僧侶の仕事も。拙僧亡き後は、兼業しながら、お寺を守っていってくれるとのこと。有難い話です。

現在、日本には77000程の寺院がありますが、既に、その中の約2万の寺院が住職不在(廃寺も含め)に。将来は、5万以上の寺院が廃寺になるだろうと予想されています。先祖を大切に思う檀家が1人でもおられる内は、しっかりお寺を守っていこうと、息子達とは話をしております。

高校での講演の時には、必ず生徒達に拙僧「この話ですが、拙僧は『子供の自慢話』を君達にしている訳ではないよ。『親に経済力がないから、大学に行けない』と不満、不足を抱く子供がいるが、親の援助なしに通ってる子供は、わが寺の檀家の中にも何人かいるよ。大学に行って、本気で勉強したいなら、何とでも出来る。まあ、奨学金を後で返すは、確かに大変な事だが、拙僧の息子は今、それをやってるよ。親の加勢も受けず、文句も言わず。置かれた環境に文句を言う前に、それを実現出来る方法は何かないか、を探し出しなさい。本当に大学で勉強をしたいなら」と。

【追伸】
拙僧の大学時代の友人(同級女性)は家庭が非常に貧しく、それでも大学で勉強を、と奨学金、夜のバイト、家庭教師と掛け持ち、全て自分の力で。それどころか、親に5万円の仕送りまでも。まあ、この子は特別だったが。1年留年後、一流商社に。目標があれば人間は、頑張れるものなんだな、と当時、この子には、教えられる事ばかりだった。でも、願わくば、日本の人材育成の為、学費については、政治家さん達はなるべく早く、勉強意欲のある子供達の為に、負担減少の議論を。

【余談】
これは余談ですが、勤勉といえば、二宮金次郎さんの銅像が頭に浮かびますが、昨今では、座って本を読む金次郎さんの銅像が作られているとか。何故、こんな像が出来たかといえば「歩きスマホはいかん、と言ってるが、じゃ、学校にある二宮金次郎はどうなんだ。本を読みながら、歩いてるじゃないか」と、明後日(あさって)の方向から文句を言ってくる者が、出てきたからだとか。銅像の意味するところを、重々知っておりながら。建設的な意見を含んでない文句を言うほど、簡単な事はないですよね。気に食わん事を、口に出せばいいだけだから。3歳の子供でも、母親に文句を言いよる。世の中(関係者)も、いちいち、いちいち、こんな文句言いに、付き合う必要なかろうに。何かしら、文句を言わないと、気が済まないんだろうね。特に、SNSという陰口を叩けるツールを手にしてからは、文句や誹謗中傷が、エスカレートしていくばかり。ほんと、せっからしか、ですね。