1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 この度は、臨時法話を。東北地方に仕事に行って、思いもかけず、よか拾い物(棟方志功さんの言葉)を。

2023-07-06 18:59:16 | 法話
この法話は、昨年11月17日に投稿したものです。この度の再投稿は、お墓、仏壇、人、の存在意義を尋ねてこられる読者が多いので、数多の考え方がある中、次の様な視点も、と。

令和4年11月、東北地方に仕事で赴いた折に、新婚旅行で参拝した平泉の中尊寺へ、35年振りに家内と。当時、金色堂内で阿弥陀三尊の下に900年前の、初代藤原清衡高、二代基衡公、三代秀衡公の亡骸と、四代泰衡公の首級が安置と放送が。堂内で掃除をされていた若い僧侶さんに拙僧「見せて」と。すると僧侶さんが「罰当たりな」と顔色を変えて。返して拙僧「罰が当たってもいいから見せて」と。つい昨日のように、思えます。毎年、年末に参拝させて頂く高野山奥之院、20万の供養塔の中に、名だたる武将(武田信玄、上杉謙信、明智光秀、石田三成、織田信長、など)が何人も。「本当に存在されていたんだな」と歴史のロマンを。各家のお墓も、スケールこそ違えど、これに同じ。

因みに、源義経公を助けた武将が、三代の藤原秀衡公。義経公を討伐したのが、四代の泰衡公。この藤原四代の亡骸は1度、世に出た事が。この投稿には、恐れ多くて載せませんが、ググってみて下さい。ほんとに、おらっしゃったんですね。こんな遠い土地まで、頼朝公は奥州討伐に。義経公、奥州藤原氏を捨て置くは、安心(鎌村幕府安泰の為)出来なかったんでしょうね。徳川家康公も世継ぎの秀忠公に「天下を取るは、至難の業。が、天下を守り続けるは、もっと難しい」と。武士の時代は、弱肉強食ですもんね。如何に時代が移り変わろうと、人間に欲がある限り、争い事が絶える事はないでしょうね。石川五右衛門さんが辞世で「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は付きまじ」は真理。人間関係は全て、自分の心と如何に折り合いを付けるか、だけ。

さて、この時には拙僧夫婦、青森県にも仕事に。来たついでに、と言っては失礼ですが、棟方志功さんのミュージアムへ。家内の希望で。このミュージアムは老朽の為、もうすぐ閉館になると聞いておりましたので。館内では、棟方さんのビデオが放映されており、次のような言葉を志功さんが言われておりました。

「人間が個人で責任を持てる仕事など、人間が個人で背負う事が出来る荷物など、高が知れている」と。

確かに、高が知れてますよね、人間1人の力なんて、ほんと、高が知れている。だからこそ、協調性(みんなで力を合わせる)が大事なんですけどね。が、昨今は、個人主義が横行し、協調という言葉が、死語の状態になりつつあります。人間は産まれてくる時も、第三者の手を借りないと、この世に出てこれない。死んだ後も、第三者の手を借りないと、この身の始末も出来ない。人は、人の支えがないと、絶対に生きてはいけないんですが。

某番組で司会者が、北野武(ビートたけし)さんに「人生の終わりを迎えた時、何を1番認めて貰いたいですか」と。たけしさんは考え込んでいたが、その質問ですが、拙僧だったら『何を』ではなく『誰に』ですかね。そう考えると、やはり、父かな。父亡き今は、やはり家内ですかね。が、この家内に褒めてもらうは、容易な事ではない。結婚して35年、未だ嘗て1度も家内から褒めてもらった、認めてもらった事がない。せめて目を閉じる時には「長い間、お疲れ様でしたね」と、送ってもらえる様な生き方をしなければ、と62歳の拙僧「よし、これからが、勝負じゃ」と、そう思っております。

さて、亡くなった後に故人は、仏壇を通して、手を合わせてもらう立場になるのですが、檀家の子供ちゃんが以前、こんな質問を拙僧に。「仏壇に向かって唱えるお経は、何が1番いいの」と。対し拙僧「そうだね。南無阿弥陀仏でも、南妙法蓮華経でも、般若心経でも、まあ、何でもいいが、そんな難しいお経よりも、爺ちゃん、婆ちゃんに『ありがとう』と心を込めて、手を合わせ、声を掛けるが、最も喜んでくれるかもな」「そうか『ありがとう』だね。それなら僕にも毎日、出来ると思う」と。

これは余談になりますが、以前、全く勉強しない小学2年の男の子を持つ檀家の母親が「何とか言ってやって下さい」と拙僧に泣きついてきた。拙僧、その子に「勉強がそんなに嫌いか」と尋ねると「勉強が好きな子供なんて、いるのかよ」と。「まあ、そうだよな。だが、少しなっとしないと、字が読み書き出来にゃ、漫画も読めんぞ。じゃ、こうしようや。1日、1字でいいから、漢字を覚えようや。1日1字で、1年に365文字も覚えられるよ。たった5分だ。これで手を打たんか」と言うと「まあ、それなら、やってもいいよ」「よし、決まりだ」と。

その日より、それだけは真面目にやり続けていた時、学校で漢字のテストがあった。1日1字とはいえ、結構真面目にやっていたので、漢字だけは自信があったようだが、にも関わらず、結果は95点。この子は、握り拳を握って、悔し涙を。真剣にやっていたからこそ、悔しい思いを。それ以後は、人に言われなくとも、本腰を入れて、自ら勉強に取り組む様に。『人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん』ですもんね。この小学生の男子、その後、県下でもトップクラスの進学校(高校)に。

人間は、どこで化けるか、何がきっかけで化けるか、いつ化けるか、わからんですもんな。親といわれる存在の人達(両親、先生、師匠、会社の上司など)は、成長を待つ、が仕事にて。短所を抑え付ければ、長所までも萎む。短所も、長所も、癖も、天がその人に与えたもうた、生きるための道具にて。如何にそれを工夫して使うかが、大事。

投稿写真は、平泉の中尊寺金色堂。

次の投稿法話は、通常投稿の7月10日になります。